第005話 恩返し

「こんな所へ連れてきて何のつもりだ!ここまで育ててやったというのにこの恩知らずめが!」


 初老に差し掛かろうかと言う男が喚いていた。冒険者ではない。それどころか、平民では幾ら働いても着ることは出来ないであろう服を着た、明らかに場違いな男。

 が洞窟の壁際に転がされ、泥砂に塗れながら声を張り上げているのだ。


「さっさと馬車を呼んで来い!代官たるこの私が、このような汚れた格好で外を歩けるか!そもそも私のような高貴な者が歩く必要など、分かったら早く行け、この役立たずがッッッ!!糞っ、面倒事はもう十分だというに…」


 騒ぐ男の前には一人の少女が立っていた。平民に比べれば幾分上等だが、男の格好とは到底釣り合わぬ服を纏う、しかし誰にでも愛されるであろう可愛らしい少女。


「何を仰っていますの?私はお父様に恩返しをしようと思って、ここまでお連れしたのに」

「お父様がいつも仰っていたでしょう?私にもっと魔力があれば、私は代官なんかで燻って良い存在ではないって」


 だが何より釣り合わぬのは、首元や袖から覗くその肌。焼けただれた、酷い火傷の痕だった。


「お父様が連れてきて下さった先生のお陰で、私の魔力、こんなに増えたんですよ?」

「色んな魔法も覚えました。炎の魔法も。回復魔法も。身体強化も。全部全部、お父様に褒めて貰いたくて、私頑張ったんです」


 唄うような声で、唄うように言葉を紡ぐその少女の目に悪意の色は見えない。


「最初は先生にお願いしようと思ったんです。でも何処かに行ってしまったので...」

「だから、代わりに私がお父様の魔力を増やすお手伝いをしようって思ったんです」


 当然だ。少女の行為は、厚意であり、好意である。

 当然だ。なぜなら少女は父を愛している。


「ではお父様、そろそろ始めさせていただきますね」

「最初は苦しいと思いますが、こんな私にも出来たんです。お父様ならきっとすぐ出来ると思います」


 男はずっと騒ぎ立てているが、既に少女の耳には届いていない。

 だって、少女が何を言っても『お前の為だ』と言って聞いてくれなかった。


—— ただ少女はその男を、大好きなお父様を、大好きなお父様の為に燃やすのだ ——


 男が泣き喚いているが、少女はめたりしない。

 だって、少女が涙を流しながら訴えても『お前の為だ』と言ってめてくれなかった。


 男は必死に火を消そうと地面を転がり、部屋の隅に湧く小さな泉に気付くと泥に塗れるのも気にせず…いや、必死に泥を被ろうと一層激しく転げ回った。


「最初は腕だけですから安心してください、それに私は回復魔法も使えますから」

「腕が黒くなってても治せるようになったんですよ、凄いと思いませんか?」


 回復して。燃やして。回復して。燃やして。回復して。


「少しずつ範囲を広げますね」

「ほら見てください。魔法の制御、上手くなったでしょう?」


 燃やして。回復して。燃やして。回復して。燃やして。


「どうですかお父様。魔力は増えていますか?耐性は付きましたか?」

「先生が仰っていたんです。ダンジョンは魔素が濃いから、外よりも効率が良いはずだって」


 男は静かになったが、少女はに優しい眼差しを送っていた。

 だって、少女は静かにしている時は叱られなかったから。


—— 子供の頃にお母様が読んでくれた絵本に書いてあった。

—— 父親は厳しいけれど、それは子のことを思っているからだって。

—— 厳しくするのは、それが不器用な父親なりの愛なんだって。


—— だから"父が愛してくれたように"私もお父様を愛するのだ。 


「少し騒がしくなってきましたね、冒険者でも来たんでしょうか」

「お父様の邪魔はさせませんので、安心してください」


 その表情かおは慈愛に満ちていた。


「大丈夫です、全て私にお任せください」


—— だって、お父様の為ですから。


——————————

Tips:代官

 領主に代わり任地を治めるが、僻地では目が届きにくく横暴な者も少なくないのが実情。今話の代官は悪い意味でその体現者。優秀だった先代に対し、当代は文武共に冴えなく、魔力も低い。その為、流れてきた研究者に大金と娘、反抗的な家人けにんを差し出し、魔力を増やそうと画策していた。

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