第16話

「ははっ!無駄だ!!召喚を始めた時から、もう手遅れなんだよ!」


 つまり、召喚に時間がかかっていただけで、召喚そのものを阻止する事は最初から出来なかったと。ならば自身に対する後悔や嫌悪というものはなくて済む。それだけでも心の負荷がなくなった分、あたしはただ魔人が現れた時にぶっ叩く事へ意識を集中するのみ。


「金も権力も……酒も!女も!全て私の手にーー!!」


 大神官がくだらない叫びを上げた時、魔法陣から黒い人影が現れた。

 それは四本の角と屈強な肉体を持ち、背中には黒い羽根が生えている。


 ――これが、魔人。


 皆が息を呑み、その存在を見つめていれば、魔人は大神官の方へ視線をうつし……そして言った。


「童貞か。その欲は力になる」


 ――童貞。


 魔人の言葉に、一瞬空気が凍る。


「いや、まぁ……教会に仕える大神官なわけだし……いや、でも魔人を崇拝していて…………え?」


 まさかの発言に狼狽えたジャンが、そんな事を呟きながら大神官の方へ……というか大神官に胸を押し当てるように密着している、露出高いロアナへと視線を向ければ、皆も同じように視線を向けた。


「……女もって……言ってたよな……?」

「……不能?」

「狭い範囲の好みとか……」


 ジャンの呟きに、レオンの突っ込みに、王太子殿下のフォローらしからぬ声まで聞こえたのか、大神官がプルプルと震える。

 ロアナはロアナで、私が初めてを……!なんて目を輝かせているんだけど、何か……何というか、露出破廉恥聖女は置いといて。


 ――これだから男って奴は!!


 まぁ、その他大勢の男はあたしには関係ない。あたしが関心あるのはユーリィだけで、ユーリィの方へチラリと視線を向ければ、ユーリィはただ魔人を睨んでいるだけで興味がなさそうだ。

 それに安堵した息を漏らせば、レジェがポツリと、魔人の気配に他事への余裕が一切ないだけですとか言いやがったけれど。

 それでも!今!この状況で!ロアナの肢体に視線を向けていない事が良いんだよ!ちくしょう!


 あたし達がそんな事をしていると、魔人は大神官の方へ一歩踏み出すよう近づく。


「いや、供物はあそこに!魔力が豊富な魔王が!!」

「お前の醜い欲望の方こそ、我にとってはご馳走だ」


 魔人の言葉にロアナが大神官を庇うよう前へ出て両手を広げれば、その背中を盾にする大神官。

 え、本当に屑すぎませんかね?自分で召喚しといて、自分が供物になりそうだったら他人を捧げるの?でも……。


「この女の欲望程度では足りん、お前だ」

「ヒィイイ!!」

「大神官様は貴方の主人になる方です!」

「……なんだと……?」


 あ、魔人が怒った。

 それが分かる程、魔人の威圧、そして膨れ上がる魔力があたしにも理解出来た。

 レオンやジャンも既に攻撃態勢に入り、レジェはユーリィを必死に支えている。まぁ、気絶はしていないんだけど。王太子殿下も、皆の邪魔にならないようにと一歩下がる。

 魔人が指定した供物を、まさか主人と言えば……否、魔人が誰かに従うとかあるんだろうか。

 意外とロアナって……馬鹿?


「やめなさい!!」

「やめろロアナ!まだ供物を捧げていないのだ!」

「何を供物にしようと、我を従えられるわけないだろう」

「ヒィイイイイ!!!助けてくれ!誰か!誰かー!!」


 制御不能。

 これ、最初から調べて知っていたら召喚なんてしなかったよね。大神官も馬鹿なんだろうか……。暇だからこそ、調べれば良いのに、欲望ばかり膨れ上がらせた脳内妄想野郎なのか……。



 ◇




 ――どうしてこうなった。


 リュク・シヴィルは目の前にある危機から、今までの人生を振り返っていた。まさに走馬灯と呼ばれるものだろう。


 平民として生まれ、その日食べるものすらも苦労していたし、貧乏という事で多少金を持っている奴らからは奴隷のように扱われていた。ただ必死に生きる為に生き、虐められていたからこそ、他者に同じ思いをさせる事が嫌で、優しくあろうと努めた。


 ――ただの偽善だとしても。


 その転機が訪れたのは教会による職業鑑定。

 大神官と現れれば、周囲は一転し、人は自分に頭を下げ、煌びやかな生活が待っていた。両親と離された事なんて頭の片隅にもなく、ただ今までとは違う美味しい食事に綺麗な服、尊敬される自分に酔っていた。

 そして、元々顔立ちが良かったのだろう。頬を赤らめながら寄って来る女達。初めて味わった酒の美味しさ。

 人を助けようと、助けまいと、大神官という名であれば関係なく傅かれ尊敬される。で、あれば、背徳に溺れる事など早かった。


 ――神がなんだ。


 適正職業如きで人生が一点する。なんてくだらなく、なんて至高だ。

 逆転人生を授けてくれて有難い気持ちはあるものの、それまでの人生を思えば恨む気持ちがあったのも事実だからこその結果だ。


 ――だけど、女と一線を越える真似だけはしなかった。


 それはただのプライドだ。

 失敗したら嫌だという気持ち。全てを手に入れている素晴らしく完璧な自分に汚点をつけたくない。娼館で手ほどきされた事すらもバレたくない。自分1人でどうにか出来る問題でもなく、先送りにしつづけた結果――。


 気が付けば、若々しいまま35歳になっていた。


 拗らせれば妖精が見えるようになると言うのは本当だったのだろう、その頃から黒い妖精が見え始めた。

 そいつ等は、背徳に溺れる事を肯定し、挙句更に諭してきた。妖精が言う事ならば良いのだろうと、諭されるまま、教えを神から魔人へと気が付かれないよう少しずつ変更していった。

 くだらない神への反抗心。

 そして諭されるまま、世界征服を望み……40歳で腹黒な妖精の仲間入りを果たした私は、魔人召喚の魔法陣を知った。


 あの腹黒妖精は何だったのだろうか。

 自分が作り上げた幻なのか。ただの幻想と妄想で、私は…………。


 結局、考えても分からない事もあるが、ただ自分のしてきた事への末路だという事は理解した。



 ◇



「助けてくれ!!!金も権力もやる!やるから!!!」

「くだらん」

「お前等!私を助けろ!!」


 魔人に命乞いは無駄、ならばと勇者達へと声をかければ、悲痛な一言が返ってきた。


「拗らせ童貞が」


 マリーは嫌な者を見る目で言えば、ロアナが噛みつく。


「童貞の何が悪いのよ!」

「童貞が悪いんじゃない。拗らせてるのが悪いんだ」

「今はそれどころじゃないだろ!!」


 この二人は現状を理解しているのか!と叫ぶ大神官の声と共に、いくつかの足音が階段を駆け下りてくる。


「大神官様!?どうかされましたか!?」

「え!?これは何!?」

「聖女様!!」

「この部屋は……?」


 悲鳴を聞いて駆けつけたのか、何人かの神官達が地下室にやってきて、驚愕した。それに、この部屋の存在自体を知らなかったのか、後方に居る神官達は戸惑いの声さえもあげている。

 ……まぁ、魔人召喚の魔法陣が描かれていれば、隠し部屋にもするよなぁ。むしろ見られないよう、隠し部屋に描くか。

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