あと七日

 朝、テレビをつけるとニュースキャスターが「おはようございます、世界の終わりまであと七日になりました」って言う。

「ほんっとさー、こんな時によくやるよ、すげえよアンタ」

 ガタガタンとイスに座ってテーブルに肘を付き、袋から出したカッチコチの食パンを噛っては紙パックの甘いイチゴ牛乳で流し込む。

「誰もそんな仕事やりたくないよねー、つーかやらないよ、こんな時に」

 世界が終わる以上のニュースなんてもう無い。先週は暴徒化した人々やら何やら言ってたけど、もう撮る人もやる人もいないんじゃない? 無音の画面はもう天気予報に変わっている。

 今日も晴れるらしい。

 もうこの後は何時間かに一回ぐらい『あと○日です』ってこの人が喋って、昔のドラマとかお笑い番組の再放送がずっと流れるだけ。ゴクンと飲み干した紙パックをゴミ箱に投げる。最後のイチゴ牛乳、少しこぼれた、ゴミ箱には入った。

「……よっしゃー」

 まあまあ良い感じ。

 父さんと母さんは一か月前ぐらいに世界が終わるって話が出てから、仕事行かなくなってヤりまくって、しばらく泣いて笑って大笑いしながら部屋を出て行ったきり見ていない。包丁を持ってスキップしてた。

 兄ちゃんは部屋で何かアニソンみたいなのをすげえ歌ってた。声が枯れたのか、きっと寝てるんだろ、もう聞こえない。

 ベランダに出る。

「おおー、ほんとだ、いい天気だねー」

 すっぽ抜けた様に雲一つ無い空。

 対して薄く煙る地上、優しい風は焦げ臭い。

 だいぶ人の数も減ったのか居ないのか、世界が終わると分かった日から比べるとクソみたいに穏やかな街だ。誰かがどこかに着けた最初の火種はこの丘の上の団地まで届きそうで届かないまま、眼下の全てを燃やして消えかけてる。

 そうだな、消えよう、消えたい。そうしたいんだけどさ?

「さあ、そろそろ」

 踏み台代わりに置いた赤ちゃん用のイスに乗る。

 なかなか派手にプピーと鳴る。どうしても捨てられないって母さんが笑ってた、そのイス。

 フワッと柵を越える、地上五階から。

 飛び降りる。

 グシャッとなるまで数秒、ああ、もうさー、今度こそ頼むよー。

 ――……朝、テレビをつけるとニュースキャスターが「おはようございます、世界の終わりまであと六日になりました」って言う。

「あー、アンタほんとスゴいよ、ほんっとに。誰もやりたかねえよな、アンタも好きにすりゃ良いのにさー」

 カッチカチの食パンを噛じって、ああ今日も晴れか、コンビニ行こう、今のが最後のパンだった。イチゴ牛乳もないしな。

 サンダルを突っ掛けて、フラッと部屋を出る。エレベーターで一階まで。電気が通ってるのは助かる。水道も大丈夫、ガスは止まってるみたいだけど特に困ってない。

 ズラッと並んだ銀色のポスト、一応覗いて、まあ郵便なんて来ないよな、外に出た。ペタペタ坂道を下る。

「コンビニ、あるかな」

 最後に外出した時に五枚切りのパンを持って帰ったから一週間前ぐらいか。あの時はまだ存在はしてたけどな、焼けちゃったかな。

 歩きながら、今日は何時にどうやって死のうか考える。

 初めては母さん達がいなくなった夜だった。眼下の街は炎々と夜空まで照らして明るくて、もう色々とメンタル的にダメだった。絶え間ない誰かの断末魔に紛れて飛び降りた。

 気付いたら朝だった。一日経った朝だった。

 その日はただ呆然と過ごしてしまった。今思えば勿体ない、もっと元気な内に色々試せば良かった。次の日も飛び降りた。風に乗ってくる肉が焼ける匂いに耐えられなかったから。

 でもやっぱり朝だった。死んでも死んでも次の日の朝が来る。

 ソファの上だったり、ちゃんとベッドだったり、突っ立ったままだったりで目が覚める。マンガみたいに時間が巻き戻ったり、別の世界に行ったり、カワイイ女の子が降って湧いたりしない。

 一日進んでいるから腹も減る。

「いやー、参ったなー、これは」なんて何回目だ、自分を誤魔化すのは。

 坂道が終わると商店街と民家が続く道の端だったはず。ジャリジャリと、何か分からないジャリジャリを踏みながら。

 コンビニやスーパーどころか無事な建物を見付けるのも無理だろ、まあ家から見てても分かるレベルだったしな、と軽く絶望しながら。

 この瓦礫の中から食べ物とか、人とか、もういっそおめでたく食べ物を恵んでくれる人とかいねえかな? こんなの食いもの探すなんて無理じゃん。

「なーんで僕だけー?」なかなかの地獄だと思う。

 ほんとジャリジャリ、サンダルは失敗だったな、うちに一番近いコンビニが、コンビニだった土地が見えてきた。ああ土地だね土地、地面だわ。

 やっぱ無いか、そうだろうな。

 また生きちゃいそうだから食べ物を探しておかないと、グルッと見渡す。けど、こんな時でも人の家に勝手に入るのは悪い気がして、けど……けど、けどさ、まあいいか。

 とりあえず手近にあるここで。

「お邪魔しまーす」

 他人の家。焦げた玄関のドアを引っ張ってみたら、二階が無くなってた。家の中にお邪魔したのに見上げれば空。不思議だ、いや不思議でもなんでもないか。土足のままソーッと上がり込む。煤まみれだな、土足で正解。

 リビングっぽい。じゃあキッチンは、ああ……無理かな。

 良く見ればフローリングは黒い靴跡だらけ、冷蔵庫も引き出しも戸棚も開けっ放し、食べ物の欠片も無いだろ、これは。そもそも焼けてるもんな。

 なんかもう、うん、諦めよっか。

 後六日だっけ、五日だっけ、まあギリギリ餓死ぐらい出来そうかな。

 「ごめんね」なんて言っちゃってみたりなんかしちゃったりして、普通に謝って他人の家から出る。

 帰ろう、もういいじゃん。

 ほんっとさ、もういいよ。

 ……朝、つけっぱなしのテレビでニュースキャスターが「おはようございます、世界の終わりまであと五日になりました」って言った。

「あー……死ぬの忘れて寝た、寝てもうた……」

 食べ物は無いんだよね、そうだったよね、蛇口から水をマグカップに入れてゴックゴク飲む。ペットボトルの飲み物しか飲めなかった自分が嘘みたいだ、水道の水をそのまま飲むとかってウケる、笑えてきた。

 口を手の甲で拭いながらベランダに出る、今日は曇りか。

 プピーっと椅子に飛び乗って。

 ヒョイと柵を越える、空っぽの腹からチャポンと水の音、ハハッ、地面までのカウントダウン、さあ誰かご一緒に!

「さん! にー! いち! ごー!」

 ……朝、つけっぱなしのテレビからニュースキャスターが「おはようございます、世界の終わりまであと四日になりました」って言う。

「あー腹減ったー」

 プピー、グシャッ。

 ……朝、ニュースキャスターが「おはようございます、世界の終わりまであと三日になりました」って言う。

「……あー……」

 頭が回らん、腹減った。

 まばたきをしただけ、ふと気付いたら多分夜、暗い。半日以上の睡眠だったのか気絶だったのか、まあいいや、プピー、ああ星が綺麗だなー、グシャっちゃおうよ。

 ……朝、ニュースキャスターが「おはようございます、世界の終わりまであと二日になりました」って言った。

「皆様、どう過ごしていらっしゃいますか」

「……は?」

 ニュースキャスターは真っ直ぐにこっちを、僕を、カメラを見て言葉を続ける。

「私は、世界が終わるというこの混乱が始まってからも家族が待つ家には帰らず、テレビ局に泊まり込んで速報を読み、何かあれば皆様に伝えねばと使命感だけを頼りにやってまいりました」

「……はあ」

「今現在、動いている局はおそらくここしかありません。なので私と、同じ志を持ったカメラマン、二人でこの生放送を毎日同じ時間にお届けし、ドラマや映画を流し、少しでも皆様に寄り添って、寄り添った気になっておりました」

「……」

「しかし、もう今この時が最後かも知れません。五日程前になりますが、食糧を取りにスタジオを出た所で暴漢に襲われ、カメラマンの佐藤君が怪我をしました。治療も出来ず清潔に出来る訳も無く、寝かせたままです。一昨日からは発熱もあります。あれから放送業務はほぼ私一人でやっておりました」

「……」

「スタジオの外が今どうなっているのか分かりません。まだ暴漢がうろついている可能性もあり、私も扉を開けての確認はしておりません……えー……」

 初めてニュースキャスターの顔が歪んだ。にこやかな無表情、生真面目そうだけど女好きそうに見えるオジサンが泣きそうになってる。

「……スタジオの食糧が、お菓子だったのですが、差し入れのクッキーでした、尽きて、だから取りに出たので、それで、取りに行けなかったので、えー、もう、えー……限界です」

 あー、そうだよね、オジサンもお腹空いてたのか、そっかー。一緒に逝こうよ、ねえ?

「……でも、どうか、『どうせ世界が終わるのだから』とかではなく、どうか、助けてとは言いません言えない、どうか、最後まで人間らしく生きませんか? 生きようよ、生きろ! 人間だ! 俺達は、日本人だろ?! こういう時の日本人ってよ、いつも世界から笑われるぐらい凄かったじゃないか! 自分より他人を助けたりとかさ! 名前も知らない他人を子供を弱い者を助けて自分は死んでも構わないそれを勇気だ素晴らしい美しいってさ! 俺もそう思うよ! 凄かったですよ、いつも! 誇らしかったよ! そういうニュース読む時はいつも! だから今! 生きている人! これを見ている人! 生きろー! 生きてくださーい! イぎろー!」

 オジサンは絶叫の後、バンとテーブルに手を付いた。立ち上がろうとしてガクッとよろけ、そのまま画面の下に倒れた。

 微かに泣き声の様な呼吸音が聞こえる。

 画面は華やかなニュース番組のロゴと背景を映し続けている。

 ズッ、ズルッと何か引き摺る音が近付く、ハアハアと荒い息。

 プツン、と画面が真っ暗になった。誰かがカメラに近付いて、カメラを切ったんだ。カメラマンの人かも知れないし、オジサンが画面に映らない所を這って行って放送を止めたのかも知れない。

「これは……」

 本格的にダメだ、もうダメだってば――この放送局って電車で二駅ぐらいの所じゃなかったっけ?

 今日もさっさと死のう――歩いたら何時間かかるんだ?

 死んでる間は腹も空かないし辛くないし――五日前の暴漢なんてもういないだろ?

 ああもう起きてたら辛いし死のうよ、死ぬよ、黙って死にたい――怪我か、包帯とか薬とか解熱剤、そんぐらいなら家にあるんじゃないの?


 ……ああ……ああ……あー……あーあ、もう!


 立ち上がれ、フラッフラだけど。目の前を白い虫みたいなのが沢山飛んでる、違うわ貧血か、水を飲む。家の中のアチコチにガンガンぶつかりながら、戸棚の上の救急箱を取って、座り込んで開ける。

 胃薬をジャクジャクと有るだけ食べてみた。なんかちょっとイケるかと思った、後悔はしていない、やっぱクソ不味い。

 解熱剤、座薬、包帯、絆創膏、なんかの塗り薬沢山、風邪薬、消毒薬、全部ビニールの袋に入れてリュックに突っ込む。

 空のペットボトルに水を入れて気付いた、少し濁ってて目を背ける、いや見てない気付いてない、いや飲んじゃった、ヤバい、吐くなよ、吐くな、勿体ない。

 人数的にも重さ的にも三本だけリュックに突っ込む。

 またぶつかりながら玄関へ、黒いスニーカーを履く。頑張れ、自分。

 ドアを開ける、今日は曇りか。何となく鍵を締める。そういやお隣さんとかも死んだんだろうな、会ったら挨拶してくれる優しい奥さんだったのに。部屋にいんのかな、外に出ちゃったのかな?

 スズメが飛んでる、鳩もカラスも。そうか、虫とか食べれるのかお前らは、まあナシ寄りのアリかもな。

 エレベーターはいつもウチの階で止まってる。もうこの団地に誰も居ないんだろ。下を押すと扉は当然開く。

 中で一階を押そうとして、いや怖い、この数日でどうなってる、一階まで、動くか、落ちたりとか、いや、動いた、良かった。

 坂道を下る。

 シンと静まり返った道、誰も居ないし地面もグニャグニャに見えたりする。頼れるモノは自分だけってやつだ。

 駅まで行って線路沿いに歩くか、直線でテレビ局を目指すか、立ち止まる。こんな極限状態で迷いたくないしな、線路沿い一択かな。

 一歩一歩、歩き始めてしまえば意外と何とかなった。何とかなってるはず。学校へ行くのに毎日使ってた駅は予想通り、駅があった場所になってた。通り過ぎる瓦礫の中でも銀行とか交番とかこの駅とか、頑丈そうな建物は他のよりもガッツリ焦げてる。壊せない、食べ物も無いなら燃やしてしまえホトトギスって感じか。酷いな。

 そして案外あっさり、いや結構かなり頑張ったかも、やっと辿り着いた二駅目。

 こんなに近かったのか。いや、もう日が傾いて、あれ、半日以上歩いたのか、途中で休んだっけ、ああ、まあもういいや。


 青空をバックにしたテレビ局のロゴが見える。

 もう着くよ、オジサン。

 もう着くから、佐藤君だっけ怪我したの、待っててよ、もう着くからさ。

 自動ドアがあったらしい細いレールみたいのを跨いでエントランスに入る。地方局だしそんなに大きくもないビルだった、壁も床も天井も真っ黒な煤まみれ。

 大小ガラスの破片、マスコットキャラクターか何かのデカいヌイグルミの輪郭、黒焦げね、多分イス、多分テーブル、突っ込んできたらしい赤い車、ああコレだよ、『各階のご案内』だったらしい白いプラスチックの板。

 散らばったそれを集めてみたものの、四階から七階の破片が無い。そしてパズルみたいに出来た箇所にはスタジオという文字が無い。朝オジサンが言ってた状況的に、間違いなく二人はあれを放送しているスタジオにいると思う。

「……四階から七階のどこか……」

 キョロキョロしてもエレベーターが無い、と思ったら車が衝突した先の壁に上下のボタンが辛うじて見える。これ無理じゃん、エレベーター。何でこんな事したんだよ、危ないじゃんかよ、死んじゃうよ、こんなの。ん? あれ?

「……死体とか、あるんじゃね?」

 なぜか急な恐怖、怖い、これ、いまさら何なの? 潰れて中も見えない運転席にビビりながら、でも車も満遍なくすすまみれだから火葬されたよ、うん、成仏してるよきっと、自分で自分に言い聞かせながら、ずっと自分しかいないもんな、壁際を進む。崩れた壁の向こうの壁の更に奥、あったぞ非常ドア、よし、開ける。

 ひんやりした空気が顔から背中に抜けた。ほぼ真っ暗だけど緑色の非常灯は点いている。ここは焼けなかったんだな。何となくソーッとドアを閉めて、階段を昇ろうと足を上げたその一段目でつまずいた。手すりにすがる。ヤバいな、足が上がんねえの、頑張れ俺。

 一段、一段、一段。

 ゆっくりでも確実に行こう、コケて怪我とか笑えない。

 いやお前毎日飛び降りてたクセによく言うよ。

 ほんとだ、ヤバいな、死体とか怖くないっしょ。

 自分が毎日グチャグチャだったんだから。

 いやそれマジウケる。

 ここで誰かに殺されたってまたどうせ明日になるし。

 明日になっちゃえば明後日には世界終わるし、マジでヤバい。

 なんでこんな頑張ってんだろ? 頑張っちゃってるよね、多分生まれてから一番頑張ってるよ今。

 息が、切れる。

 体力、体力くれ。

 もう少しだって、ほら壁、ここ『3F』って書いてあるし。

 ああ、マジか、すげえ。

 マジでよくやってる。

 四階にあるといいな、二人がいるスタジオ。

 あるよ、きっと。

 四階にあってくれ、頼むよ、マジで。

 非常ドアを開ける、四階。

 真っ暗で良く分からない、もう何か柔らかいの踏んだし、目が慣れるまで動くな、でももう嫌だ、すげえ変な臭いするし。

 ドアの横に避難経路を書いたフロアガイドがボンヤリ見えてきた。ここが確かに四階だって事しか分かんねえ。

 控え室がいっぱいだな、あとトイレ、控え室、ミーティングルーム、控え室、Aスタジオ。

 マジか、一番奥かよ。でもあったよスタジオ、あったわ。

 緑色の光を頼りにゆっくり進む。もう何も踏みたくない。足はあまり上げないで何かに当たったら、足の裏で触りながら踏まない様に進む。

 目の前に『Aスタジオ』と書いた扉、その上に薄っすらと赤地に白文字で『ON AIR』のライトがある。これ、これが点いてたら中で何かやってるよ、ってやつじゃね?

 扉に手を掛ける。なんの抵抗も無く、押すと開いた。

 誰もいない、所々にある緑の非常灯でもわかるくらいにケバケバしい背景、倒れた何かの残骸、何人も座れる雛壇、芸人の深夜番組で見た事あるな、ここ。

 ハズレか、まあ、ハズレだよ。

 次、いってみよ。

 またジワジワゆっくり、壁に沿って非常扉まで戻る。

 開ける、階段。昇るんだ、上れ、登ろう。

 踊り場で膝に手を付く。寒くなってきた、いや違う暑いんだ。

 ダメだ、違う、大丈夫、もう少し、もう少し。

 五階、フロアガイド。

 トイレ、控え室、仮眠室、控え室、右手奥にBスタジオ、左手奥にCスタジオ。

 ああ端から端まで行けと、ああそうですか、いいよ、やるよ、ガチで今ならやれっから、マジで。

 ズルズルと壁伝いに進む。どれぐらい時間が経ったのか、開きっぱなしの控え室、窓ぐらいどこかにあるんじゃないの、それでも真っ暗ね、懐中電灯とか持ってくれば良かった、あ、ダメだイヤだ灯りはムリ、全部見えちゃうじゃん。

 Bスタジオ、何か脚立とか箱とかベニヤ板の何かがバラバラでゴチャゴチャしてる。完全にハズレ。

 ズルズル戻る。非常扉を通り過ぎて、ズルズル進む。凄い滑る所があったな、気を付けよう、なんで滑るんだ、液体、飲み物、じゃない違う絶対違う。

 Cスタジオは押し開けた瞬間から別世界、床が綺麗、空気が違う、ほぼ無傷なんじゃないかここは。

 ぼんやり浮かび上がってきたのは夕方のニュースのロゴ、なんか見た事ある。キャスターの横にあったのは造花だったのか、まだ鮮やかな輪郭が分かる。

 違う、ここじゃないけど、なんか、なんかさ、嬉しい、良かった、嬉しい。なんか滑る所も越えた。

 よし、次だ。非常扉を開ける。階段、登る、登れ。

 六階、フロアガイド。

 トイレ、控え室、仮眠室、控え室、Dスタジオ、Eスタジオ。

 右、Dスタジオ、左、Eスタジオ……あ……ああ、あ、あああったマジか左だ左!

 『ON AIR』点いている、赤いの! 左だEスタジオだ!

 足がもつれて、何か踏んで、ツルッてコケそうになるのを壁で支えて、夢の中みたいに急いでいるのに進まないけど進んでる。

 そこにいるのかオジサン、佐藤君!

 息が止まりそうだ、心臓が痛い、ドアに手を、押す、押せ。

 ドンッと身体が跳ね返された。もう一度、ドンドン押せよ、もう一回は、ドンって、やってみろよ、がんばれ俺、がんばれよ……ああー……閉まってる?

 鍵か? 鍵なのか? 開かない? ここまで来て開かないだと?

 あ、そっか……そりゃ鍵とかあるなら締めるよな、襲われたんだっけ……ああ、戸締まりは大事だよ。

 もう扉を背に座り込むしかない、クソだ、俺なんか。

「オジサン、佐藤君、いますか? あの、いるなら、いるならさ……」

 後ろ手にドアを叩く、叩いてみるしか、開けよ頼むから開けてよ。

 扉が、ギッと鳴った。

 叩いた反動で背中が押された? ん? 真ん中の開くべき場所がズレてる。指を掛ける、動く、動かす、揺れる扉、これ、あれだ、観音開きってやつか!

 せっかく活路が、せっかく分かったのに、でも座ったまま立ち上がれなくて。

 そっか、引っ張っても開くじゃん、観音開き!

 ジタバタと指でこじ開けて、全身で引く。

 ここもだ、空気が違う。

 四つん這いで中へ、一歩ぶん伸ばした手が、指が、何かを触った。

「か……かみ……の毛?」

 ゾワッと全身が冷えた。

 ここまで散々踏んだり蹴ったりしてきたであろう人間が、死体が、髪の毛が多分ここにある。暗くて良かった。この誰かの身体が扉を押さえていたのか。怖い、触っちゃった。

 さっきまでとは違う意味で息が苦しい、嫌だな、初めて嗅いだみたいなのに懐かしいようなにおい、これ、学校の飼育小屋の、ウサギの、モルモットの、イヤやめて、シロとモルの墓を作ったのは誰だったっけ。

 両手の間、真下だけを見ながらズリズリと四つん這いのまま移動、目指すのはオジサンが倒れたであろう場所、キャスターが座る辺り、カメラの前だ。

「……お、おじ……オジサン、いませんか? ……佐藤君、いませんか? ……あの……」

 声が震える、そもそも声がちゃんと出ているのかも分からないし、前に進んでいるのかも分からない。なんでこんなに頑張っちゃったんだ、とギュッと目を閉じてゴクンと喉を鳴らす。飲み込む唾もないや、カラッカラだ。

 大きく息を吐いて、目を開けた瞬間。

 グシャッと変な音がした。あ、これ聞き覚えある。自分から出た音じゃん、いつものあの、飛び降りた時に良く似てる音。

 ただその時、まばたきの瞬間に全てが消えただけ。


「……あー……痛って?」

「い?! なに?! 生きて、生き返った?!」

「……え?」

「え?!」

「……だれ?」

「だれ?!」

 そこからの話は早かった。

 佐藤君は入社一年目なのに世界が終わるとかウケる、運悪すぎ。んでキャスターのオジサンの熱い魂に釣られたけど後悔してて、そのオジサンも昨日死んじゃって、ああ一日経ってんのか、ああ一回死んだっぽいしな、うん。で、決死の覚悟で非常食取りに行って戻ったらスタジオに忍び込んだ不審者がいて、仕方なく板きれで殴り殺して少しの非常食とそいつのリュックの中の薬と水で復活しただけだった。命懸けでスタジオに忍び込んでたその不審者、俺っすね。そのリュックも俺のっすね、アハハ、なんつって。

 俺の事も話した。何回死んでも次の日の朝でなんかヤバい、マンガみたい、んでオジサンのニュース見て薬と水持って助けに来たら殺されて、今は殺したヤツとお喋りしてるって。

 佐藤君にめっちゃウケた。

「ああ、じゃあさ、二人でニュースやんね? 俺が撮るからお前読めよ」

「ニュース?」

「そ、今日さ、やべえニュースあるしさ」

「なに?」

「なんと! 世界が終わるまで後一日なんだ!」

「マジだ!」

「やるべ?」

「うん、やる!」

 佐藤君、超元気じゃん。何かしらのスイッチを入れるとアチコチからバチン、色んな物から音がして照明が点いた。非常用の電源がまだ生きているけど節約とか目立たない様にとかで消してたんだとさ。

 オジサンの身体には顔から腹まで、スーツのジャケットが掛けられてる。ああ、ここに入った時、あの髪に触ってしまったのか。

 佐藤君がスタジオの隅の換気用らしい小窓を開けた。スタジオの中の空気がフワリと動く。遮光カーテンを捲ると端から眩しい光が射してきた。

「天気予報は晴れでいこう!」

「マジで?! そんな感じだったの?!」

「うん! だって天気予報とか出来んし! ほら、書いて書いて、原稿!」

「えー、うん、はーい」

「ちゃんとニュースキャスターっぽいの考えてよ、あ、お前勉強キライ?」

「でえっキラい、ムリ」

 嫌いに決まってんじゃん、バカなこと聞くなあ佐藤君は。

 痩せこけて血だらけの青年が、痩せこけて煤まみれの青年と二人、キャッキャしながらイソイソと準備をする。今ここを撮って欲しいけどな。面白いと思うけど、いやそうでもないか。

 佐藤君に何か分からない布で顔を拭かれたから、ゴシゴシ拭き返してやった。オジサンに掛けていたジャケットを羽織らされそうになったから全力で逃げた、けどやっぱり着てあげようか。なんか髪はピッチリ七三しちさんにされた。

 オジサンが座っていたイスに座らされて。

「ハイ! いきまあーす!」

「うえーい! おっけえーい!」

「ふふっ、なんだそれ?!」

「HEY!」

「ちょ」

「やるならやれよ!」

「くっそ! ハイ! ごー! よーん!」

 佐藤君が三本の指を折って行く。ここからは声を出さない、出せないんだよな、本番なんだから。

『さん! にー! いち! きゅー!』

「おはようございます。世界の終わりまであと一日になりました。今日はいつもより一時間ほど遅れてのスタートとなる事をお詫びします」って自分が言ってる。変な感じだ。

 オジサンはこの『変な感じ』の呪縛に囚われてたのかも。なんか不思議と分かる、照明を浴びてイカツいカメラに向かって、これはとても変な感じだわ。

 原稿から目を上げる。

 どうせフザケてたからここまでしか書いてないし、もっと激しく楽しく、たった一日でも記憶に残るような劇的なニュースにしよう。

 原稿を横に投げ捨てる。佐藤君がカメラの横から顔を出した。

「昨日までここでニュースを読んでいた」あ、名前忘れた。さっき聞いたのに、まあいいや。「オジサンは亡くなりました。最後までニュースキャスターという使命を全うした素晴らしいオジサンだったと思います」あれ、言葉が勝手に出てくるぞ。佐藤君がブンブンと首を縦に振ってる、それはこのままやれ、ゴーサインとみた。

「皆さん、いかがお過ごしですか。私は元気です」

 佐藤君がブホッと吹いた。変だったか?

「今まで自分に関わってくれた全ての人、ありがとうございました。友達、保育園小中高の先生、なんかコンビニの店員さんとか、カラオケの店員さんとか、ゲーセンの店員さんとか、ありがとうございました」

 店員サンまでヒヒヒッ、と佐藤君が笑った。声出ちゃってんじゃん。

「あと、父さん、母さん、もしどこかで生きてたら嬉しいです。ありがとうございました。兄ちゃん、多分死んでるけど、もっと小さい頃みたいにサッカーとかしとけば良かったです。ありがとうございました」

 佐藤君がスッとカメラの後ろに引っ込んだ。

「皆さん、もう明日で世界が終わるならいっそ笑顔で過ごしませんか。自分は、さっき出会ったばかりの人と笑いっぱなしです。とても楽しいです。だから、どうか楽しく笑って生きて下さい」

 グズッと鼻を啜る音が聞こえた。タイミング悪いよ佐藤君、それじゃ視聴者の皆様に丸聞こえじゃん。

「以上です、今日も明日もきっと晴れます! はい! 交代!」

「……はあ?!」

 ツカツカと佐藤君の腕を掴んで、ツカツカと引っ張ってイスに座らせる。二人共フラフラだから簡単だ。佐藤君は照明と涙のせいでテカテカになった。

「……え?!」

「どうぞ!」

 カチンコチンに固まった佐藤君をカメラ越しに見る。さっきカウントダウンの時にやられたみたいに佐藤君の真似、指を折って人差し指で佐藤君を撃ってみる。これがスタートの合図なんでしょ、きっと。

「あ、はい、えっと、はい」

 凄い、喋りだした、業界の人ってすげえな、条件反射ってやつかな。

「パパ、ママ、ユキ姉ちゃん、ヨシ兄、リコちゃん、カエデちゃん、リョウ、タツヤ、マイマイ、シンヤ、ハナちゃん、ありがとうございました」

「兄弟多っ?!」

「えっと、友達、先生、えー、色々なお店の店員さん、ありがとうございました」

「店員さん大事だよな、やっぱり」

「えー……多分、死んでると思うけど、連絡取れないし、生きてたらここに来るだろうし、えっと、でも、元気だったら嬉しい……俺の奥さん、ユミ、ありがとうございました」

「え」

「来月、産まれる予定だった俺の子供、俺達の、こど……あ、ありがとうございました」

「……」

「……もしかしたら、もう……地球上に何百人、何人ってレベルかも知れないけど、暴動とか色んな事から生き残った人にこの放送が届いてたら、頑張って下さい。頑張ったら、俺みたいに最後の最後で……友達が出来るかも知れません」

「……」

「俺、短いけど楽しい人生でした。毎日ギャーギャーうるさい家で、ポコポコ弟妹が産まれて、初恋の子と結婚して、子供出来て、好きな仕事して、最後にボッチになって死んじゃおうとしたけど一人じゃなくなって、最後の最後は最高でした」

 佐藤君は真っ直ぐこっちを見てる。今度は僕が涙と鼻水でテカテカなんだろうな。

「俺超最高でした! 人生最強だった! 良かった! だろ?!」

「……うん、うん! 佐藤君、うん……!」

 急にこっちに来た佐藤君に引っ張られて、そんなグイグイする力あったのかよ、なんか二人でカメラ前に立つ、立たされた。

 肩を組んで支え合いながら全力で手を振って、全力で誰かにバイバイまた明日って叫んで、転がるように移動、佐藤君がもたれ掛かるようにカメラを切った、ああカメラ倒しちゃって。

 小さな赤いランプが消えた。

 急な沈黙、佐藤君の橫へ、二人で腰が抜けた、その場に座る。誰か一人でも見てたのかな。佐藤君が僕の肩に頭を乗せてきた。

「……あー、楽しかった」

「うん、楽しかった」

「明日もやろうぜ」

「うん、やろう」

「疲れた」

「うん」

「寝るか」

「うん」

 そのまま佐藤君はズルズルと横になった。それじゃ身体痛くなるだろうと、オジサンと二人で使ってたらしい白いソファーまで肩を貸す。うんしょと肘掛けに頭を乗せてやって脚も乗せる。ブランケットを腹にかけてやる。

 さっきから身体にガッツリくっついてて気付いた。佐藤君は熱がある。しかも相当、かなり熱い。我慢してたのか。

「これ、薬飲んどこうよ? ほら、口開けて?」

「……うん」

 解熱剤を口に入れてやってペットボトルを口元に、ツンツンしても目すら開かない。やっぱ飲めないか……仕方ない。なんかテレビで見たやつ、やるか。

 自分の口に水を含んで、口移しで流し込んでやる。佐藤君がビクッと動いてゴクンと飲み込む音。三口分、やってやる。そんなに潔癖じゃない、彼女がいた事もあった、それでも今さっき初対面の人に、自分を殺した人に、男の人に口移しとか多分ヤバいな。でも何だろうこの気持ち。自然と自分がやる事だと、やらなきゃいかん事だと思う。

 佐藤君から寝息が聞こえた所で、自分も三口飲んでキャップを閉める。目覚めた時に見える位置に、佐藤君の顔の横にペットボトルを置いてやる。ソファーに寄りかかって、床へ座り込んで、俺は気付いた。


 もう、なんか死にたくない。死ぬ理由が無い。


 へへへっ、と声が出た。

 また明日、か。声に出てたと思う。

 ――……いつの間にか、たぶん久しぶりに気持ちよく眠ってたかも。ケツが痛い。座ったまま寝るもんじゃないな。

 あ、佐藤君は?! ……佐藤君は目を閉じたまま、ちゃんとソファーに、胸は上下に動いてる、良かった、生きてるわ。

 照明が点きっぱなしで分からない、今はいつだ? いつの何時だ? 佐藤君の手を取り腕時計を見る、手も熱いな、AM3:15、そりゃあケツどころか全身バキバキになるわ、何時間寝たんだ、ほぼ一日じゃん、寝すぎだ、いやそれどころじゃない。

 もう今日で世界終わるじゃん。

 ……いいや、まあいいよ、ソレは置いといて、とりあえず。

 うーん、少し目を閉じて、うーん、ゆっくり立ち上がってみて、うーん、身体を伸ばしてみる。佐藤君は寝かせてあげた時のまま、やっぱり微動だにしてない様に見える。水も減ってない。起こして薬を飲ませるか、眠らせておくべきか。胸の上下、呼吸はかなり荒い。

 うーん……起こそう。膝をついて耳元で話し掛けてみる。

「薬、飲もうよ?」

「……は……あ……」

 何か言おうとしてるのか、起きてるのか、うわ言か、全然分からない。腕時計を見た時みたいに触ってみる。肩、二の腕、手首、手のひら、手のひらで止めてみる。握ると握り返された。起きてる、覚醒してる。

「薬、飲んで」

「う……」

 側に置きっぱなしにしていて良かった。片手で二錠、パリパリと出して唇に押し込んでやる。水は口で移して。

 ゴクン、飲んだ、もう一口、ゴクン、もう一口、よし三口目、で、佐藤君の舌が動いた。気付かないフリをして口を離す。

「今もう三時過ぎだってよ、朝の。ヤバいよ、寝すぎた」

「……そ……か」

「何時だっけ? 世界終わるのって、てか何で終わるんだっけ、隕石だっけ、ははは」

「……よ……あけ」

「……マジか、もうすぐじゃん」

「……あ……りが……と」

 ザクッと胸が痛くなった。少しづつ、少しづつ、握られた手に力が込もってきた。

 昨日の朝の佐藤君、凝縮された佐藤君の人生の一片に触れてしまったから、かも。あれから胸が痛くて仕方ない。自分なんかより沢山色んなものを持ってる人が、大切な物で溢れている人が、こんな状況でこんな俺をアッサリ受け入れてくれた人が死にたくないのに死にそうだ。

 おかしいよ、世界。狂ってる。

「……夜明け、も……すぐ?」

「あ、うん、そうだね。 四時とか五時ぐらいかな」

「……四時……三十……二ふ……おわ……る」

「え、マジで? ガチでもうすぐじゃん?!」

「ふ……ふふ」

「もしかして笑ってる? やっぱ佐藤君はヤベえ奴だったのか」

 佐藤君の口角が少し上がって、少し目が開いて、全体的に少し動いた。嬉しい。ブランケットの端で目やにを拭ってやる。握り合った手が熱い。

「な……にす……る? あと……いちじか……」

「んー、しりとり?」

「おま」

「ダメ? じゃあ、んー、そだなー?」

 かなり強い照明の中で側にいて分かった、佐藤君は頭を怪我してる。染めたこともないような黒髪が、褐色のマダラになってる。血が乾いたんだ。ああもう、なんだよ、怪我って頭かよ、一番ダメじゃん、病院連れて行く案件じゃん、もう。

 ギュッと手を握り直す。

「じゃあさ、そといかね?」

「え……立てな……」

「連れてく。こないださ、夜に飛び降りて死んだ時さ、ガチで綺麗だったの、空が。マジやべえよ、ギラギラになってんの」

 喋りながら、急げ、立ち上がる。床から手を離す、急げ、立て、そして佐藤君を連れて……なんか大丈夫、急げ、行ける気がする。

「……よる……の、そら」

「そ、マジおすすめ。多分さ、人間が減ったから排気ガスとかも減ってイイ感じなんじゃない? ほんっとに綺麗でさ、見せたいの、せっかくだしさ、外じゃなくても窓がある場所とか、行こうよ」

 喋りながら、よしイケる、佐藤君の身体を起こしてソファーに座らせる。しゃがんで脚の間に背中をグリッと割り込ませて、両腕を持って自分の肩に乗せて、引っ張る。

 佐藤君の顔が左肩に乗って、おんぶ準備完了。

「……マジか」

「うん、立つよ? いくよ?」

「ま、ちょ、あ……」

「できた」

「……ふふ……このま……なら、歩ける……かも」

「それ助かる。よし、じゃあ右足から、せーの?」

 二人三脚の二人羽織バージョンだ。イイじゃんこれ、何とかなりそう。

「もっと体重かけていいよ、背負っていくつもりだったんだから」

「……うん」

「さて、ここで問題です」

「……ん?」

「俺はこの建物、何もかも知りません、分かりません。 夜空が見えるようなデカい窓、もしくは屋上とかに最短で行くには?」

「ふふふ……ぴんぽん」

「おっ、早い、佐藤君どうぞ」

 ノッてくれた。ああ気を逸らしてたんだけどさ、やっぱ見えちゃう、見ちゃう、オジサンごめん、本当にごめんなさい、置いて行くけど許して、ごめん、今は生きている人の為に頑張りたい、ごめんねまたぐよ。

 観音開きを片手で開ける。ゆっくり戻って来る扉を膝で受ける、佐藤君に当たらないように挟まないように慎重に進む、抜けた、後ろで扉は静かに閉まって、多分オジサンの身体に当たって止まった。

「……エレベー……ターで、九階まで……しゃい……食堂が、展望……ガラス張り……です」

「ピンポンピンポーン、正解です! 大正解! え? エレベーター?」

「動く……上なら、行ける……下は、いっ……階は、開かない」

「あー、なるほどなるほど、一階はね、車が突っ込んでた。 中では動いてたのか、え、じゃあ二階まで階段で上がっちゃえばエレベーター使えたの?」

「……ん? ……うん、たぶ……え、階段で、来てくれ……た?」

 ちょっと、いやかなりショックだ。

 エレベーター試せば良かった、なんで思い付かなかったんだ、いや階段でしょ緊急時は、フツーは階段、エスカレーターは止まってるし、階段しか、エレベーターはホラ、あー、あの時はキツカッタです、はい。

「……ありが……と」

「あ、いや、大丈夫、当然の事をしたまでですよー、やだなー、お礼なんてそんなー」

「……そんな、たいへ……来てくれ……に……俺、殺しちゃったん……だ」

「あ! そうだそうだ、殺された! ひでえよなー!」

「……ご、ごめ、ん」

「いや笑ってんじゃねーよ!」

 死体を避けながら、えっちらおっちら歩いて、確かにボタンの矢印ちゃんと光ってるわ、これは動くわ、この雰囲気、なんで押してみなかったの昨日の俺よ。

 見慣れた上向き三角ボタンを押す。開いた。

 そこにいたのか、お前そんな、すぐそこにいたのかエレベーター……ヨイショと乗り込む。九階まですぐだな、佐藤君の腕を持ち直して背負い直す。

 スタジオを出た時よりは少し歩けてる。けど、やっぱり凄く熱い。もう絶対見せたい、少しでも綺麗なものを、何がなんでも見せたくなってる。なんでこんなに頑張れちゃうんだろうな。

「……ごめ……ん」

「なーんで佐藤君が謝るの。勝手に来て、勝手に連れ出して、こっちがゴメンだし」

「……ありが……とう」

「いや死にそうな声だし、マジ止めてー、あーあー聞こえなーい」

「ふふ……またころ……すぞ」

「いやーんこわーい」

 もうボロッボロに涙が止まらない。なんでだよ。水分貴重なんだから、もったいないから泣くなよ、止まれよ、バレたらまた殺されちゃうじゃん。

 ピン、と鳴った。ああ良かった、ちゃんと九階だ、扉が開く。あっという間じゃん、マジで昨日の自分バーカバーカ。

 さて社員食堂、右に厨房か。その壁以外は天井から床までのデカい窓、だけど……残念ながら無事なのは一面だけだ。他は蜘蛛の巣みたいなヒビ、なんかブツけたんだろコレ、なんか硬いもの投げたとか? 細かいヒビが入りまくって何も見えない。誰だこんな事したやつ、その辺に落ちてるなら踏んでやる、指とか、ちょびっとだけ。

 散乱するテーブルとイスの間をゆっくり、無事な窓へ真っ直ぐ進む。確かに眺めはいい。真っ黒な街の縁、遠くに丘の上の団地の影も分かる。俺、あそこから来たんだ。あそこから毎日飛び降りてたんだ。なんかもう懐かしい。

 さあ、もっと近付かなきゃ空は見えない。一歩、一歩、一歩、やっと、一歩。窓に背を向けてゆっくり佐藤君を降ろす。窓ガラスにもたれさせてクルッと振り向く、こんな顔見せらんないし、涙をゴシゴシ袖でぬぐってから並んで腰を降ろす。というか、もうこれはシリモチだ。

 流石に限界。ここが最期の場所になる。動けない。

 佐藤君の体がズルズル下がっていく。良かった、こっちの意図を汲んでくれたらしい、そうそう、橫になるの、それなら見えるでしょ。

「あー……頭……打っちゃ……う」

「ちょっと待って、ああもう、待ってよ支えるから」

 後頭部、首の後ろ、むちゃくちゃ熱い。また泣きそうになるじゃん、堪えろよバーカ、こらえて、ズルズル下がる身体に合わせてゆっくり頭を床に下ろしてやる。シャツを脱いでグルグルして枕にしてやってから、ひといき。

「……あ、ほんと……きれい……見える」

「だろ?」

 同じく隣でズルズル仰向けになる。頭のてっぺんを窓にくっつけると、視界の半分は黒い天井、半分はガラス越しに少し歪んだ星空。

 綺麗だ。

 もっと真面目に勉強してたら星座とか分かったんだろうな。やっとけば良かった。ガチめな天の川まであるし、なんか何億とかする絵画みたいな、うわー、ヤバ、嘘みたいな星空。

「……ありがと」

「どうも、こちらこそありがとう」

「……あー、死ぬのか……」

「ねー、死ぬんだねー、嘘みたいだ」

「……ねえ、お前の呪い……死んでも……次の日の……朝、なんでしょ?」

「呪いって! 言い方! あ、え? もしかしてガチで呪いなのかなー? なんか俺バチ当たりな事とかしちゃったのかなー?」

「……死んだら……次の日」

「そうそう、キレイサッパリ起きちゃう、なんだったんだよマジで」

「……じゃ、明日は……?」

「え?」

 明日は来ないよ、って答えようとしたら星が流れた気がした。今さら流れ星だって、やめてよ、佐藤君が何を言おうとしてるのか、ホントやめて。

「……これ、にほん、が、無くなったり」

「……」

「……地球、無く……なったり」

「……」

「……おま……どう……なるの?」

「え」

 考え付かなかった、思い付かなかった、至らなかった、気付きたくなくて目をそらし続けてたのかも、そうかも、だって、そんなの、まあ……そうだよな。

 世界が終わるからといって、俺の生き返る呪いコレが終わるとは限らないじゃないか。なぜ世界と一緒にコレも終わると思ってたんだ? 終われると思っていたんだ?

 どう、なる?

 どこでどう生き返って、俺はどうなる?

 この場所が津波か何かで海に沈んで、明日の朝ここで目覚めたら?

 地球が粉々に無くなって宇宙に散らばって、そこで目覚めたら?

 起きて一瞬で死んで明日の朝、起きて一瞬で死んで次の朝、起きて一瞬で死んでまた次の朝。


 それは……つまり、どうなるってコト?


「……なんか、大丈夫? ……変なこと……言ったかも、ごめ……ん」

「ああ、いや、ぜーんぜん大丈夫だよ」

 多分、声が震えてる。佐藤君の方を見れない。多分、指も脚も全身が震えてる。怖い。バレたくないな、震えてるのなんか、ただ、なんか助けたい、ただ、目の前に人かいるなら助けたいじゃないか、ただ、こんな自分でも少しでも出来る事を、ただ、目の前の佐藤君の最期に、ただ、少しでもマシに動ける自分が、ただ、何かしてあげたいんだ、ただ、それだけだ、それだけだったんだただただただただただただただただただ

「……あ、明るく……なっ……ゆれ……揺れてる?」

「うん、揺れてるねー!」

「こわい」

「こわいねー!」

「いや……だ……怖いよ、嫌だ怖いよ、怖いよ!」

「こわいね、どうしよっか!」

「だ、抱いて抱き締めて! だっこ! ねえ怖いよ!」

「うん! おいで佐藤君!」

 ズイッと佐藤君が引き寄せたのか近付いたのか、ビッチリくっついてきた。横向きになって腕枕をしてやってキツく抱き締める。

 熱い、震えてる、二人とも震えてる、床から伝わる振動なのか、震えてる、もうバレる心配はない、怖いのバレても、震えてるのバレても平気、だいじょーぶ、震えてるから、二人して、二人とも。

 耳元で怖い怖いと佐藤君の叫んでた声、もう聞こえない、掻き消すのは建物の軋む音か、簡単に割れていく窓も壁も床も、何もかも簡単に割れていく、まだ地面はあるのかな、無意味でも身体で佐藤君を覆ってやる、頭の上から下から全身にガラスが、硬いものが降ってくる。

 風も吹き抜けて吹き荒れる、傾く世界。

 痛いね。

 佐藤君を全力で抱き締める、まだ抱き締め返してくる。

 生きてるね。

 崩れる。

 落ちていく、地面へ? どこかへ、空中、空に落ちてる?

 空に落ちてるかも、いやいやソレはないでしょ。

 守れはしない、守るなんて大それたこと、それでも抱い

 こわい

 あしたは、どうな



  終わり

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