アルトゥール視点 ペルスフォレ

「泣いていたぞ」


 エドの端的な言葉に、万年筆の手が止まる。

 それが誰を指すのか、言わなくてもわかった。エドにモルゲンを家まで送るように言ったのは、僕だ。

 呆れた様子を隠さず、エドが言った。

 

「お前さあ、当たり障りない態度をとっているからって、態度の違いがわからないわけねえだろ」


 見えない壁がビシビシ感じた、とエド。


「リンだって、アサに気を使ったからあんだけ話しかけてたんだぞ」

「……リンは、女に弱いからな」


『女性』と言うだけで侮蔑され差別されてきたリンは、その分自分と同じ性別の他者が困っているのを見過ごせない。そこが彼女の良いところであり、少々困ったところだ。

 今頃、ヒナに問いただして、僕の態度の真意を探っているだろう。それは、この目の前にいる男にも言えることだった。


「……呪いってなんだよ」


 ただこの男は、それとなく聞く、なんてことは選ばない。


「聴こえたのか」

「生憎、人狼なんでね。聞きたくなくても聞こえたんだよ。……つーか、聞かせるつもりで言ったんだろ」


 心の中で思い浮かべれば、アイツには伝わるからな。

 そう言って、エドは頭を搔く。雪で濡れたのか、室内の明かりでオレンジ色の髪が艶めいていた。


「お前が自分の命を軽んじたわけじゃないのはわかってる。ヒナを信じて、生殺与奪を託したんだろ。アイツなら、判断を間違えることなく止めるだろうしな。

 自分の命より、好きな女の方が大事なのもわかる。理性で出来る限り距離をとろうとしたのも、理性じゃ抑えが効かないのも許せる」


 ダン、と軽く掌底で執務机を叩く。

 座っている僕より高い位置から、エドが顔を覗き込んだ。


「けどな。俺らはお前の部下だ。お姫サマを守る騎士気取りで、そうホイホイ上司に死んでもらっちゃ困るんだよ」


 なあ、とエドは言った。


「その呪いを解く方法はねえのか」

「ない」


 間髪入れず、僕は答えた。

 これはもう、散々エレインが探ってくれたことだからだ。


「古代から、呪いは解呪することはできない。できるとしたら、別の呪いで上書きすることだ」


 かつて、魔女に死ぬ呪いをかけられた王女が、別の魔女によって『長い眠りにつく』呪いを書き換えられた話を思い出す。

 呪いを『なかった』ことにすることは、できない。だからエレインは、僕に彼女を忘れる呪いをかけた。


 ただ。

 方法は、本当はあった。


「……エド。君にとって、母親というのは、どんな存在だった?」


 僕が聞くと、ああ? とエドがガラの悪い声を上げる。


「よくわかんねーよ。ガキの俺と赤ん坊の妹捨てて、男と駆け落ちした売春婦のことなんて」


 そのせいで妹は死んだし、とエドが言う。


「今、彼女と会って、殺せるか?」


 エドのグリーンの目が、大きく開かれる。

 だが、すぐに目を細めて、どうだろうな、と言った。


「殺せるかって言われると……それこそ、その辺を歩いている奴を殺せ、って言われる程度には抵抗はある」

「……そうか」


 その一言で、この察しのいい男は気づいたのだろう。


「……まさか、母親に呪われているのか?」


 直裁的な言葉に、僕は視線を机の上に落とした。

 濃い茶色の天板。机の上に置いたランプの光によって、薄い影が大きく拡がっている。

 昔は、それが自分を追ってくる存在として、とても怖かった。

 

「なあ、君ならどうしていた」


 振り絞るように、僕は尋ねた。





「母親と寝るか、母親を殺すか。――その二択を迫られたら」




 エドが息を飲んだのがわかる。

 たったこのことを話すだけで、全身が汗でびっしょりになりそうだった。


「あの子の命を守るためだけじゃない。……あの子だけには、知られたくないんだ」


 本当は近づきたい。あの子を抱きしめて、頬を寄せたい。誰よりも一番近くの存在でいたい。

 

 だけど、あの子は近づいた分だけ、僕を理解するだろう。

 あの子は、そう言う子だ。

 好意を与えられた分だけ、好意を返そうと、相手を理解しようとする。


 ――あの子に知られたら、僕はもう死ぬしかない。


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