第5話 魔界との通信
「久しぶりだね、マイエルン」
男は相変わらずの微笑を浮かべたようだったが、魔界との通信鏡越しなのでその表情は正確には判らなかった。彼には異界との障壁を完全貫通して通信回路を確立できる程の魔力はない。かと言ってマイエルン側からわざわざ彼に連絡はしたくなかった。
「お久しぶりです、伯爵」
マイエルンも微笑を浮かべて丁寧にそう言った。マイエルンは彼を嫌っている訳ではない。呆れているだけで、可能なら付き合いたくないだけである。
「ふふふ」
グレンド伯爵はわざとらしい声を上げて笑った。
「何か?」
マイエルンは微笑を崩さずにそう問うた。
「全く、この通信鏡というものは便利なものだね」
グレンド伯爵は両手を上げてそう言った。
「これのおかげで遠路はるばる移動しなくて済む」
グレンド伯爵の言葉は、実はマイエルンから否定を引き出すための逆説であった。それが判っているマイエルンは本音を口に出さず、礼節に従って彼の意を汲む回答をしなくてはならなかった。いや別にしなくてもいいのだが。
「全くの不調法でお許し下さい」
マイエルンはあくまでホテル・バラーのコンシェルジュとしてそう答えた。
「いやいや、そういうつもりではないんだ」
グレンド伯爵はわざとらしく大仰にマイエルンの謝罪を遮った。
「部屋が空いていないのならしょうがない」
グレンド伯爵はさらにわざとらしく、いやもう嫌味を含めてそう言った。
「私としてはエグゼクティブでもデラックスでも構わないのだけどね」
グレンド伯爵の鷹揚な態度にマイエルンは微笑を浮かべて無言で眉を上げた。ええもちろんシングルでも従業員用の個室でもご用意できますよ。
「ただ、いくら便利でも万能ではない」
グレンド伯爵は本題を切り出してきた。
「こういう物ではお互いの本意が伝わらない事もある。そうは思わないかね?」
グレンド伯爵はやや真顔になってそう言った。
「全く同感です。伯爵」
マイエルンは微笑を崩さずにそう言った。それは彼の本音であった。例えばピーター・シールドはグレンド伯爵を自分の
「我々は直接会って話し合うべきだと思うが、それはまあまた別の機会にしよう」
マイエルンの本音ではその必要はないと思ったが、礼節に従いそれは言わなかった。グレンド伯爵自身以外、誰でも彼の役割は判っているのだ。
「私が今気にしているのは、私の依頼が正しく伝わっているかどうかなんだ」
グレンド伯爵はやや表情を改めてそう言った。
「
マイエルンもややわざとらしくそう確認した。そのわざとらしさに気付いたかどうか、グレンド伯爵は右手の人差し指を立ててマイエルンに向けた。
「あんな事をやって何になる?ゴーデル卿の鼻を挫いてもそれだけではないか」
グレンド伯爵はまっすぐにそう問うてきた。
「私にはお答えしようがありませんがいくつかの推測はあります」
マイエルンは冷静にそう言った。
「つまり?」
グレンド伯爵は憂いを含んだ声でそう訊いてきた。マイエルンは内心で呆れていた。こんな初歩の政治工作すら判らないのにかつてグレンド県での伯爵だったのだから。当時の領民は吸血鬼と化した領主に恐怖したと伝わっているが、そうなる前から別の意味での恐怖に囚われていたのではなかろうか。
「まず、内務省長官であり強行採決派のゴーデル卿の失態が露見すれば、対抗勢力全体の出鼻を挫く事になるでしょう」
マイエルンは辛抱強く説明をした。
「次に、伯爵の背後にはシールド様が健在であるという喧伝になります」
マイエルンは口が腐りそうな思いでそう言ったが、その言葉を聞いたグレンド伯爵はやや前のめりになったようだった。
「そうなれば仕切り直しと申しますか、少なくとも次の採決は安泰かと」
マイエルンがそう言うと、ぼやけた映像越しでもそうと判るほどグレンド伯爵は安堵の表情を浮かべた。素直と言えば素直な伯爵である。
「さすが偉大なる我が執政だ」
グレンド伯爵は大仰にそう言った。これは敢えて言えばマイエルンが考えた策だが、考えたと言うほどのものでもない。
元老院首席信任決議で大敗しそうなら賛成票を過半数以下に抑えればいいのである。それも個々の議員を買収なり恫喝していったら埒が明かない。こういう時は中心人物を抑えればいいのだ。都合よく死霊が脱走したのだからこれを利用しない手はない。そんな事も思いつかない男が元老院首席などに居座るのは、やはり無理があると思うマイエルンだった。
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