閑話

そこまで口に出したところで、その時の記憶が鮮明に蘇ってきた。


半開きの口から覗く赤黒いぶよぶよした___


脳裏に焼き付いていた光景に俺は頭がぐらぐらとして、思わず口を押さえて蹲った。

チカチカと視界が点滅して目の前が歪んで、でもあの光景は焼き付いたままで。

鉄錆の臭い。べちゃりとぬめっている足下。

思い出したくない。思い出したくないのに止まらない。

口の中、鋭い歯の隙間に挟まっている朱殷に染まった檳榔子黒の毛束と銀朱の布切れ。引きちぎられた肢体は揃いも揃ってぐねぐねと関節が増えている。ひしゃげて半分に割れた頭部、まだ頬に残っている水滴。

ヒュっと喉が変な音を立てて痙攣すると、途端に息ができなくなった。身体に力が入らなくなって倒れ込みそうになると、急に身体を支えられた。


「息を吸わないで。吐くんだ。」


言われた通りにしようとしたが、喉はひゅうひゅうと鳴るばかりで言うことを聞かない。


「・・・ちょっとごめんね。」


そう聞こえた直後、口と鼻を手のひらで塞がれて息が吸えなくなった。苦しくてバタバタともがいていると、数秒ほど後に手は離された。


「・・・落ち着いた?」

「す、みませ・・・」


咄嗟に謝ると、風早さんは困ったように笑った。


「ごめんね、無理そうなら話さなくても___」

「何言ってるのよ。」


風早さんの言葉を遮って西園寺はそう言うと、足元の木片を蹴っ飛ばした。吹っ飛ばされた木片は、壁に当たってパラパラと粉々になった。・・・え?

あっけにとられてそちらを眺めていると、ズカズカと歩いてきた西園寺に頭を掴まれた。


「ひーらさーとくーん?こうなったら洗いざらい吐いてもらうからな死ぬ気で話せよ」

「・・・・・・はい」


西園寺のいつもと打って変わって怒気を含んだ荒々しい口調に、俺は思わず身を固くした。利き手ではないはずなのに掴まれた頭が軋みそうなほどの握力に、西園寺の感情がダイレクトに伝わってきた。


「ちょっと西園寺!平里は・・・」

「黙って。」


西園寺にじろりと睨め付けられて、風早さんはあまりの気迫に気圧されて口を噤んだ。


「話聞いた限りだと平里は同じ時間を繰り返してるってことで良いのよね?」


俺の頭をミシミシと掴んだまま西園寺は低い声でそう問いかけてきた。


「ハイ。・・・風早さんもです」


痛みに耐えながら俺はそう答えた。

・・・なんとなく、神原のことは伏せておいた方が良い気がして言わなかった。


「ふーん・・・まあ風早さんは後で問い詰めるとして・・・。で?それはアンタ達以外の誰かに相談したの?」

「え?」


相談?誰に?


俺が驚いて目を瞬かせていると、西園寺はぱっと手を離して、怒りを逃がすように深呼吸した。


「変えたいんでしょ?なら、なんでアンタ達だけで完結してるのよ。」

「あっ・・・」


その考えはなかった。そんな簡単な方法を完全に失念していたことに気付き、俺と風早さんははっと目を合わせた。

その様子を見た西園寺は、深く深く息を吐いてぽつりと呟いた。


「・・・短慮すぎるのよ、アンタ達。」

「・・・はい。」

「ごめんなさい・・・」


西園寺の指摘に、俺も風早さんも何も言い返せなかった。


「第一。詳細は分からなくても、アンタ達の持っていた情報さえあれば、いくらでもやりようはあったでしょう?なんで言わないのよ。」


苛立った様子でそう口にすると、西園寺はくしゃっと泣き出しそうな表情をした。


「もし、もしも次があるなら絶対に言いなさい。」

「・・・言ったら信じてくれるのかい?」


風早さんが顔を伏せてそう尋ねると、西園寺はキッと風早さんを見据えて口を開いた。


「信じるわよ。ちゃんと説明してくれたら。」

「どうして断言できるんだい?」

「そんなの___あの子小鳥遊が生きていられるならなんだってできるもの。だから___その話を聞いたら信じるわ。絶対にね。」


今気づいた、違和感の正体。今はしていないが、いつもしていたあの髪飾りは___。


「・・・西園寺、は。小鳥遊のことが大切だったんだな。」

「違うわよ。」


西園寺は俺の言葉をぴしゃりと否定すると、優しい目をして微笑んだ。


「愛してるのよ。ずっとね。」

「愛・・・」


愛している?


堂々とそう言い切った西園寺を、何故だか少しだけ羨ましく思った。


「アンタ達だってそうでしょう?そこまでしてるんだから。」


くすっと笑いながら、西園寺は俺と風早さんを交互に見てそう言った。


「そりゃあ、私だってあの子たちは大事だけれど。」

「・・・・・・」


複雑そうな表情で苦笑する風早さんを見て、俺は黙り込んでしまった。


愛?俺は・・・愛していたのだろうか。・・・分からない。だからといって、どうでもいいとは思ってはいないけれど。


俺が考え込んでいると、風早さんと西園寺は目を合わせてひそひそと小声で話し始めた。


「まさか自覚なし?」

「そうみたいだね。」

「聞こえてんぞ。」

「わざと聞かせてんのよ。」


俺が指摘すると、西園寺はじとっとした目で俺を見た。


「自覚ないくせにあんな視線向けてんじゃないわよ。」

「は?」


『あんな視線』の意味が分からず固まっていると、西園寺はおもむろにポケットから連絡用の黒いPHSを取り出してぎこちなく操作し始めた。


「もしもし、今ヒマ?ヒマならリハビリ室来て。じゃ。」


西園寺は一方的に通話を切ると、丁寧な手つきでPHSをポケットに仕舞い込んだ。


「誰呼んだんだい?」

「すぐ分かるわよ。・・・ほらもう来た。」


西園寺はそう言って廊下側の壁に目を向けた。廊下をドタドタと走る足音は、段々と近付いてくると扉の前で止まった。

その足音の主はガラッと勢いよく引き戸を開け放つと、キッと西園寺を睨みつけた。


「用件ぐらい言ってくださいよ!!!」

「ごめんごめん!でも律儀に来てくれるのね。ありがと。」

「ふん・・・」


その人物___桐生は走って乱れた黒髪を手で撫で付けると、「それで?」と口にした。


「なにかあったんですか?」

「いやー、平里がねー?」

「ちょっ・・・」


嫌な感じがして俺は西園寺を止めようとしたが、うまく立ち上がれず、そのまま無様にも床に身体を打ち付けた。


「自覚ないみたいでさー」


おどけたような口調でそう言う西園寺に、桐生は何がなにやら、といった風に首を傾げた。


「自覚?何のですか?」

「愛情。白黒ツインズの。」

「ツインズって・・・どっちかというと親心な気もしますけど。平里のは。」

「たしかに。」

「やめてくれ・・・もうわかったから・・・」


二人の会話を聞いて、俺が羞恥心でいたたまれなくなって顔を手で覆い隠していると、不意に風早さんが俺の肩を軽く叩いた。

身体を起こしてそちらを振り返ると、風早さんが変な笑顔で親指を立てていた。


「・・・何ですか?その表情は」

「んっふふ、いや?なんでもないよ。」

「嘘吐かないでください。」

「なんでもないんだよ。」


ふふ、となおも笑いながら親指を立てている風早さんがうざったくて、俺はバッと彼の眼鏡を取り上げた。


「あっ!?・・・見えない・・・・・・。」


度がどれほどのものなのかは知らないが、視界を奪われた風早さんは困ったように眉を下げてしゅんとした。


・・・・・・少しやり過ぎたか?


そう思い眼鏡を返そうと差し出しかけた瞬間、風早さんは悔しそうにダンっと拳を床に叩きつけた。


「もっと見たかった・・・!!!」

「桐生ー、眼鏡預かっといてくれ。」


差し出そうとした手を引っ込めて桐生に眼鏡を渡すと、不思議そうな表情で桐生は受け取って胸ポケットに差し込んだ。


「なんで?自分で持ってた方がいいんじゃないの?この場合。」

「・・・落として割れたら危ないだろ。眼鏡なんだし。」


桐生の問いに俺がそう答えると、今まで静かに様子を見ていた西園寺が口を開いた。


「義手だから、ってこと?」


西園寺はそう言ってスッと俺の手袋の嵌っている左手を指差した。


「気付いてたのか。・・・・・・動作とか結構本物と遜色ない精度でできたと思ってたんだが・・・。ああでも、まだ改良の余地があるってことだよな・・・・・・。」


かなり自信があった魔導具であっただけに、あっさりと義手であることを看破されて少しばかり、ほんのちょっとだけ悔しかった。素材からもう一度見直せばもっと本物に近付けられるのかもしれない。ああ、それとも回路を組み替えて魔力の変換効率を上げればあるいは___


「普通にしてたんじゃきっと気づかなかったわよ。最初だって、少し違和感がしたくらいだったし。」


俺の思考をぶった斬るように西園寺はそう言って苦笑した。


「そうか。・・・まあでも実際、動作を重視しすぎて魔力コスト度外視だったしなコレ。」


俺はそう返すと、手袋をするりと外した。そして露わになった無骨な、手首から先をすっぽりと覆っている義手をひらひらと振った。


不意に、その手首を桐生が掴んだ。


「・・・・・・義手?ちょっと待ってよ。なんで・・・」


混乱した様子で途切れ途切れにそう呟く桐生の様子にぎょっとして俺はぽつりと零した。


「知らなかったのか・・・?」


左手がないことくらい、知っているものだと思っていた。俺が目が醒ました時、最初にいたのが桐生だったのだから。


「てっきり知ってるものだとばかり。」

「生きてた、ってところで安心してまともに診断結果読んでなかったんでしょうね。・・・桐生〜、戻ってきなさ〜い。」


西園寺はそう言って、ゆさゆさとうわ言のようにブツブツと呟き続けている桐生の肩を揺すった。


・・・急に欠損してるって聞いたら前線組ならともかく、裏方の桐生には刺激が強すぎたのかもしれない。これからは気を付けた方が良いだろう。


「・・・・・・はっ!?」

「あ、戻った。」


西園寺はショックから回復した桐生の肩から手を離した。桐生は目をぱちくりとさせると、そっと俺の義手から手を離した。


「取り乱してごめんなさい。」

「いや、俺も・・・勝手に知ってると勘違いして伝えなかった。すまん。」


桐生と俺はお互いに気まずさを払拭しようと、とりあえず謝った。

それでもまだ少し変な空気が残っていたが、西園寺が手を鳴らして空気を変えた。


「平里、流石にもう落ち着いたわよね?続き、話してもらえる?」


西園寺は先程までとは打って変わって真剣な眼差しでこちらを見た。


「あ、ならその前に眼鏡を・・・」

「ああ。話す。」


風早さんの言葉を無視してそう返すと、西園寺は満足そうに笑った。


「そうこなくちゃ。もしまたループするなら、今のうちにヒントくらい見つけておきたいしね。」

「あの、眼鏡・・・」


風早さんの言葉を押しのけるようにして、西園寺はポケットから取り出した個人用の赤いスマートフォンの録音アプリを起動しながらそう言った。


「返して・・・?」

「ループってどういうことですか!?」


桐生の疑問の声に風早さんの言葉はかき消され、彼女の耳には届かなかった。


「桐生、それはあとで纏めて話してあげるわね。とりあえず先に平里の話を聞きましょ。」

「・・・・・・眼鏡・・・」


もはや誰も風早さんの眼鏡のことを気にもとめず、とんとんと話だけが進んで行った。


「とはいえ、最後の方のことはあんまり憶えてないんだが・・・」

「あんな重傷負ったんだし、そのくらいはしょうがないわよ。・・・ちょっと録音しやすいようにさせて貰うわね。」


西園寺はそう言いながら部屋の隅に畳まれて積まれていたパイプ椅子を五脚一気に持ち上げると、部屋の真ん中に下ろした。


「あ、手伝う。」

「私がやるから平里は休んでなさい。」


椅子を並べるのを手伝おうとすると、桐生に止められた。


「怪我人は大人しくしてて。それに・・・嫌なこと、思い出さなきゃいけないんだから。」

「・・・・・・それは、・・・わかった。」


先程の自分の情けない様子を思い出して、俺は渋々頷いた。


義手の性能を試そうと思ってたのに・・・。データは多ければ多いほど良いのだから。


そういえば、と何かを忘れているような気がしてぐるりと部屋を見回した。

南向きに大きく取り付けられている窓。テキトーに隅に寄せられたリハビリ器具・・・だった木片。隅に寄せられた他の手作りのリハビリ器具と一つだけ残されている勉強机に、教卓の撤去された教壇・・・あ。


「桐生。」

「ん?どうかしたの。」

「眼鏡。風早さんに返すから・・・」

「あ。」


桐生もすっかり忘れていたようで、慌てて胸ポケットから眼鏡を抜き取ると俺に差し出した。


「はい。」

「ありがとう。」


俺はそれを持って未だ項垂れている風早さんに歩み寄った。


「風早さん。」

「なに・・・ってうわ!?」


拗ねた表情でこちらの方を見上げた風早さんの耳に眼鏡のつるをすっと差し込んで掛けると、風早さんは意外そうに目を少し見開いた。


「手渡すだけで良かったんじゃない?・・・またそれの動作テストしたかったの?」

「別に良いじゃないですか、このくらい。」

「はいはい。・・・・・・魔導師じゃなくて、技師の方が向いてたんじゃないかなぁ。」


ぽつりとそう零して、風早さんは眼鏡をくいっと指先で持ち上げた。


「椅子、並べ終わったわよ。」


西園寺はそう言って急かすように手招きすると、輪になって並べられた椅子に腰を下ろした。桐生もその隣に座る。


「わかった。」


そう返事をして俺が椅子の前に回り込んで座ると、追従するように風早さんも残った椅子に腰掛けた。


「それじゃあ、話して頂戴。」


中央の椅子に置かれたスマートフォンの、画面に表示されている録音開始ボタンの上に指を重ねて西園寺は俺に促した。俺は深く息を吸い込んで、ゆっくりと話し始めた。



「ああ。・・・・・・あの後俺たちは___」

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