親と子

1

 世界が秋の色に染まり始めた十月半ば、日曜日の昼下がり。田島の三十代最後となる誕生日を、シーセルで祝っていた。そこには、この三月で定年退職した本多の姿もあった。

 哲也が焼いたケーキに立てられたロウソクを吹き消し、シャンパンで乾杯した後、田島はそのグラスに口を付けることなくテーブルに戻した。

「みんなありがとう。……あのね、ちょっと報告があるんだけど」

 田島が隣の小川の顔をちらりと見ると、小川が小さく頷いた。小川と田島の共同生活も、もう五年が経っていた。

「なんだよ、とうとう子供でもできたか?」

 哲也がアルコールに口を付けなかった田島に冗談半分で言ったが、その言葉に照れたように頭を掻いている小川を見て、座っていた椅子をガタリと鳴らした。哲也と希は、これまで何度も二人に結婚しないのか、と言ってきたが、その度に二人は「そういう関係じゃない」と躱していた。

「お、おい。マジかよ?」

「うん、マジ」

 にこりと笑った田島に、希が抱きついた。

「おめでとう、亜紀!」

「ちょっと、希! クリームが付いちゃうよ!」

 田島はそう言ってテーブルの上のケーキを心配したが、その顔は幸せに溢れていた。

「お前ら籍は?」

 はしゃぐ女二人とは対照的に、小川と哲也は落ち着いて座り、笑い合う二人を眺めている。

「それなんだけどな。おい、田島。アレ」

「うん、ちょっと待って」

 小川から声を掛けられて、田島がバッグからクリアファイルに挟まれた紙を出した。

「今日、このあと出そうかと思って。本多先生は印鑑お持ちじゃないですよね?」

 終始穏やかな表情で四人のやり取りを一歩引いて見ていた本多が、田島の問いにニコリと笑みを浮かべた。

「証人かい? 印鑑なら持っているさ。年寄りを甘く見るなよ」

 印鑑を持ち歩いているかどうかが人としてのステータスになり得るとは思えなかった田島だったが、既に証人欄に名前を記入する気満々になっている本多が可笑しくも頼もしかった。

「それじゃあ、お願いしてもいいですか? あともう一人は……」

 田島が幸田夫妻の間で視線を動かした。

「ああ、俺はパス。字が汚ねえから、こういうの苦手なんだ。希、書いてやれよ」

「うん。喜んで書かせてもらうね」

 希が手を伸ばして田島から婚姻届けを受け取ると、カウンターに持って行って、雑誌を下敷きに証人欄に名前を書いて捺印した。本多も希の隣に立ち、残るひとつの欄に記入する。

 そんな中、小川の携帯が鳴った。

「ごめん、海叶からだ」

 小川は立ち上がり、入り口側に少し移動して電話を取った。

「もしもし、どうした?」

 小川が海叶に電話番号を教えたのは、海叶が二年生の夏休みが明けてすぐに、家出したのがきっかけだった。危険が潜む夜の街に潜るくらいならと、逃げる場所を提供する代わりに、何でも相談しろと番号を交換した。だが、実際に電話がかかってきたのはこの時が初めてだった。

「ちょっと待ってくれ」

 小川が携帯のマイクに手を当て、田島に申し訳なさそうな顔を向けた。

「悪い、ちょっと抜けていいか?」

「どうしたの? 海叶君、今日はお母さんが出所する日でしょう?」

 田島が心配そうに小川へ近寄った。

「それが、伯父さんたちの都合が悪くなったとかで、迎えの車がないらしいんだ」

「そんな……。タクシーとかは使えないの?」

「使えないことはないだろうけど。刑務所から家まで送るだけだ。三時間もあれば終わるさ」

 小川としては、せっかく自分を頼ってきたのだから、それに応えてやりたい気持ちが大きかった。

「仕方ないな……。早く戻ってきてよね」

 田島はそう言うと、小川の胸板をノックするように一度、トン、と拳の横で叩いた。その田島の額に小川が軽くキスをすると、周りの視線に気が付いて咳払いをした。

「もしもし、今はどこにいるんだい?」

 小川は更に入り口方向に動いて、ドアを目の前に海叶との会話を続けた。

「そうか。じゃあ、二十分ぐらいはかかると思うけど。アーケードの入り口のコンビニで良いんだね?」

 小川は待ち合わせの場所を確認して電話を切った。テーブルの方に身体を向けると、哲也と希がニヤついている。本多はじっと腕組みをして目を閉じていた。

「それじゃあ、行ってくるから。何かあったらすぐに電話するよ」

 小川はそれだけ言って、その場から逃げるように海叶との待ち合わせ場所へと車を走らせた。

「アイツもなんだかなあ」

 哲也がシャンパンを一口飲んで呆れるように笑った。

「雄太らしいと言えばらしいけど。……それにしても、すっかり二人の世界だったね」

 希が田島を肘で小突いて冷やかした。

「大丈夫かな、小川君は……」

 本多が呟くと、田島の胸にチクリと小さな痛みが走った。

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