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 小雪が舞い始めた灰色の景色。路面はまだ乾燥していて、黒いアスファルトが僅かな明かりを吸い取っていた。潮風に吹かれた雪と枯れ葉が、寒々とした校舎の窓にぶつかる音が聞こえる。

 十二月二十八日午後四時。職員の車もまばらな中学校の駐車場に、この日の空の色と同じダークグレーのハッチバックがそろりと入ってきた。その車から降りてきた男は、校舎とは反対方向に歩き、生徒用の駐輪場横に立つ一本の楓の前でしゃがみ込んだ。

 男の視線は、三メートル程度の高さに育った楓ではなく、その前に立つ小さな白い立札に落とされている。「第七回卒業生」と書かれたその立札に男が手を掛けたが、すぐに離した。一度顔の前で両手をきつく握り締めると、その手に白い息を吹きかけて、数回かじかんだ手をこすり合わせる。そして再び立札に手を掛け、一気に引き抜いた。

「字、間違えんなっての」

 土に埋もれていた幅九センチの杭部分には、名前がふたつ並んで刻まれていた。

 ――雄大・希

 男はその文字を一度指でなぞって、元の四角く空いた穴に立札を戻し始めた。その姿を見てか、校舎から出てきた女がひとり、その男に向かって駆け寄ってきた。

「もしかして小川君?」

 男は振り返ると、上下ジャージ姿の女の顔を見て目を見開いた。

「田島……。なんでお前が? もしかしてここで働いてんのか?」

 小川と呼ばれた男が、校舎一階の右端、職員室の場所を指さして、声を掛けてきた田島に訊いた。

「うん。もう三年目。小川君はいつ日本に帰って来たの?」

「六年、いや、七年になるか。この町に戻ったのは先週だけどな」

「そっか。一昨年おととしの同窓会に来なかったからさ。のぞみも残念がってた」

 小川はその言葉を聞いてもう一度立札に視線を向けると、元の深さよりも深く刺すように上から足で踏みつけた。

「お前が教師になっているなんてな。意外だ」

 田島はその立札に何が書かれているのか知っているのだろう。小川の行動に哀し気な表情を見せたが、咎めることはなかった。

「私は小川君こそ先生になるんじゃないかと思ってた」

 小川は一度首を横に振り、L字に建つ校舎を見渡した。

「俺じゃまともな教師にはなれねえよ」

「そんなこと……」

 そういう話をしても仕方がない。田島はそう思い直して途中で口を噤んだ。

「ところで今日はどうしてここに?」

「本多先生は? またこの学校に帰ってきたって聞いたけど」

 小川は、かつて担任だった教師の名前を出した。

「ああ、本多先生はもう休みに入ってる。本当は今日が仕事納めなんだけどね。今日出勤してるのは、私もいれて五人だけ。有給未消化組は一足先に冬休み」

 小川はそれを聞いて溜息を吐いた。白い息が固まって風に運ばれる。

「なあ、教員免許なくても学校で働ける職種がいくらかあるだろ?」

 小川はズボンのポケットに両手を突っ込み、自分のつま先に向けてそう呟いた。

「え? うん。あるけど……。小川君、こっちに帰って来て仕事……見つかってないの?」

 田島は遠慮がちにそう聞いた。

「ああ。帰ってきたはいいけど、頼れるのは本多先生くらいしかいなくてさ」

 小川の顔はまだ下を向いたままで、田島からその表情は見えなかった。

「本多先生は小川君が戻ってきてるって知ってるの?」

「まだ伝えてない」

「そっか。じゃあ、本多先生に伝えればいいのね。分かった。でも……小川君、私たちでも力になれることはあるから」

「……わりいな」

 小川はそう言って顔を上げた。

「今度は休み明けにでも電話するよ。仕事始めは四日からか?」

「うん。……もう帰るの?」

 田島は、車の方に向かって歩き出した小川に言った。

「本多先生がいないんじゃな、しょうがねえだろ。じゃあ」

 小川が背中を向けて手を小さく上げると、車のドアを開けた。

「じゃあ、またね。……良いお年を」

 田島のその言葉に小川は何も返さず、車に乗り込むとエンジンをかけて窓を下ろした。

「俺、その挨拶好きじゃねえんだ。……ありがとう、忙しい時に邪魔したな」

 小川が乗った他県ナンバーの車が走り去ると、田島は立札の上に付いた土を素手で払った。

「七年間……何してたんだろ」

 田島は車が走り去った方に目を向けたが、そこにはもう小川の車は見えなかった。

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