第6話

「――る? ……のみ……」


 うつらうつらとまどろみの中で、声が聞こえる。

 鈴のように清らかなその声に、僕の意識は少しずつ覚醒していく。


「――――たぁ! ごめんごめん、噛まないで!」

「…………マーロン?」


 ぼんやりと目を開けると、リス美と戯れるエプロンを着たマーロンの姿があった。

 その手には木の実が握られていて、リス美に餌を与えようとしていたとこらしい。


 あれ、いつ結婚したんだっけ?


「あ、おはようございます先輩」

「おはよう……」

「昨日はごめんなさい、レストランで寝ちゃった僕を家まで運んでくれたんですよね? お手数をおかけして申し訳ございませんでした」


 と、そうだった。

 寝ぼけていた頭が覚醒してくる。うん、そうだそうだ、まだ結婚してないわ。


 昨日飲食店で寝落ちしたマーロンを運んで、ベッドに寝かせた後自分はソファで寝たんだった。


「お詫びに朝ごはんでも……と思ったんですが、食材とか使っていいか分かんなくて……」

「ああ……好きに使っていいよ。僕はちょっと顔を洗ってくる」


 洗面所へ行き、顔に水をぶっかけたところで、気付く。

 え? マーロンが朝ごはん作ってくれるの?


 そんなのもう……結婚じゃん……!


「~~♪」


 鼻歌交じりに食材を焼く音が聞こえてくる。

 落ち着け落ち着け、マーロンは寝落ちしたところを介抱してくれた礼をしたいだけだ。


 しかし……付き合ってもいない男の家に連れ込まれて、全然何とも無さそうにしてるが、警戒心が薄いのかな?

 田舎出身で常識に疎いと言っていたし、もうちょい男を警戒するように指導した方がいいな。


 洗顔を終え、身だしなみを整えたところで良い匂いがしてきた。


 リビングに行くと、テーブルにはスクランブルエッグとサラダ、バターがたっぷり塗られたパンに、フルーツジュースと完璧な朝ごはんが並べられている。


「あ、朝ごはん出来ましたよ~」

「ああ、ありがとう」


 美味しそうだ。本当に料理上手なんだな。


「では、いただきます」

「はい、いただきます」


 スクランブルエッグを口に含む。

 ん、美味い。味付けになにかコツでもあるのかな?


「美味いな、……毎朝作って欲しいくらいだ」

「えー? 本当ですかぁ?」


 料理を褒められて、ニコニコと嬉しそうだ。

 【料理】スキルを持っていて、店を開いている本職と比べたら流石に劣るのだろうが、家庭料理としては100点である。


「【料理】系のスキルを貰えたら、料理人になろうと思っていたんですよ。まあ冒険者もやってみたかったので、【闇魔法】に文句があるわけじゃないですけど」

「そうか」


 いやしかし、美味い。好きな人が作っている補正もあるだろうが、美味い。

 雑談もそこそこに、あっという間に食べてしまった。


 フルーツジュースを飲んで一服していると、マーロンが「ところで」と話題を切り出してきた。


「今日は何をするんですか? 早速Eランククエストですかね?」

「いや、今日はクエストには行かない。まだ疲れは取り切れて無いしな」


 Eランク以上のクエストは報酬が美味しいけどキツイので、一度クリアしたら数日休むのが鉄則だ。


「ふーん、じゃあ今日はぶらぶらと前教えて貰った冒険者向けのお店でも回ろうかな……?」

「とは言ってもやっておくべきことはある。悪いがこの後少し僕に着いてきてくれ」

「え? あ、はい」


 朝ごはんを食べ終えて、仮面とマントを装備して街へと繰り出す。


 戦闘の予定は無いので、聖剣はお留守番だ。


「何処行くんですか?」

「浴場だ」


 結局昨日は僕も風呂にすら入らず寝てしまったからな。

 清潔感は大事だ。蒸したタオルで身体を拭いてもいいのだが、しっかりと身体を洗うなら風呂に入った方が良い。


「此処だ」


 でかい煙突のついた、木造建築の前で足を止める。

 この国では王都にしかない、なんか東にある小さな国の『セントウ』とやらを模倣した浴場である。


「おおー、あの煙突のある店何かなって思ってたんですよ、公衆浴場だったんですね」

「ああ、入るぞ」


 中に入ると、異国情緒溢れる情景が広がっている。

 『カン字』とかいう東の国の文字があちらこちらに書いてあって、読めないが何となく雰囲気が良い。


「むっ」


 受付でお金を払い、使い捨てのタオルや石鹸を受け取ったところで、なんだかお腹が痛くなってきた。

 ちょっと我慢出来そうにない便意だな……幸いこの浴場にはトイレがある。


「すまんマーロン、ちょっとトイレ行ってくるから先入っていてくれ」

「はーい」

「先に風呂出たらそこのベンチで待っててくれな」

「? はい」


 風呂上りの人の休憩所として用意されているベンチを指差してから、トイレへと向かう。


 トイレでの描写は省略させてもらうとして、トイレから出てきた僕は、ロビーにマーロンが居ないことを確認した後、『男湯』と書かれた暖簾をくぐって脱衣所に入った。


 こういう公衆浴場は嫌いじゃない、むしろ好きだ。

 仮面を外しても、周りには確定で男しかいないから誰かを【魅了】してしまうこともないしな。


「じゃあリス美、ちょっとここで待っててくれよな」

「きゅ」


 脱衣所の籠に仮面とマントと服を入れて、タオル一丁で風呂場に入る。


 髪と身体を洗ってから湯船に入るのがマナーだ。

 壺に入ったお湯で髪と身体を濡らし、石鹸を泡立て身体を洗う。


 泡を洗い流したら、ようやく入浴だ。

 天然の温泉から直接水道を引いているらしいこのお風呂では、お湯が白く濁っている。


 この濁りがなんかお肌に良いらしい、よく知らんけど。


「ふぅ~……」


 お湯に浸かると、落ち着く……。

 疲れがお湯に溶けていくようだ。


「いや~、良い湯ですね、先輩」

「そうだな……」

「こんな大きいお風呂初めて入りましたよ、ハマ村には公衆浴場自体ありませんし……」

「そうなんだな……………………ん?」


「どうかしました?」


 隣に、タオルを頭に乗せた全裸のマーロンが居た。


 濁り湯のせいで鎖骨より下は見えないが……って注目するべきはそこじゃない!


 なんで男湯こっちにいるの!? 間違えた!?


「な、なん、なん……!?」

「わ、先輩もう顔が真っ赤ですよ。のぼせやすい体質ですか?」


 ちらり、とマーロンの乳首が見えた。

 濡れた髪、紅潮した頬、何もかもがえっちすぎて、頭に血が昇り詰めていく。


 あ、眩暈が。


「先輩? せんぱーい!?」


 遠のいていく意識。鼻から流れ出る赤い血。

 マーロンの声が遠くに響いて――――僕の意識は真っ暗に落ちた。


*****


「はっ!?」


 そして目覚めた。

 ここは……公衆浴場のロビーにあるベンチ?


 身を起こす。マントが布団代わりに掛けてある……あっ仮面は?!

 仮面! 着けてない! 何処だ……?


 腕で顔を隠しながら、仮面を捜す。

 幸い、案外すぐ傍の隣のベンチに置いてあった。


 ふう……で、なんで僕はこんなところで倒れてたんだ?


「あ! 先輩起きたんですね」

「マーロン」


 お風呂上りらしい、ほのかに濡れた髪をしたマーロンが牛乳を二つ持って現れた。


「先輩のぼせちゃったんですよ~。はい、牛乳飲んでください」

「ああ、ありがとう……」


 そうか、のぼせて倒れてしまったのか……。

 マーロンと一緒にお風呂入った記憶が若干あるけど、あれは夢だったか。まあそうだよな、いくら田舎者と言っても男湯と女湯を間違えるわけが無い。


「きゅきゅ」

「リス美も心配してくれたのか、ありがとう」


 リス美の頭を指先で撫でる。

 ひとしきり撫でた後、リス美は満足したのかフードの中へと戻っていった。


 のぼせたからか喉がカラカラだ。

 マーロンから受け取った牛乳のふたを開け、飲む。


「んぐ、んぐ、ぷはぁ……」

「ぷはぁ、風呂上りの牛乳美味しいですねぇ」


 東の国の伝統らしい。

 かの国では風呂上りに牛乳を飲まないものは死罪だとかなんとか。


「よいしょっと……」

「もう起き上がって大丈夫なんですか?」

「ああ、迷惑をかけたな、すまなかった」


 牛乳の瓶を返却所に返して、マントを羽織る。


「次は何処に行くんですか?」

「冒険者ギルドだ」

「? クエストを受けるわけじゃないですよね?」


 頷く。

 今日冒険者ギルドに行く理由は、二つ。


 Eランク昇格の恩恵を受けに行くのだ。

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