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「お仕事はどうですか? 気負わずにできていますか?」

「ええ。私のことを理解してくれている人が近くにいますので」

 小川は学校帰りに病院に寄っていた。病院での診察は、五分程度医師と会話をするだけだ。

「夜は眠れてます?」

「はい。朝早く起きるようになってからは、割と早く眠れてますし」

 医師は小川の言葉を聞きながら、たまにペンを走らせていた。

「仕事は午前中だけですよね? 途中眠くなるようなことは?」

「ないです。家に帰って食事したあとに昼寝をすることはありますけど」

「何時間ぐらい?」

「長くて一時間半ぐらいですかね」

 小川が質問に対して間を開けずに答えてゆくと、そこで医師はペンを置いた。

「だいぶ調子はよさそうですね。お薬を夜だけに減らしましょうか。それでまた様子を見ましょう」

 医師は静かな笑みを浮かべている。いつもその表情だ。不思議なもので、その医師の表情を見ていると、小川も同じ表情になってしまう。

「はい。ありがとうございました」

 小川が頭を下げて診察室を出ると、待合室には俯いた患者たちが座っている。その中で自分も座ってしまうと、酷く疲れてしまいそうで、小川は入り口を出て灰皿の前に陣取った。ジャケットの左右のポケットからスマートフォンとタバコを取り出し、タバコに火を着けスマートフォンの画面を見ると、田島からメッセージが届いていた。その短いメッセージは、ロック画面に全て表示されていた。タバコをつまむ指に力が入る。

 ――海叶君のお母さんが逮捕されました。

 そのメッセージを読んでも、小川には何もできることはなかった。ただ、今日海叶に言われた「先に無視したのはお前」という言葉だけが頭の中で響き続けた。

「どうしろって言うんだよ……」

 海叶がまた伯母の家で生活することになっても、転校することはない。元々伯母の住まいのある学区だ。母親は逮捕されただけで、死んだわけではない。本人次第ではあるが明日からも学校に来るはずだ。その海叶にどう接したらいいのか。

 小学生の海叶に対しては抱かなかった戸惑いが、今日海叶から投げつけられた言葉のせいで、小川の中で大きく膨らんでいた。


 海叶の件があったからか、普段よりも田島の帰りは遅かった。

 夜の八時を過ぎてようやく帰ってきた田島に、小川は早速海叶から言われたことを田島に話した。本多にもらったアドバイスも併せて。

「でも心当たりないんでしょ?」

「ああ、ない。もし海叶が言う通り俺が無視したっていうんなら、南小学校でそんなことがあったのかもしれないけど……。でも、三年前のことを根に持つか? やっぱり、最近どこかで声を掛けられたとか。それで俺が気付かずに無視したみたいになったってことかもしれない」

「なるほどねぇ。それはあるかも。どっちにしても誤解なんだろうから、ちゃんと話せば大丈夫なんじゃないかな? そういうこと言うってことは、小川君期待されてるんだよ。海叶君から」

 小川は廊下で呼び止めた時の海叶の目を思い出していた。本当にそうだろうか。確かに小川はあの時の海叶から激しい恨みを感じていた。

「とにかく話さないとね。生徒との関係って、男と女の関係と一緒で、拗らせると面倒よ。明日からも学校に来れるように、後藤先生が今海叶君の伯母さんの家に行ってケアしてるから。ね?」

 小川は祈るような気持で田島に頷いた。

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