第5話 理想を叶えた複雑な世界
錬鉄製の街灯が並ぶ、運河沿い。
運河の端には、船と船が繋がれて並んでいた。人間の男二人が、甲板にあるテラス席に座って、ワインを飲んでいる。
すると水中を潜っていた人魚が、トパーズのような鱗をくねらせながら、水面に現れた。長い赤髪を持った人魚に、男がワイングラスとお皿を渡すと、人魚は優雅に飲み始める。三人はニコニコと笑いながら、少し早い晩餐を楽しんでいた。
このモルクの街には、百本を超える運河が流れている。そのため、水系の魔族の住処でもあり、『水の民』と呼ばれる人間の一族が暮らす場所でもある。
だから運河には『
「これ、化粧水と日焼け止め」
歩きながら、私はアルトゥールくんに渡した。
曇りガラスの瓶にいれたそれは、どちらも麹菌で作ったうちの商品だ。経営難の我が店でも、美容品は飛ぶように売れている。
手渡すと、アルトゥールくんはパア、と顔を輝かせる。
「ありがとう。君が作ってくれた化粧水や日焼け止めは、よく効くから嬉しいよ」
「喜んでくれるけどさあ。君の場合、私のなんてあんまり意味無くない?」
彼は私と違い、魔力を持っている。教会的には『聖力』や『加護』と呼ばれるもので、その中の一つが、状態異常無効だった。
確かに日焼けはヤケドなので、状態異常なんだろう。よって、彼は日焼けすることがない。もっとも、色素の薄い彼が日焼けしたら、水膨れみたいになってしまうだろうけど。
「確かに使えるけど、聖力切れを起こすわけにもいかないだろう」
「あー、そんなこと言ってたっけ……」
正直、私と違って、そんなこと起きそうになかったんだけどなあ。
私は魔力を持たないから、魔法道具や研究器具を動かす時は、魔王のソラや、パーティから魔力(聖力)を譲ってもらっていた。今はユリアも手伝ってくれる。
そう言うと、アルトゥールくんは少し笑みを深めて言った。
「あの子、エルフの居住区で、迫害を受けていた子?」
「そうだよ。アルトゥールくんも覚えてたんだ」
反応がないから、てっきり、忘れていたのだと思っていた。
「あの子、私が追放されたって知って、駆けつけてくれたの。師匠なんて言ってくれるけど、ユリアがいなかったらこの仕事できないぐらい、頼ってるんだよね」
「そうか」
そう言って、目を細めた。
「だから、あんな態度だったんだね。さぞ僕に不信感を持っただろう」
「それに関しては本当にごめん」
まさかユリアが、あんな意地悪をするとは思わなかった。同じ勇者パーティでも、エレインがたまに遊びに来る時は、あんな態度をとらないのに。
私がそう言うと、アルトゥールくんは、
「それは、僕が人間の男だからじゃないかな」
と言った。
「……?」
意味がわからない。男だからなんだと言うんだろう。
私が理解できてないことが伝わったのだろう。アルトゥールくんは、「なんでもない」と言った。
「さっきのことは、本当に気にしないで。逆に嬉しかったというか」
「嬉しかった!? 意地悪されたことが!?」
ぎょっと顔を見ると、そこには頬を染めてはにかむアルトゥールくんがいた。
ま、まさかアルトゥールくん……。
ごくんと唾を飲み込みながら、言葉を探す。
「……ユリアは、美人だよ。そして、気も強い」
「うん?」
「そして、そういう文化があるのも、否定はしない。風俗は好きじゃないけど、お互いが大切に思っている行為なら、まあアリだと思うし」
「…………うん?」
「でも交際もしてないのに、弟子をそんな目で見るのは師匠として許さないよ!?」
マーサさんが言っていた。「男の中には、女に虐められたい願望を隠さない」のもいると。敵意を持って対応すればするほど食い下がってきて、こちらのメンタルと時間を削ってくると。
『いつかユリアも標的されるかもしれない。そういう時は、ちゃんとユリアを守りなよ』
マーサさんの教えを思い出す。
わかったよ、マーサさん。守るのは今だね!!
「SMプレイは相互同意のもとお願いします!!」
「違うから」
すごい低い声で否定された。
よ、良かった……弟子を守るために旧友との関係を切るべきか、本気で悩んだ。
「あとそういう事、あんまり大きな声で言わないで」
「へ、あ、ごめん」
周りを見渡すと、なんだなんだ、とあちこちから視線が飛び交う。 しまった。私はともかく、アルトゥールくんの顔は知られているのに。なんで私って、こんなに視野が狭いんだろう。
恥ずかしくて、熱くなった頬を抑える。
「ごめん。私の浅慮で、さも君がSMプレイを望んでいるみたいに……」
「違うそうじゃない」
早口で否定された。
「君が変な目で見られるのが嫌なんだ」
「…………?」
「うん、今のは忘れて」
そうじゃなくて、とアルトゥールくんは言った。
「僕はね、あの子が君の味方でいてくれたことが、嬉しいんだよ。彼女は、ヒトを信じられないんじゃないかって思ってたから」
魔族たちの多くは、人とは違う姿をしているというだけで迫害され、瘴気深い森や植物の生えない砂丘に追いやられた。
その中で、エルフは人間と姿が近いこと、また肌が白く髪が金髪で目の色が淡いことから、他の魔族と比べて受け入れやすかった。人間と同じ光の神を『唯一神』として崇めていたこともあり、聖光教会から人間領に居住区を作ることを許された。
しかし肌の黒いエルフは『ダークエルフ』と呼ばれ、エルフからも人間からも差別を受けていた。聖光教会や、エルフが信仰する宗教によって、黒は悪の色とされていたからだ。
だからユリアは、今もあまり街を歩きたがらない。『誰かが店番しなきゃいけないでしょう』とユリアは言い張るが、彼女が店にいたがるのは、多分責任感だけではないんだろう。
「人間と距離が近いからって、エルフが全く差別や迫害を受けていないとも言えないんだけどさ」
むしろ人間と近い分、見えない差別や嫌がらせもあるのだろう。ただ、分かりやすく住処を燃やされたりはしないだけで。
だからこそ、せめて同じ種族同士、支えあったり、仲良くして欲しい。
そうぼやくと、アルトゥールくんの足が止まった。
彼につられて、私も足を止める。
「それは、僕らが一番肝に銘じないといけないことだね」
アルトゥールくんは、私の髪をひと房掬った。
「今も、魔法で色を変えているのかい?」
「……まあね。でも、好きなんだ。この色」
今は金髪にしているけど、私の本当の髪色は黒だ。
――人間同士だろうと、それだけで蔑む人がいるのだ。
かつて、髪の色を変えていたのは、髪が黒いからという理由で迫害を受けたくなかったからと、黒い髪だと聖女として認めてもらえない、というのもあったけど。
でも今は、アルトゥールくんが考えているようなことじゃなくて、単に私自身がそういう髪色にしたかった。
「私は好きな格好をして、好きに生きている。でも、私が美しいと思うことが、あの子を追い詰めたりはしないかって、そう思うと怖いよ」
美しいことはいいことだ。
だけどその基準は、「そうではない者」を貶めて出来てやしないか。
白い肌を「美白」といい、黒髪より金髪の方が綺麗だというのは、差別意識によって出来た美の感覚ではないか。
うちの商品はせめて「美肌」と称して売っているけど、それも皆が考えているのは「白い肌」だと重々わかっている。
わかってて商売に利用するのは、差別に加担していることと同じことだ。
そう考えるとユリアに、申し訳ない気持ちになる。
だけど、それを直接確かめることも怖かった。何かをすればするほど、私があの子を見下していたり、あの子の心をないがしろにしている、と気づくことが恐ろしい。
「こんなに早く、私が望んだ世界になったのに、私自身が戸惑っている。
昨日まで良いと思っていた価値観が、今日、ずっと誰かを傷つけていたんじゃないかと気付くことが悲しいし、辛い」
自分の価値観を変えなければ、と思うこと。
無自覚のまま差別をしていたのだと、その差別に自覚的になるというのは、酷く苦しい。
そう言うと、そうだね、とアルトゥールくんは言って、
「変えたことを、後悔しているかい?」
と、尋ねてきた。
後悔などしない。するわけがない。
「私たちは、そういう複雑な世界で耐え抜くしかないんだ、って思うよ」
ひょっとしたら。人間と魔族が分断された社会は、楽だったのかもしれない。お互いを理解しようと思う前に、相手をけなしたり、貶めたり、自分には関係ないと遠ざける方が楽だったかもしれない。
でも多分、この世界はそんな簡単に、敵味方を分けられるほど単純じゃない。
この世界は最初からそういう形をしていて、私たちはようやくその形を見ようとしているだけなのだ。
「それに、悪いことばかりじゃないしね。今日のお茶みたいな出会いもあるし」
「そうだね。あれは美味しかった」
「魔虫でも?」
「魔虫でも」
いたずらっぽく、アルトゥールくんは人差し指を口元に立てた。
「今度取り寄せて、お茶会にでも出してみるよ」
「おっ、それはマーサさんも喜ぶ。貴族の流行にまで押し上げてみてよ」
ふふふ、とお互いに笑いあったところで、船がやって来た。
「……ところで、どうして今日来てくれたの?」
ふと、不思議に思っていたことを口にすると、少し戸惑ったようにアルトゥールくんの口が開いた。
けれど、すぐにいつもみたいに微笑む。
「……単に、会いたかったからじゃダメかい?」
「ダメじゃないけど……」
アルトゥールくんの仕事は、とても忙しい。だから次に会いに来る時は、私に仕事を依頼する時か、何か問題を抱えて訪れる時って思っていたのに。
「だったら、もう少し顔を見せてよ。私が君の顔見に行くことは出来ないし」
「うん。また近いうちに行くよ」
夕日の光が、曇りガラスの瓶を通り抜ける。影になった化粧水が、とぷんと揺れるのが見えた。
「その時には、貰ったものも切れているだろうし」
「……なら、よし」
私が力強くうなずくと、じゃあ、とアルトゥールくんは踵を返した。
東の空が、夕焼けの空を追い出し、代わりに藍色の空が顔を出していた。
小さな波を立てながら、運河はキラキラと夕日を弾く。船は孔雀の尾のように水面に跡を引き、レンガで出来た橋の下をくぐり抜けていく。
その行き先は、魔王城がある【黒い森】だ。
「やっぱり、何かあったのかな」
王都の方向じゃなくて、魔王城へ向かう船なんて。
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