6
「夏休みは、ずっと店の手伝いか?」
車が校門を抜けてすぐ、小川は海叶に訊いた。
「そう言われてる」
その指示に従うのか、店の手伝いをどう思っているのか、そういったことを訊いても、海叶の本心は返ってこない。それが分かるような平坦な声だった。
それでももし訊いたとすれば、「さあ」とか「別に」とかは返してくるだろう。だが、その答えを聞いても意味はない。
「パン、買っていくだろ?」
車が進む前方にコンビニが見え、小川は速度を落とし、左にウインカーを出しながら訊いた。すぐに同意する返事があると思っていた小川にとっては、とてつもなく長く感じる間があった。車がコンビニの駐車場で完全に静止しても、海叶の口は開かない。
小川は大きく息を吐いて、海叶の横顔を見た。沈んだ顔で俯いている。見覚えがある表情だった。海叶が塚田に頭を下げた時の顔だ。その顔で、海叶がようやく口を開いた。
「鳩の餌にっていうんなら、無駄だよ。俺がやる餌なんて食わねえから」
「……じゃあ、自分の昼食だけでも買って行こう。先生はあそこでのんびり昼飯が食べたい」
小川の知らない何かが、あの展望台であったのだろうと感じ、小川は敢えて明るく振舞った。嫌な記憶は簡単には消えない。多くの良い記憶で薄めるしかないのだ。子供であれば特に。
海叶自身、その思いがあって小川の誘いを受けたのだと、随分後になって小川は海叶からこの時のことを聞かされた。
南小学校までの約二十分間、二人の会話は明日以降の話、つまりは未来の話に終始した。
小川は、できるだけ塚田の名前を出すことも聞くこともしたくなかったし、海叶はキジバトのことを思い出したくなかった。
にもかかわらず、二人の向かう先は塚田が最後に勤めていた南小学校であり、海叶が怒りに任せて傘を突き立てたキジバトのいる展望台だ。
二人のうちどちらともなく、目的地が近づくにつれ、口数が減った。
駐車場に着き、車を降りて徒歩で向かう頃には、無言で足を運んでいた。
七月中旬の空気は、濃い緑の香りでむせ返すほどだ。
「階段になったんだな」
少し佇まいを変えている展望台を目にして、数分ぶりに小川が口を開いた。海叶はその小川の後から無言でついてくる。足音だけでそれを確認していた小川は、振り返ることなく展望台の上に足を掛けた。
そこから見える景色は、三年前と何も変わっていない。ただ、夏の暑さで木陰に身を潜めているのか、鳥たちの声は聞こえなかった。
手すりに手を掛け、遠くの空を眺めていた小川の横に、海叶はあの時と同じように、展望台の向こうに足を投げ出して座り、手すりに両腕をのせて胸を預けた。
「母さんが逮捕された後、一度来たんだ」
海叶が先に告解を始めた。
一年、二年と時が経つごとに、海叶は他の教員たちの指示も聞くようになっていった。
小川も完全に生活のリズムが出来上がり、学校での仕事や、その中での人間関係にもすっかり慣れていた。
人というものは、決まって慣れてきた頃に足をすくわれるものだが、小川の前で口を広げる落とし穴は、昇り始めた太陽を沈めるほどに、暗く、深かった。
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