第16話 それぞれの価値観

「色が違うよね」

クリスは半眼かつ口を真一文字にして積み上げられた硬貨を見てそう言った。


「そうかな?」

マイエルンはからかうようにそう言っておざなりの契約書を確認した。


「ちゃんと10メルと書いてあるじゃないか」

マイエルンがそう言うとクリスは彼の手にある契約書を奪い取って確認した。その目がどんどん吊り上がって顔が紅潮する。


「詐欺だ!今どきメルなんて使うかよ!」

クリスは怒り狂って絶叫した。


メルとは商取引円滑化のために作られた実験的通貨単位である。元々大国ダンとの商取引を想定した120デルに相当するエルという通貨単位と、国内流通を想定した100デルに相当するダルという通貨単位が存在したが、メルはこれを合体したものだ。


メルは大国ダンとの商取引では120デル、国内では100デルとして扱われるという謎の通貨単位で、もちろん大混乱を引き起こして即時撤回されたが、今でもたまにこの通貨単位を使って人を騙す極悪人が居たりする。例えば目の前の黒髪の悪魔とか。


「冗談だよ冗談。いや惜しかった」

邪悪なコンシェルジュは笑いながらそう言い、愛しい銀色の硬貨を十枚積み上げた。


「ああ良かった!心配したぞお前たち!」

クリスは愛おしそうに十枚のエル硬貨を眺めた。


「ちょっとその汚い黄銅色を早く片付けてよ」

クリスは積み上げられた十枚のダル通貨を忌々しそうに睨みつけてそう言った。


「はいはい」

マイエルンは苦笑してダル通貨を片付けた。クリスのような貧乏人にとってダル通貨は単純にエル通貨より20デルも価値が低いだけの通貨だが、さらに上の単位であるカル紙幣を日常的に使う者にとっては計算しやすいダル通貨のほうが便利なのだが。


「あと宿泊費二か月分免除ね」

クリスは鋭い目つきでそう言った。本音では一年とは言わないけど半年分くらいは要求したい仕事内容だったが、それは今更言ってもどうにもならない。


「判っているよ。煎豆茶コーヒーでもどうだい?」

マイエルンはマネージャーからコンシェルジュに戻ってそう言った。


「奢りならね」

クリスは半眼でそう言った。マイエルンは微笑を浮かべて眉を上げたが、無言でベルを鳴らし、やってきたレジーに煎豆茶をふたつオーダーした。


「君も強くなったな」

マイエルンはそう言いながらクリスの前に座った。


「がめつくなったって?」

クリスは運ばれてきた煎豆茶を啜りそう言った。


「強欲は悪いことではないが、私が言っているのはそういう事ではないよ」

マイエルンの言葉にクリスはやや矛を収めた。


「もしチェックアウトできたら何をする?」

マイエルンはそう訊いた。


「まず師匠とボルドさんの事を調べたい」

クリスは即答した。


「それは我々も調べているよ?」

マイエルンはクリスの意外な願望に眉を上げた。


「マイエルンさんたちが知りたいのはオルブレルさまの事でしょ?僕は違う」

クリスは上目遣いでそう言った。


「というと?」

マイエルンは話の先を促した。


「なぜ二人が僕を引き取って面倒を見てくれたのか、それを知りたいんだよ」

クリスの言葉にマイエルンは納得した。


彼ら悪魔と呼ばれる者は大体の場合で両親も子供時代というものもない。発生した時点で既に成体なのだ。従って感性の部分ではクリスの気持ちを理解できなかったが、クリスが自分のルーツを知りたがっているという願望自体は理解ができた。


「その時は私も手伝うよ」

マイエルンは優しくそう言った。


実はこれは優しさだけではなかった。マイエルンだけではなく彼ら悪魔と呼ばれる者の最大の価値観は「意思」である。自分あるいは相手が何を望むか、何を為そうとするかが最重要であり、それを尊ぶ資質こそが彼らの本質を形成しているのである。


「まあチェックアウトできたらだけどね」

マイエルンは人の悪い笑みを浮かべて言った。


「もっとどっかーんと大きな報酬くれよ」

クリスはやや本気でそう言い返した。


「シールド様は君を気に入っているしね」

マイエルンは優しく歪曲な表現でそうなる可能性が低い事を諭した。クリスは直接グレンド伯爵の依頼を受けている訳ではなくシールドの下請けとして働いているのだ。従って最終的に報酬額を決めているシールドの腹ひとつなのである。


「下働き兼食材として?」

クリスの適切な嫌味に対し、マイエルンは微笑を浮かべて眉を上げるだけだった。

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