三月十九日 ※残虐表現あり
「なんていうか、全然出てこないね。」
怪異のほとんど現れない坂道を一列になって下りながら、久山はそう言って泥の跳ねた手を上着の裾に擦り付けた。
「油断すんなよ。」
「してないよ。多分。」
「オイ。」
諌めるように俺はそう言って、辺りを見回した。ただの岩壁に、なんの罠も仕掛けもない坂道。不審なものといえば、坂道に等間隔で積み上げられている小石だけだ。
崩したら何かあるだろうか。
ふと魔が差して、俺は崖の方にある石積みに惹き寄せられるように手を伸ばした。
・・・いや、やっぱりやめておこう。大事になったら大変だし。
俺はそう考えて、すっと手を戻した。
「平里?何か気になるものでもあったの?」
そう呼び掛けられて振り向くと、映像端末を眺めている神原の後ろからひょっこりと顔を覗かせた小鳥遊の菫色の瞳と目が合った。
「え?あ、ああ・・・あの小石がずっと道に沿ってあるのが気になって。」
答えようとすぐに口を開けたものの、何故か一瞬だけ言葉に詰まった。
もしかして俺も気が緩んでたか?
そう考えた俺が気を引き締め直していると、小鳥遊は小さくふむ、と色白な指先を頬に当てながら呟いて石積みの方へ視線を向けた。
「たしかに・・・。なら、解析してみるね。」
足を止めるよう久山に呼びかけると、小鳥遊はそう言って小石をひとつ摘んで肩から吊り下げていたサッカーボール程の大きさの黄色い球体にコツンと軽く当てた。するとキュインっと小さく内部から駆動音がして、しばらくジージーと鳴いていたが、やがて静かになった。
「・・・ただの石みたい。」
「そうみたいだな。」
そう言って俺たちは沈黙した球体を見つめた。なにかしらあれば結果が浮き上がるはずなのだがそれがない。本来ならば、安心すべき結果なのだろうが___
「逆に不気味だな。こんな場所にあるのに。」
「うん。・・・確かに石積みの形はバラバラだし、ただ積み上げただけみたいに見えるけど・・・。」
うーんと二人で首を捻っていると、間にいた神原が不満気な声を上げた。
「ねえ、僕を挟んで会話するなら僕にも話振ってくれない?」
僕にも聞くべきなんじゃない、とヒソヒソと俺に向かって付け足すと神原は雪のように白い髪をくるくると指に絡ませ始めた。
「すまん、忘れてた。」
「なにを?」
「存在?」
「それはひどくない?」
頬を膨らませて抗議する神原の様子が久山とそっくりで、俺は思わずほっこりとした気分になった。
血縁があるだけで実の兄妹じゃないのにここまで仕草が似るほど仲良くなってたのか。あの頃からは想像できないな。
霊域内だというのに微笑ましくなった俺が神原を眺めていると、神原は何か慌てた様子で目線を思いっきり逸らした。
どうかしたのかと思って口を開いた時、ふと隊列後方から声がかかった。
「取り込み中すみません。今は地図のどの辺りまで来たのでしょうか?」
「あ、ちょっと待ってね。確認する。」
ガシャンと自分の背丈程もある大盾を抱え直しながら大岩が訊ねると、神原は映像端末を操作し始めた。そしてホログラムが映し出されると、神原は地図の終わりの辺りを指先で示した。
「この辺り。もうすぐ中層エリアに入るとこだね。」
「そうですか。確か、桐生さんの話だと強い怪異がいると・・・。」
「そうだね。・・・、・・・。」
大岩の言葉に、神原は何かを言いたげに視線を迷わせて辛そうな顔で口を噤んだ。
「・・・ま、確実に倒していけば大丈夫だろ。今までの霊域だって事前にマッピングがまともに出来なかったことはあったんだ。」
神原の様子に嫌な予感がしながらも、俺はそう言った。
「だろ?神原。」
「・・・うん。そう、だね。うん、そうだ。」
ポンポンと神原の肩を軽く叩きながら声を掛けると、少し和らいだ表情で神原はそう呟いた。
「ねぇー、そろそろ行く?」
いつの間にか座り込んでいた久山が先方を指さして問いかけると、各々頷いた。
「じゃ、行こう。装備とか大丈夫だよね?特に大岩。」
「はい。盾役としてしっかり後ろは守ります。」
「よろしい!それじゃ、いっくよー。」
「おい待て。罠とかあるかもしれないんだから、もう少し慎重にだな・・・。」
スタスタと罠の警戒もせずに先頭を進む久山に俺がそう忠告をしても、はいはいと聞き流すばかりだった。
やがて目の前に蜃気楼のように揺らぐ鳥居が現れると、こればかりは久山もピタリと足を止めた。
「ねぇ兄さん。こっから先が中層?」
「地図によればそうなるね。」
「そっか。」
神原の返答を聞いた久山は、そのまま右足を鳥居の先に突っ込んだ。
「少しは躊躇してくれないか?」
「なんで?罠とか無かったし良いでしょ?」
「・・・怪我するかもしれないだろ。」
絞り出すように取ってつけた理由を言うと、久山はふーんと無関心極まりない生返事をした。
「死にさえしなければ兄さんがなんとかしてくれるだろうし、そこそこ頑丈な私が先行すれば良くない?」
「駄目だ。」
「怪我して欲しくないから?」
「まぁ・・・そうだな。」
神原の霊力だって無限にあるわけじゃないしな。
口には出さずにそう付け足すと、久山はなんだか嬉しそうに笑った。
「そっか。そっかー。それならもうちょっと慎重に行かなきゃだね!」
「是非そうしてくれ。」
呆れた様子で俺がそう返すと、久山は頬を軽く両手で叩いて前方へ向き直った。
「それじゃ、行くね。・・・えいっ。」
そんな声を出しながら鳥居の先へ飛び込むと、久山はキョロキョロと周りを見た。
「・・・なんか、すっごい静か。この辺怪異の気配ないよ。」
「そうか。」
返事をしながら俺も飛び込んで辺りを探った。しんと静まり返っていて・・・何もいない?
「・・・潜伏してるとかはないのかな。」
不安げに神原はそう言いながらこちら側へ飛び込むと、同じように周囲を警戒しだした。
「そこまで知能の高い怪異だったら、数は多くないのかも?」
ぴょんっと鳥居をくぐると、小鳥遊はそう言った。
「でも、甲級ですよ?知能の高い怪異が司令塔してたりとか・・・。」
恐る恐る鳥居をくぐり抜けると、茜塚は小鳥遊にそう話しかけた。
「だが、どのみち我々にはそれを知る術はないだろう。」
茜塚にそう声を掛けて、大岩は鳥居をくぐった。
「とりあえず・・・全員周囲の警戒を怠るな。何かあったらすぐ声に出せ。いいな?」
俺がそう呼びかけると、真剣な表情で全員頷いた。
「よーし。頑張るぞー。」
気合いを入れる為なのか、久山はそう小声で言うと、坂道を進み始めた。
俺もそれに続こうと足を一歩踏み出したその時___
後ろの方から、ぐちゃりと嫌な音が聞こえた。
***
:::以下残虐表現あり:::
***
「あ、?」
音のした方へ目を向けると、壁から伸びてきた黒い嗄れた小さな手が大岩の身体を貫いていた。大岩は何が起きたのか理解できずにただただ自分の胸の中心から生えている腕を呆然と眺めていた。手はずぷりずぷりと湿った音を立てて何度か自分で開けた傷口を弄ぶと、そのままずるり、と大岩の心臓を一気に引き抜いた。
背中からだらりとケーブルのように血管を垂らし、白い制服の胸元に赤黒い染みを作りながら崩れ落ちていく大岩のことを気にも留めずに、腕は心臓を暫く両手___群れの中の二本で弄り回していたが、やがて飽きたようにぽいっと投げ捨てた。
僅か数秒の間に起きた惨状に誰も反応出来なかった。
放り捨てられた心臓は鞠のように二、三度跳ねると、茜塚のブーツの先を汚した。
「おお、いわ?」
一拍遅れて放心したように茜塚は呟くと、頭に血が上った様子で叫んだ。
「よくも!!!」
「だめ!茜塚!」
小鳥遊が茜塚を制止しようと手を伸ばしたが、すんでのところで届かずにその手は空を切った。
茜塚の権能の、深紅の蝶々が鮮やかに舞う。
それを待っていたかのように、天井から無数の腕が絡み合いながら茜塚へ手を伸ばしてきた。黒い奔流に揉まれて蝶たちはバラバラに砕け散った。
「そんな!?」
「っ茜塚!」
久山は目を見開いて硬直した茜塚の手首を掴んで引き寄せると、そのまま後ろへ跳んだ。
それに合わせて俺は魔導拳銃を右脇のホルスターから引き抜きながら小鳥遊の前に飛び出した。
「小鳥遊!支援頼んだ!」
「わかった。お願いね、ひよごろー。」
小鳥遊は黄色い球体にそう語りかけると、ぽんっと宙に放り上げた。
球体はくるくると空中で回ると、日の出を思わせる程の眩い光を発しながら小鳥の形をしたロボットへ変化した。
金色の光から腕たちは逃れようと藻掻くように身を捩ると、突如甲高い悲鳴を上げた。
「キィィィィィィィアァァァァァァァ!!!」
「ううっ」
「なんだ!?」
耳障りな音に顔を顰めていると、背後からどんどんと大きな地鳴りが近付いてきていることに気付いた。
「・・・神原!後ろ!」
目線だけ向けながら急いで呼び掛けると、久山は抱えていた茜塚を神原に押し付けて振動源へ思いっきり踵を落とした。
するとその地点から蝦蟇蛙に似た、二足歩行のでっぷりとした怪異がずるずると這い出てきた。
挟まれた___!?
まさか挟撃するために予め低層に潜んでいたのか?それともあの虚ろな鳥居から出てきたのか?
いや、今はそれを考えている場合じゃないだろ!落ち着け、落ち着くんだ俺。
頭に浮かんだ疑問を振り払うように正面の腕に向かって発砲すると、その腕は煤のように粉々になって消えた。
「伏せて!」
その様子を見ていた小鳥遊はそう叫ぶと、ゴソゴソと袂から赤いソフトボール大の球体を取り出すと、勢いよく腕の密集している箇所に投げ込んだ。
俺が慌てて地面に突っ伏すと、ボンっと弾ける音と黒い粉塵が目の前に広がった。
それと同時に、大岩の死体までの道が開けた。
「・・・ッ」
悔やむのは後にしろ。今は目の前に集中しろ。
自分にそう言い聞かせながらバッと上半身を起すと、俺は黒煙の中を駆け抜けた。そのまま大岩___の傍らに落ちている大盾を掴んで折り返した。
「全員固まれ!混戦になったら死ぬぞ!」
重たい大盾を片手で引き摺って走りながら喉が裂けそうなくらい全力でそう叫ぶと、俺は前方の蝦蟇の眉間に銃弾を撃ち込んだ。
「ナイス平里!」
蝦蟇が堪らず傷口を押さえて悶えている隙に久山が権能である黒い雷槍を蝦蟇の右目と腹目掛けて放った。
「グギャ!?」
雷に貫かれた蝦蟇は悲鳴を上げて動かなくなった。
「よし!次!」
久山はくるりと体の向きを変えてこちらを振り向くと、そのまま俺の方に突っ込んできた。
嫌な予感がした俺は拳銃を腰側のホルスターにしまい込んで膝を付くと、大盾を斜めに構えて両手でしっかりと固定した。
「とりゃっ」
久山は丁度いいとばかりに盾を踏みつけると、そのまま踏切り台のようにして跳び上がった。
「・・・っせい!」
掛け声とともに久山が浮かび上がらせた黒い雷槍を横に薙ぐと、いつの間にか再生を始めていた黒い腕たちがバラバラと枝のように折れて粉々になっていった。
「こいつら再生するのか・・・厄介だな。」
蠢き犇めきながら再びぼこぼこと天井から腕が生えてくる様を眺めながら俺が呟くと、久山も表情こそ変えないものの冷や汗をかきながら頷いた。
「毒みたいに持続的にダメージ与え続けないとキツイかも。」
「そう、だな・・・」
久山はトントンと片足跳びで俺の隣まで下がってそう言った。毒と聞いてちらりと茜塚の方に視線を向けると、彼女は立ち上がって深く息を吸い込んだ。
「いけそう?」
先程まで隣で介抱していた神原が茜塚にそう問いかけると、茜塚は静かに頷いた。
「取り乱しました。すみません。」
そう言って茜塚は小鳥遊の横に並び立つと、権能を発動させて目を刺すような紫の蝶々を顕現させた。
「毒で削ればいいんですよね?久山先輩。」
「うん。できるね?」
「はい。」
久山の問いに茜塚は頷くと、暗い瞳に激情を滲ませ蝶たちを腕の群れにけしかけた。
向かい来る蝶をまた砕こうと腕たちが蝶に手を伸ばすと、触れたところから腕が爛れ始めた。
爛れた腕は悶え苦しむように腕を引っ込めようとしばらく動いていたが、やがて力尽きたようにぼとりと焼け落ちて地面に煤けた跡を残した。
それに連鎖するように、一本、また一本と蝶が触れた手がぼとぼとと同じように煤になっていく。
「ありがと茜塚。このまま仕留めるよ。・・・兄さん!ことちゃん!」
「任せて!」
「うん、出力上げるね。」
神原の慈雨、小鳥遊の陽光。
それらのバフで底上げされた久山の筋力と茜塚の蝶の効果付与。
長期戦にはなるだろうが、活路が見えてきた。
「平里!補助お願い!」
「わかった。」
俺は返事をすると盾を構えて二人の前に出た。
「大岩ほどじゃないがサポートする。だから茜塚は久山の支援に徹してくれ。」
「・・・はい!」
つい数時間前までは大岩が片手で軽々と持ち歩いていた、タングステン鋼の大盾を両手で持ち上げて向かい来る腕を俺が弾き、防ぎ、その間に二人がダメージを与える。
少しずつとはいえ、腕の数も減ってきた。所々再生しない部分も見受けられてきたから、突破口が拓けるのも時間の問題だろう。
いける___!
誰もがそう思った直後。
びちゃっ、と嫌な音を立てて床から生えてきた一本の腕が茜塚の腹を突き破った。それと同時に、紫の蝶たちも糸の切れた凧のように不規則な軌道を描いて墜落していった。
「・・・茜塚!!」
神原がそう叫んで茜塚の傷を治すべく権能を集中させようとしたが、彼女は静かに首を横に振った。
「・・・先輩達。あとはお願いしますね!」
額にびっしりと汗をかき、ボタボタと口から血を垂らしつつも茜塚は笑顔を作るように顔を歪めると、再び権能を発動させた。ぱっと小さな、赤い蛍火が周囲を照らすと、彼女の身体は解けて色とりどりの蝶々に変わっていった。
今際の際の三次覚醒。茜塚の蝶の群れはひとつ、またひとつと腕に砕かれ千切られながらも踊るように飛び回って鱗粉を撒き続けた。
鱗粉は眩い光を放って黒い腕たちを包み込むと、次々に腕は崩れ去っていった。
そして何も無くなった天井に、最後に残った赤い蝶はひらひらと彷徨うように弧を描くと、隅に転がったままの大岩の肩に止まって動かなくなった。
戻れなかったのか、戻りたくなかったのか。
ぼんやりとそう考えながら周囲に異変がないことを確認すると、俺は振り返ってしゃがみこんでいる小鳥遊に声をかけた。
「・・・先に進もう。」
「・・・うん。そう、だね。」
小鳥遊は返事をしたあとも二人の方を名残惜しそうに見つめていたが、やがて立ち上がって前を向いた。
俺が神原と久山の面倒を見ていたように、ずっと茜塚と大岩の引率をしてきたんだ。こんな形になって、辛いんだろうな。
俺は軽く息を吸い込むと、隊列の相談をしようと久山に駆け寄っている神原の方に足を向けた。
その時。背後でドンッと大きな音がした。振り向くと、死んでいたはずの蝦蟇が、最後の力を振り絞ってこちらに跳んできていた。ハッとしたときにはもう、数十センチメートル程の距離で鮟鱇のような大きな口がぽっかりと開いていた。
「しま・・・っ」
た。
と思った。
「平里!!!!」
小鳥遊の呼ぶ声がしたと思った直後、ドンっと鈍い衝撃が走り、俺の身体は吹き飛ばされていた。顔を上げると、先程まで俺が立っていた場所に小鳥遊の小さな後ろ姿が見えた。そして、その上から迫り来る鋭い歯。
「小鳥遊!!!」
掠れた声で叫ぶと、小鳥遊はこちらを振り返った。そして、その口元が微笑みを形作った途端___。
ぐしゃり、と歯が落とされ彼女の姿が潰れた。蝦蟇の口の端から赤黒い液体がドロドロととめどなく溢れているのを、俺は呆然と眺めることしか出来なかった。
俺はただ茫然と立ち尽くしながら、 生温かいものが、頬を伝うのを感じていた。
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