だきしめない。
いつからか、二十年ほど前だったか。
世界中のヌイグルミ達が動き出した。
「隊長、風向きが変わりました! ですがやはり衛星が落とされた今、気候は予測不能です! いつまた変わってしまうか……!」
「そうか。よし発射用意」
「了解!」
……そうだった。最初はぎこちなく、
「撃て、燃やし尽くせ」
……その当時はクマやウサギなんかはもちろん、イルカや乗り物や恐竜、こんな物のヌイグルミもあるのかと感心するだけだった。とにかく布に綿が詰められた物がそこかしこでウゴウゴしていて、今思えば狂っていたのに誰も「おかしい」とは言わなかった。アニメか何かの台詞、『可愛いは罪』とかいうのは真実だったらしい。
「隊長、十メートルクラスのキリン一体撃破! 隣のゾウにも燃え移りました! よっしゃー!」
「喜ぶのはまだ早い、気を抜くな」
「三メートルクラスの柴犬、撃破!」
「隊長、北海道と青森の工場を全て制圧完了です!」
「八メートルクラスのタコ撃破! いけー!」
組織化したヌイグルミ達の隙を突き、なんとか持ち出した装甲車の中で景気の良い報告が続く。
昨日もこんな瞬間があった。まだ人間用の基地も上官も兵士も存在していた。満面の笑顔で撃破報告してきた即席の部隊は、
ヌイグルミが持つ知能はどれほどの物なのか計り知れない。なんせ昨日突然襲われたてホヤホヤだ。アイツらはまず自らをほぐし繋ぎ合わせ三十メートルクラスの大きいヌイグルミを作り上げた。それを街で暴れさせ、対応した兵士や軍事施設をあぶり出し一網打尽に綿で窒息死させた。僅かな生き残りは、喫煙者と何らかの炎の側にいた者と一般市民、のみ。アイツらはまず戦闘力を削れるだけ削る作戦をとった。狡猾だ。
俺も咄嗟にライターでヌイグルミを焼いて死から
「抱き枕クラスのクジラ撃破! 残るは細かいヌイグルミだけだぞ!」
「栃木、秋田のヌイグルミ工場制圧完了! 隊長、諸外国から救援要請が来ています!」
「助っ人なんかコッチが欲しいっつーの……焼き討ちの手順と『グッドラック』でも書いて送っておけ」
「了解!」
ここから先の作戦も何も無い。無いんだよ。燃える巨大な
政府の発表も対策も「遺憾」で「直ちに」何とかすると曖昧で、その結果、ほとんどの人間は訳も分からないまま昨夜の内に音もなく忍んできたヌイグルミに殺されていった。
ミサイル等の大型の武器や戦車、戦闘機まで綿を詰められ奪われた。さすがにこの辺りはヌイグルミの定義から外れているのか自力では動かない。本当に良かった。ついでのように電車やトラック等の機動力のある物も綿で拘束されていった。それをたった数時間で成し遂げる数の暴力に人間は右往左往した、いや、している真っ最中だ。
ヌイグルミ達はどこまで、何を……。
「隊長、風向きが! 街に飛び火してしまいます!」
「もう変わったか。消火準備」
「了解!」
「そこまでだ!」ドタドタッと乗り込んできた女の金切り声と銃口。どうやって開けたんだ?
「動くな! 動けば撃つ、殺す! 通信を切って! 手を頭の上に!」
もう……これは両手を頭にするしか無い。チラッと見えた外の地面には血溜まりがあった。前線から戻った兵士がドアを開けた瞬間を狙ったのか。部下達も咥え煙草で従う、目配せ、そうだ、とりあえず従うフリだ。
さてこれは……どういう状況だ? 迷彩服にスーツ、普段着やジャージ姿の侵入者は六人、その全員がマスクをしているが女だというのは分かる。ピストルや銃をこちらに向けて構えているが、もしかしたら一人は少年かも知れない……何を血迷ったんだ?
「聞いて! 私達はヌイグルミと共に生きる! コッチに来るなら推しキャラの名前、もしくは
「……え?」
「キミらも人間だよね?」という言葉は
隣にいた通信兵が深く息を吸って吐く、打開策があるのか口を開いた。
「オレ、『私、魔法使いに転生したけど魔法使いとして異世界で生きるのが面倒そうなので猫に変身して暮らしています。神様どうか探さないで下さい。悪役令嬢にも興味ありませんのであしからず』のリリナ推し。でもソッチに付く気は無いよ。ヌイグルミと生きるなんてさ、どういう意味? どうしちゃったの?」
「これはガチ」
「タイトル一語一句言えてる」
「リリナは主人公と酒場で会うだけのほぼモブ」
「じゃあガチじゃん」
「コッチおいでよ、なんで来ないの?」
「リリナはプライズでヌイグルミが出てる」
六人が一斉に感想を述べながら頷いている。通信兵の方がビックリしてるじゃないか。
「え?! う、うん、え、スゴいね、みんな詳しいね? ちょっと嬉しいよ」
「
「紫髪ミニスカ可愛いよね」
「原作は手を抜かれてたけどアニメで動くと良かった」
「ガチだね」
「アナタは
「会わせてあげようか?」
ただでさえ良く分からない、一斉に喋られると余計に分からない、一人、パーカーのフードを目深にかぶっている者が声で少年だと分かったぐらいで……けどこれは打開策ではない、ピンチじゃないのか? 通信兵がヒュッと息を飲んで止まっている。もしかして会いたいのか? ヌイグルミに?
「……いや、プライズは二頭身だったから、そんなに、アレだし……」
「ちゃんとした等身大になるよ」
「大丈夫」
「喋れないけど可愛いよ」
「キャラクターはガチで自分を知ってるから変化する」
「作ればいいだけなの」
「行こう? 他の人は反応無いみたいだから、アナタだけ」
リーダー格らしい女が通信兵に手を差しのべた。他の銃口はこちらに向いたまま。後ろでガタンと立ち上がる音、誰かの咥え煙草が落ちたのか焦げくさい、行くのか?
「お、俺も、キャラ、ヌイグルミの、ホラ、ね、ネズミの、じゃなくてネズミ色の髪の!」
「うるさい、名前も出て来ないなんて推しじゃない」
なんの迷いも無く後ろの兵士は一発の銃弾で殺された。これはヤバい。通信兵は一番小柄な女と喋っている。何が出来るのかすり合わせているのか、運転、攻撃と単語がボソボソと。
助かりたいよな、誰だって。でも頭が回らない。『推し』だと? 特に何もない、好きなマンガやアニメ、女優俳優芸能人、これといって、いや誰もかれも好きでも嫌いでもない、そして後ろから次々に声があがる。
「あの、ぬ、ヌイグルミになってないとダメなんすか? 僕はロボット物が好きで……」
「じゃあそのロボのヌイグルミがいたら何をしたい?」
「の、乗り込みたいです!」
「ダメ、ヌイグルミの中は入っちゃダメ、アナタは却下」
あ、撃たれた。
「サメが好きです! サメ映画は国内外全て何もかも全部見てます!」
「ヌイグルミがあったら何したい?」
「え?! いや、まあ、すごく嬉しい?! かな?! すごく大事にします?!」
あ、また。
「却下、やりたい事がすぐに出て来ないなんて推しじゃない」
「子供と一緒に見てる番組の――」
「アナタじゃなくて子供が好きなんでしょ、アナタの推しじゃない」
ああ、三人も。次々とあがった声が淡々と粛々と散々に撃たれていく。女達は順番に引き金を引いている。反動で引っくり返る女もいる。もしかして試しているのか、笑顔でスゴイネなんてキャッキャしている。音と形でピストルは警官から奪ったりした物じゃないかと、うっすらボンヤリ思う。耳と頭が痛くなってきた。
「……はあ」
「アナタは何も無いの? もうアナタ一人だけど」
「え?」
「推し、いないの?」
「……いないな」
「ふーん」
ダメだな、これは。
自分の親とジイチャンバアチャンその他親戚の為と指揮系統の崩れた中で何とか形を保った、戦った。なのに……こんな奴らがヌイグルミと手を組み自分達の『推し』の為に生きている。もう守るべき者はいないのかも知れない。
「あ、リリナが来たよ」
「……うわ……!」
少年の声に通信役がのけ反った。紫色のフェルトの髪をペタンと揺らしてドアから音もなく乗り込んできたのは、体重を全く感じられないヌイグルミ。これが『リリナ』か。
通信兵は喜んでいる、ものすごく喜んでいる。これが『狂喜乱舞』か。なるほど、なるほど?
うーん……もう少し、こう……縫い目とか何とかならなかったのか?
パッと見は長い手足もバランスが取れていて、アニメから出て来たような美少女だ。でもその見えている肌は同じ色の布で揃えてはいるが、ツギハギが素人目にも分かる。通信役に微笑む唇は刺繍、口角を上げると顔全体が少し歪んでしまっている。伸縮性のある布は無かったのか?
「スゴいでしょ? このリリナはもうアナタのもの、自由にしてイイんだよ」
「……はい……! うわ、本物だ……」
「お前、それで良いのか?」
ハッと視線が一斉にコッチを向いた。
「あ、いや、その……縫い目とか、なんか、その、もっと――」
「縫製が甘い、やるならもっと作り込めってコト?」
「……いや、まあ、そう思った」
銃口と同じぐらい痛みを伴う視線、あまりの気配に耐えかねて思った事が全てボロボロと言葉になってこぼれた。ついでにちょっと泣いた。何の涙かは分からない。
リーダー格の女が近付いてきた。あ、死んだかも。
「これは
「いや、口を出せる立場では」
「ううん、有用な人間を勧誘するにも完成度は大事なコトだと思う。
「……早口だなあ」
「え?!」
「あ、いや、別に、なんでも」
危ない、なんかポロッと殺されるところだった。気を引き締めなくては、と背筋を伸ばす。思いがけず、リーダー格の女が銃を下ろした。引き金に指はかかったまま。
「アナタは本当に何も無いの? 趣味とか好きな物とか?」
「しいていうなら……こういう、状況とか」
「は?」
「……戦うとか、こういう絶体絶命みたいな、なんか……ほ、本当は自分は隊長でも何でもない。なんなら軍に所属もしていない。ヌイグルミに殺された兵士から軍服を盗って着てみた、着てみたかった、そしたら『隊長』って呼ばれて気持ち良くて、それっぽくしてたら……やり過ぎたみたいで、いまココ」
これはもう普通に殺されるだろうな。
でも最期に言えてスッキリした。通信兵も他の女も少年もポカンとしちゃってウケる。ああもう、なんて人生だ? そこそこ普通に生きてただけで何に巻き込まれてんだ? 転生とかホントに出来んのかな? てか転生先がココでもオカシくない世界だよな今って、ヌイグルミに殺されるとかまず動いてるとかヤバい人類瀕死とかマジウケる。
ふふっ、と笑い声が頭の上から聞こえた。いつの間にこんなに側に来ていたのか、リーダー格の女が顔を寄せてくる。イイ匂い、する。
「ね、『普通の人』としてコッチに来ない?」
「は?」
「私達、推しのコトになると少し暴走しちゃうっていうか、全部わかんなくなっちゃう時があるから」
「だろうね」
「あ」
「あ、ごめん」
「違うの、それが必要なの、冷静なツッコミ、それを口に出してくれる遠慮の無さ!」
「は?」
「こう、みんなそれぞれの推し方があってそれぞれの界隈にいるけどオフ会で知り合ったみたいな違うなまだ会ってないわSNSで話をしてるような何となく距離がある私達!」
「はい」
「そこにアナタみたいな普通の人がいれば!」
「はい」
「なんかイイ感じ!」
「はい?」
――……あれから数日、女達と一緒に行動するようになって確かにコイツらは滅茶苦茶でヤバい奴らだと実感しながらも少し楽しみ始めている。推しを常に膝に乗せておく奴、逆にヌイグルミに膝枕をさせる奴、尊すぎて触れない奴、等々。色々な奴らがいて飽きないし、赤髪イケメンの服についてる紋章の意味を聞いただけで半日潰れたりするのも、まあまあ慣れた。
ヌイグルミのボスは各地にいて、この辺りは黒い大きな耳のネズミだった。挨拶に行くと紳士的に迎えてくれた。全てのヌイグルミも僅かな人間も絶対の服従を誓っているのがオーラで分かるような、良いボスだった。この挨拶というか面通しというか、とにかくそれで特に推しもいないけど自分は生きるのを許されたらしい。なるほど、なるほど。
人間の役割はヌイグルミが出来ない、分からない事をやったり教えたりする事だけ。
その対価が推しの形のヌイグルミか。どこにいても常に火気厳禁、煙草は噴水の真ん中でしか吸えない。まあ仕方ない。
今は、せっかく壊したヌイグルミの生産工場を復興させる為に必要な物をどう揃えるか、というのが当面の任務だ。綿花生産や染料の開発から考えたり、何となくソレっぽい会議を開いたりして愉快な気分になったりしている。
……さて。
アイツらが全て出来るようになって全て覚えたら、生き残っている人間はどうなる? 推し活は人間の存在理由にはならないだろう。ヌイグルミに得は無い、人間がウホウホ喜ぶだけだ。切り捨てられるか?
……さて。
今日は朝から天気が悪い、久しぶりの雨が降りそうだ。
もちろんヌイグルミに火はダメ。じゃあ、雨、水は?
喜ぶだろうか? 怒るだろうか? これはいつか人類がアイツらに反旗を
楽しみだ、この状況になって今が一番ワクワクしている。その時が来たらまた『隊長』になろう。いや、『ヒーロー』でもイイな、ヒーローにしよう、ヒーローになろう。
なんか、腹心の裏切りとか情報操作とか作戦とか奥の手とか、超カッコいい。
楽しみだな。
おわり。
雨は止まないし夜も明けないし虹もかからないし春なんか絶対来ないし、なんなら世界も終わるみたいだし もと @motoguru_maya
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