ロール

時は2世紀、ローマ帝国最盛期の時代、第16代ローマ皇帝としてその手腕を振るっていた軍人皇帝アウレリウスは、軍人として戦場を駆けまわる一方、“哲人皇帝”という異名も持っていた。


そんな彼を語るうえ欠かせないのが、彼の最も有名な著書、『自省録』だ。

彼はその『自省録』のなかで、真の幸福や、生と死について、彼の見解を語った。


曰く、「生きるのに必要な心得は、正しい判断、他人への愛、正直さ。そして、目の前に起こる全てのことに納得し、慣れ親しもうとする覚悟だ。」と。


可笑しなことだ、と私は思った。

戦争屋が、他人の愛を語るのか。


もちろんアウレリウスは偉大な哲学者だ。彼の言を座右の銘とする人も少なくはないし、彼の思想が、自らに降りかかる苦難などの運命をいかに克服してゆくかを説く哲学を提唱したストア派にどれだけ影響をおよぼしたかなど、最早言うまでもない。


ただ、私はこの一文に、今の世界と似たような矛盾を感じている。


聞くところによると、皇帝アウレリウスは非常に徳の高い人物であったようだ。

上述の『自省録』のなかでも、父ピウスについて、彼の最も尊敬するところは、皇帝としての手腕でなく、その質素な食生活や、道楽を好まないところであったと綴っている。


それほどまでに、彼は「動物」ではなく「人」であることに誇りを持っていた。

なるほど、人徳を備える、国の王様。

民からの評判もさぞよかったことだろう。


しかし、それ故に私にはわからない。

どうして彼は、戦の道を選んだのか。

どうして彼は、共和制を説きつつ、他を傷つける道を選んだのか。

いや、選ばざるを得なかったのか。


つまるところ、彼は確かに「動物」ではなく「人」だったが、それ以前に「皇帝」だった。


どれだけ今を嘆いても、どれだけ自己を省みても、与えられたロールから外れることのできないその様は、正に今の人類だ。

人であることは、自身が自身たり得ることの理由にはならない。


21世紀、誰もが「平和を」と声に出す。

未だに銃声は絶えない。


それは私たちが「人」である前に、各々のロールによって、アイデンティティを持つ者であるからだ。

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一般市民はかく語りき 鯖之丸焼 @sabanomaruyaki

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