最後にオバサン
「それでね、マリがお茶碗を舐めるの。洗う時にはお皿もお椀もマリが使った物はヌルッとする。もう鳥肌もんよ。私、潔癖じゃないんだよ? それでもホンットに気持ち悪くて。そう、お箸の先も頭も握る所も舐めるの。意味は無いんだよってニヤニヤしてね、私が嫌な顔をするのが面白かったんでしょ。ああ思い出しただけで気持ち悪い」
オバサンは大げさに身震いした。
どうせ俺達は死ぬのに、カウントダウンも止まらないし、まだ俺自身もどう終わらせるか決めてないのに、オバサンは延々と娘が気持ち悪いという話をしてる。喋り続けてる。
残り時間は……10分半か。
どうすんのコレ? どうすればいいの?
ガチで超困ってんだけど誰か教えて?
「それとね、帰ってから宿題を終わらせるまでは良かったの。さて遊ぼうとなったら無いらしいのよ、大事な電車のオモチャが。女の子なのに電車が好きとかも変わってるでしょ? でね、もうそこから電車がナイナイって叫んで暴れるの、壁を蹴ったりランドセル投げたりして。学校から帰って来てたったの何十分かで嵐が来るのよ、もう勘弁して欲しいでしょ? でね、ちょっと聞いて?
『とにかく散らかっている物を』
『ギャー!』
『片付けているうちに』
『ママが探して!』
『出てくるかも』
『片付けなんて時間の無駄!』
『知れないから』
『嘘つき! 無い! ママの嘘つき!』
『……それはまだ片付けてないから無いんだと思う』
『無い! どこ探しても無い!』
『片付けてないから、探してないから無いんだと思う』
『嘘つき! クソババア! 死ね!』
こうやって言うのよー、今のちょっとマリに似てたわ、でも酷いでしょ? それで叫びながらね、足で床をドンドンするの。ほらウチはボロアパートでしょ、床が抜けちゃうんじゃないかって思ってヒヤヒヤしたわ。そのうち棚とかに自分のゲンコツが当たって色んな物を引っくり返して『痛い!』って、それで怒って『死ね!』って、『バカ!』って叫ぶの。こんなの毎日聞いてたら本当に私の方がバカなんじゃないかって、私が死んだ方が良いんじゃないかって、マリの方が正しいんじゃないかって思っちゃうのよ、ホント不思議じゃない? あ、そうそう後ね、お味噌汁に箸を突っ込みながらテレビに釘付けになるの。途中で消すと暴れるし、最初から消しておくと『テレビ見る!』って叫んでテーブルを蹴るの。用意したオカズなんかが全部お味噌汁に
やっと一息吐いたオバサンはガスマスクを取ると、俺に向けてた拳銃をタピオカのストローでも咥えるように自分の口に入れた。
「
何の迷いも無くオバサンの鼻から下が爆発して、座ってた椅子ごと後ろに引っくり返った。
土埃だらけのフローリングの床に赤が散ってキレイだ。クリスマスを思い出す。多分オバサンの緑色のセーターと赤い血のせい、茶色く崩れた部屋がツリーの植木鉢のイメージか。まあいいやそんなこと。長い話、やっと終わったし。
小学校の図工の時間にもこんなのあった。筆に絵の具を付けて指で弾いてみろって。あの時は何を描いたんだっけ? 赤も使った気がする、こんな風になった気がする。
オバサンから
もう近くに人なんて居ないだろうけど今の銃声で寄って来るかも知れない。このオバサンや俺みたいに暴動から離れた家に引き込もって一週間を奇跡的に乗り越えた人が、まだいるかも知れない。
害の無い人達は国から支給されたガスマスクも、どこかから流れてきた銃も奪えないままだった。持ってても人間同士で殺し合ったりする地獄よりはマシとか言って先に
「……あんぜん? フフフッ」
もうすぐ死ぬのに、逃げ場も無いのに、オバサンから今の今まで銃口を向けられ動けなくて
オバサンの手から部屋の端までブッ飛んでた拳銃を拾う。ここに来るまでに拾ったのがリュックに入ってるけど、別に
……行く? 行くって? 俺どこ行くの?
そうだ、決めなきゃ。ああもう何分だ? 高い所で、景色の良い所で、少しでもガスやマグマが吹き出してくる地面から離れた所で死にたい、だっけ? そうだ最初はその為にこのタワーマンションに入ったんだ。それでイイじゃん、もうさ、間に合わない。
この辺で高い建物はここしか残って無かった、なのに屋上を目指してる途中でオバサンに捕まった。多分あのオバサンも一人で死ぬのが嫌だったんだろ。わざわざあんな痛い死に方を選ばなくても、ただガスマスクを外してガス吸って眠れば良かったのに。
ああもう、ああもう! とにかくどうするんだよ? 後3分半かよ、どうすんだよ?
高い所からボコボコ沸騰する地球を
死に場所も死に方も決まらない。
父さんと母さんと一緒に逝っとくのが一番良かったのかも知れない。家族って何だろうな? 二人は俺を生かして逃がしたがった。俺の事を気持ち悪いとか思うなんてあったんかな? オバサンの子供よりは普通に生きてたはずだけどな。もっと色んな話を聞いとけば色んな事もサクッと決めれたんか?
ああもう終わるってのにさ、窓だった穴からずっと見えてんの、アレムカつく。国が俺達にしてくれた仕事の一つ、高い塔とかビルのてっぺんにカウントダウンの電光掲示板を設置する法案のアレだ。法案ってなんだよ。アレひとつ付けるのに何億かけたんだっけ、地球規模の話相手にコレだよ、バカじゃね。どこからでも見えやがる。
結局慌てて掘ったシェルターだって普通に電子レンジみたいになって入ってた人間みんなグツグツ煮えたみたいだし、危険な地域優先で順番に配ったガスマスクも全然足りないし、そもそも危険な地域はガスとマグマが同時に湧いたから超絶無意味だった。そう、何もかも無意味だよ、宇宙ステーションに逃げたお偉いさん達も食料尽きたら死ぬんだよ、ああバカみてえ。
後2分だとよ、足が動かん。
そういや倒れてる人から盗ってきた拳銃とかオバサンのコレも、元々誰の物だったんだろうね? お巡りさんとかヤクザ? 子供でもオバサンでも手に入れられる拳銃ってヤバくね。
このリュック持ったまんま先月に戻れたらな。銀行強盗でもして金持って平和な街で豪遊しときたかった。ゲーセンで欲しいフィギュア全部取って、カラオケボックスに住んで、学校までタクシーで行ってああああ後1分半!
どうすんだよ、このままオバサンの死体と死ぬしか……いや待てよ?
地球終わるって発表された時のニュースのお姉さんは『一週間後には地中から吹き出す致死性のガスで地表が覆われる』って言ってた。その後に笑いながら服脱いでインカム着けた男の人と腰振ってたんだ。誰も止めなかったのは皆そんな感じだったからだと思う。あれ凄かったな。
ああもう1分切ったか。
いやいや、もしかしたら致死性のガスが吹き出すだけなら余裕あるんじゃない? その後にマグマが来るんでしょ? まあ何分とか何十分とかのレベルだろうけどさ。この一週間の経験上、今いる階まで一瞬でガスが来る事は無いような気がする。
よし、それに賭けよう。
俺は階段を登り続けるんだ。ガスのせいで青空じゃないけど、せめて外で、空の下で死のうぜ。
カウントダウン
5、非常階段へのドアへ手をかける。
4、開かない、じゃあ体当たり。
3、ガゴッと鉄とコンクリートが擦れる音。
2、階段が瓦礫で埋まってる。
1、はあ? 揺れんなよ、地震か?
0、ちゃんとしてんなあ、バカじゃね?
なんでこんな正確に、熱っちいなクソが、なんだこれ、ガスか? 地震だろ? なんだよ熱っつ、オバサンが喋ってる間の地震のせいだろ非常階段が崩れたの、だって俺はココ登って来たもん俺はさあああ、ちゃんと、あああ暑い熱いって! バッチリじゃん、こんなにちゃんと秒単位で予測出来てたんならさ、ホント日本人ってスゲえな、だからさ、もっとさ、電光掲示板なんかじゃなくてさ、科学とか偉い人がさあ、他にもっと、地球もう一個作ったりとかさ、月に移住とか、宇宙何億年の旅とかさ……なんかあっただろうがよ!
「フッザケんなよ?! バカじゃねえの?! バカ! バーカ!」
……ああ、ああ、やらかしたねコレは、思いっきり吸い込んだ。もうガスマスクも効かんレベルとか笑うわ。これ父さんが取ってきてくれたんだよな。ひとつしか無かったって、俺の為に
あのオバサンの最後も娘が全てだったし、娘もそうだったんじゃない? ガスで死んだなら物を考える時間も何秒かあっただろ。
気持ち悪いとか相性がどうとか言ってもさ、どうせ可愛く思ってたんだ。娘、なんだっけ、マリちゃんだっけ、教えてやりたいよ、君のママは君でいっぱいだったって……まったくクソババアだったって、もう……ああ。
一つも、ひとっつも、何もかもがダメだった。
ガスを大量に吸えば俺もその辺で転がってた人達と
彼女もいなかった。勉強もしなかった。体育もキライ。自分の死に
……あ、ひとつ、だけ。
最後のセリフは決めてた。
俺が地球で最後の一人だったら言おうと……もう言ってイイよな、多分。
……なんだよ、もう声も出ないとかウケる、喉焼けたんじゃね……マンガだっけ、小説? ドラマ? 映画? 何かで見たんだよな。
言いたかったのに、カッコよく……誰か、笑わないでよ、厨二病とか笑わないで……ああ、ここ、崩れる……その、前に……言え、誰かに、聞こえて、聞いてくれるでしょ……。
――……あ? 何だっけ? 何をしようと、何を言おうと、俺は、俺の名前、いや違う、何だっけ、『ひれ伏せ』とか、違う、『俺が一番』違う、『俺が最強』? なんだもう意味が、人類最後の俺ああ苦し、苦しく、眠い、死ぬのか? 死ぬのかああそうだ、カッコよく、渋く、……みたいに……
「……じんる……おれ……」
あーあ、クソが……――
おわり。
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