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「今日休みで残念だったね」

 田島が仕事から帰ると、冷蔵庫から缶ビールを取り出しながら、ソファーに転がる小川に言った。

「ああ、でもしっかり心の準備ができたから良かったんじゃないかな」

 それは小川の本心だ。自分で生み出した緊張から、過去のトラウマが蘇ったが、それは決して悪いことではないはずだと、どこか自分で納得できていた。

 仰向けになった小川の腹の上には、シューが丸くなって眠っていたが、小川の声が聴こえて目をほんの少し開いた。チラリと小川の顔を見たシューは、すぐにまた目を閉じた。

「私は授業も持ってないし、よく分かんないけど。一年生の中ではダントツで名前が飛び交ってるよ。職員室の中で」

 田島はソファーの前のローテーブルをずらして床に座ると、小川の脚を肘掛け代わりに体重を預けて、シューの頭を撫でた。目を開いたシューが、ざらついた舌で田島の手を舐める。

「良い話で、じゃないんだろうな……」

「うん。地域の人からの苦情とか。休みの日でもね、家じゃなくて学校に苦情って来るものなの。学校とか先生って叩きやすいのよね、きっと」

 田島はそう言って溜息と入れ替わりに、ビールの炭酸ガスを飲み込んだ。

「今日はありがとうな」

 会話の流れとは関係のない小川からの礼に、田島は首を傾げた。

「ありがとうだなんて……。なんなら怒られるんじゃないかと思ってた」

 それでも昼食時に大勢で交わされた会話のことしかないと、田島は笑ってふた口目を流し込んだ。ひと口目とは違う味に頬が緩む。

「最初はな、正直うぜえと思った」

「酷い!」

 そう言いながらも二人に笑顔は絶えない。

「最初だけだよ。ほんと、おかげであの場所にあっという間に慣れた。それから、覚悟って言うか、心の準備も」

 田島はビールをテーブルに置いて、頭を小川の胸に預けた。シューが目を覚まし、田島の頭を両前足でぐいぐいと押している。

「小学生の時の小川君さ」

「ん?」

「給食食べるのいつも早かった。サッと食べて、サッとグラウンドに飛び出して……」

「ああ」

 小川の手が田島の頭に置かれ、親指だけで軽く撫でる。

「私も早く小川君たちと遊びたくて早く食べたかったんだけど、変な所で気取っちゃってさ、早く食べれなかった。他にもそんなコいたと思う」

「小学生でか? 大変だな、女子は」

「そりゃあ、もう! 女子にとって学校は戦場だもの」

 頭を撫でていた小川の指がピタリと止まり、田島は身体を起こして小川の顔を見た。田島の「戦場」という言葉に反応したのは明らかだった。

「ごめん小川君、大丈夫?」

 小川は腹の上のシューをゆっくりと床に降ろして立ち上がった。

「大丈夫だよ。飯の準備するから、さっさとそれ空にして手伝え。腹減った」

 小川の「腹減った」という声に呼応するように、足元でシューが飛び跳ねた。充分な睡眠を摂ってエネルギーが満タンなのか、そのまま家じゅうを走り回り、自分がぶつかった勢いで転がる物を、追いかけたり押さえつけたりして遊び始めた。

「田島先生! その床で暴れているヤツをケージに入れといてもらえませんか?」

「はーい! わっかりましたぁ!」

 キッチンからの小川の声に田島は明るく返事をして、残りのビールを一気に飲み干した。

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