アルトゥール視点 かつての日々①
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多分、僕は一応、望まれて生まれた子だった。
実感としては持つには、あまりに遠い記憶な上、ほとんど人づての情報から積み上げた推測でしかない。
『あなたが生まれた時、それはそれは公は喜ばれたのですよ』
『やれ名前はどうする、何を与えたらいいのか、など、私にひたすら聞いてきたんですから』
まるで普通の父親のように。
パルシヴァルがそう言って微笑んでも、僕にはよく理解できない。
僕の父親は「いるのは知っているけれどあんまり関係ない人」だった。可でも不可でもない、有益でも有害でもない、そんな感じの存在。
しいていうなら、パルシヴァルが僕の父親だ。その日も、司祭の仕事で忙しいパルシヴァルを引き止めて、構ってもらっていた。
『……あの』
教会の扉が開かれて、見るとフードを深々被った女の子がいる。
『おや、エレイン。珍しいですね、あなたが教会に来てくださるとは』
何か御用ですか? とパルシヴァルが尋ねると、びく、とフードを被った女の子の肩が跳ね上がった。
『や、用はなくって。……あの』
『トゥール!? ここにいたの』
エレインと呼ばれた女の子の後ろから、母がやって来た。
『もう、トゥール! 勝手に家から出て、心配したんだから』
『……あなた、また誰にも言わずに脱走したのですか』
はあ、とパルシヴァルがため息を着く。
へへ、と僕は笑った。
『しかし、あなたがお一人でここまで来られるとは。方向音痴はなおりましたか?』
『全然!』
僕を抱きしめながら、母ははにかんだ。
母の方向音痴は筋金入りで、屋敷でもよく迷うぐらいだ。
『だから、この女の子にお願いしたの! ありがとうね! お礼に、私の屋敷に来てくれないかしら?』
『や……』
エレインは体を強ばらせ、そのまま走って逃げてしまった。
『……あら』
きょとんと、母が視線だけで追いかけて、大きな目を瞬かせる。
『失礼。あの子は、少々人見知りでして』
お許しください、とパルシヴァルが言うと、そう、と母は僕の肩に腕を乗せながら言った。
『……でも、それなのに私をここまで案内してくれるなんて、とってもいい子ね』
また会えたらいいな。
微笑んだ母はそう言って、扉の向こうを見ていた。
『と、いけない! トゥール、今すぐ帰るわよ!』
『えー』
嫌だなあ。僕、これからパルシヴァルに剣術を教わる予定だったのに。
そんな僕に、母は額にキスを落とし、満面の笑みを浮かべた。
『あなたの誕生日に合わせて、お父さまが宮廷に招いてくれたの! 絵を描いてくださるんですって!』
僕に、父の記憶はあまり無い。あるとしたら、五歳の誕生日に、母と一緒に肖像画を描かされた時だ。
あの時は同じ格好をしなくてはいけなくて、とても退屈だったことを覚えている。そもそも、宮廷服は締め付けが酷くて、ここへ来ること自体あまり好きじゃなかった。
それでも、母が、並ぶ僕と父を見て喜ぶものだから、僕は笑顔を浮かべていた。
『いい子ね、トゥール。お父さまも喜んでいてよ』
そう言って、母は時間を置いて、僕の頭を撫でた。
しかめっ面した老けた父の顔は、全く喜んでいるように見えなかったが、そうなんだ、と僕は返した。
少女の面影を残した母の肌に、水色のドレスはよく映えていて、母をさらに少女らしく見せた。そのドレスは、父からプレゼントされたものらしい。
母が喜んでくれるなら、それでもいいか、と思っていた。
その時の僕にとって、母と父の関係はどうでもよくて、母さえいてくれたらよかった。
僕らが王都の屋敷じゃなくて、修道院の庭の奥深くに押し込められたのは、その後少ししてからだ。
愛人である母は罪人で、僕は恥の子らしい。
大病を患い、聖光教にすがった父は、司祭に言われるがまま、僕らの存在を隠した。
聖光教は、一夫一妻制を尊び、離婚を禁じ、庶子を嫌う。と言っても、それを守る権力者なんてほとんどいない。貴族は結婚することが仕事であり、子を成すことが使命だ。……けれど、決められた相手とまぐわうことを強制され続ければ、そこから逃げ出したくなるのは人間として当然だろう。
現に、父は公妃である妻を嫌っていた。というより、恐れていた。
公妃は、マリアンヌ帝国から来た皇帝の親戚筋だった。何度か会ったことがあるが、強調された目尻には憎悪のようなものが浮かんでいて、とても幼い僕は直視できなかった。
僕らを追い出したのは、周りが公妃の味方だったのもあると思う。
だけど、母と僕に、全部罪をなすりつけるのは、全く理解できない。
そもそも父の罪を、なぜ僕が背負わなくてはいけないんだろう。
それでも、特に不幸だと感じたことは無かった。
司祭であるパルシヴァルが様子を見に来てくれたし、衣食住にはまったく困らなかった。広い庭に出るぐらいの自由もあった。――ただ、父が死ぬまで会ってはならないということだけ。
幼い僕から見ても、母がどんどん焦燥していっているのがわかった。
『トゥール、具合はどう?』
母が、病気になった僕の手を握って言った。
『きつい? 何か食べられる? して欲しいことある?』
そう言って、眠りにつこうとする僕の反応を確認してくる。
高熱でびっしょりになった僕に、『体を拭くね』と母が言った。
『嫌だよ、やめて! 恥ずかしいから』
『だめよ。汗まみれだと、また風邪引くから。いい子にしなさい』
いい子にしなさい。
その言葉を聞いて、僕の体は、まるで氷の魔法を掛けられたみたいに固まった。
『……わかった』
そう言うと、母は僕の体を拭う。
『いい子ね』
そう言って、母は僕の頭を撫でた。
『トゥールはずっと、「いい子」でいてね……』
それからだ。
そう言って、風邪を引かない時ですら、僕の体を拭こうとした。
毎晩毎晩、寝る前に。人に言うのもはばかられるようなところまで。
――何かが変だと思った。
その何かを、僕はどう言えばいいのかわからなかった。
それを説明するには、あまりに僕は無知だった。
僕が、恥ずかしいと思うのがいけないんだ。お母さんは、僕のために体を拭いてくれているんだ。
僕が拒絶したら、お母さまは悲しむ。
いつの間にか、母と一緒にいることが苦しくなってきた。
しっかり閉ざされた窓に、誇りをかぶったカーテン。同じ空間で息をするのも恐ろしいような、例えようのない違和感。
ここにいることを悟られたくない。肉食獣に見つからないように、息をひそめて隠れるウサギのような、はりつめた感覚。
自分がわからない。
僕は相変わらず、お母さまのことが好きなはずなのに、
どうして、お母さまがこんなに怖いんだろう。
『あああああー……!』
突然、母は、堰を切ったように子どもみたいに泣いた。
それを聞いて、僕は慌ててベッドから飛び出る。
『お母さま、どうしたの』
真っ暗なリビングで、月明かりだけが小さな机と椅子を照らしていた。
そこで、ひっくり返された皿が割れていた。
『お皿、落としちゃったの?』
『うわぁぁぁん! うわぁぁぁん!』
泣きわめく母が、すごい力で僕の体にしがみつく。
力の限り泣き叫ぶ声に、心がざわざわする。いつ彼女が泣くのかわからなくて、いつでも駆けつけられるように一日中緊張していた。
『トゥール、君は私を置いてどこにも行かないよね』
そうすると、決まって母はそう言ってすがる。
その必死な声を聞くと、怖い、逃げ出したいと思っていた僕は、罪悪感に駆られた。
『…………うん。どこにも行かないよ』
背中に回した腕は、中々動かない。
動け動け、と自分の体に命じて、震えた腕に力を込めた。
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