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 小川が海叶との待ち合わせ場所に着くと、海叶はコンビニの壁にもたれてしゃがみ込んでいた。小川の車が駐車場に停まっても、動かない。車から降りた小川が近づいてきて、海叶はゆっくりと顔を上げた。

「ちょっとコーヒーを買ってくるから、待っていてくれるか?」

 それに海叶は声を出さずに頷いた。

「海叶君も何か飲むかい?」

 海叶は膝を抱え座ったままで、地面に向かって小さく答えた。

「コーラ」

「オッケー。コーラな」

 小川は元気のない海叶を少し心配しながらも、ひとり急いで買い物を済ませた。

「よし、それじゃあ行こうか」

 海叶を助手席に乗せ、一時間弱の刑務所までの道を走りだした。

「大丈夫かい? 緊張してるのかな、顔色もあまりよくないみたいだけど」

 海叶を乗せて五分、小川が買って渡したコーラにも口を付けず、ここまで海叶は何も話さなかった。

「コーラ、ぬるくなるよ? 何か口に入れたら少しは落ち着くだろうし、飲みな」

 小川に言われ、ドリンクホルダーに置いてあったペットボトルのコーラのキャップを海叶がようやく開けて一口飲んだ。

「先生、あの話聞かせてよ。少年兵の話」

 この年の春のこと。地理の授業で内戦地域の話が出た時、海叶が横にいた小川に対して、「人を殺しても捕まらないなんて最高だ」と言ったことがある。それを聞いた小川が、授業が終わった後の休み時間に、自分がウガンダで体験した話を聞かせた。

 それは小川にとっても、大きな意味があることだった。思い出すことを拒んできた記憶を海叶に話すことで、その傷を癒すことができた。

 今海叶に再びその話をせがまれても、小川は冷静だった。頭の中だけではない。眩暈がすることも、身体中から嫌な汗が噴き出ることもない。

「少年兵の話って、どの話を?」

 海叶はペットボトルの中でプツプツと昇ってくる気泡を眺めている。

「小さい時にお母さんが目の前で殺された少年兵の話。先生が見殺しにした話だよ」

「見殺しってのは酷いな。……まあ、助けられなかったのは確かだけど」

 それは白昼の市場で起こった。

 立て続けに起こる炸裂音が近づいてきて、小川の近くで眩い閃光と共に爆発音がした。小川は咄嗟に、市場で野菜を売る母親の手伝いをしていた幼い子供を胸に抱いて、倒れるように伏せた。

 土煙が風に運ばれ視界が開けた時、耳鳴りの中子供が泣き叫ぶ声がした。その子供は、小川の腕にしがみつき、顔を小川の胸に押し付けるようにして泣いていた。その子供に伸びてきた手の主を、血と土煙で汚れた指先から視線で追ってみると、そこにはさっきまで明るく威勢のいい声で野菜を売っていた子供の母親の顔が、半分だけあった。

「やっぱ、先生がバカだったんだよ。子供なんて何の役にも立たないじゃん。親の方を助けてたら、仕事だってできるし、それにさ、また子供なんてすぐに産まれんじゃん。あ、でも、先生が助けた子供も先生が戻ってきたあとに何年かして、何人か殺して、そんで、自分も死んじゃったんだろ? 先生が助けずに親と一緒に死んでたら、そいつに殺されてた人は死なずに済んでたんだ」

 海叶が言ったことは、小川が何度も考えていたことでもあった。

「そう言うけどね、もし助けなかったらどうなってたかなんて、誰にも分らないんだよ」

 小川は最初にかかった医者が言った言葉をそのまま口にした。

「そりゃそうかもしれないけど……。それじゃあ、また同じようなことがあったら、先生はやっぱり子供を助けるの?」

「それは違う。あの時はたまたま子供の方が近くにいただけだから。もし今度があれば、両方助けるよ」

「ふーん。そう……」

 海叶は納得いかないような顔で、コーラを飲むと再び口を閉じた。

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