巻き込まれて森羅万象、とどのつまりは合縁奇縁

「さてさてやってまいりました、残りは三回でございますよ」なんて意地悪そうな声で言われても、「分かってる」って軽く答えちゃう。

 だって「残りは千回です」から始まったこのやりとりに終わりが見えてきた。あと三回だって。それって結構スゴい事だと思う。長かったようなアッという間だったような、とにかく夕方はもうとっくに終わって夜になっちゃってるし。くじ引きのくじを全部引くってこんなに時間がかかるもんなんだね。

 さっきまでは太鼓と笛の祭り囃子が聞こえてて、お酒を飲んだ大人の声も大きくて、しょっぱい匂いも甘い匂いもまぜこぜで、後ろを通り過ぎる下駄や草履の足音も気持ちよかった。今は静か、ただ聞こえない。

「さてさて閑話休題。ここまでお疲れ様でございました。どうでしょうここはひとつ、ルールを追加してみませんか?」

「え? なんで? 今? 嫌だ、ダメだよ」

「キミが不利になる事はございません。せっかくですから楽しくやりません? 二人で、キミも、ワタクシも二人で楽しく、ねえ?」

「……ホントに? どんなルール?」

「次で一等賞を当てて下さいましたら残りの二回分の景品も差し上げます。そしてキミの家まで運んでさしあげまして、ワタクシとキミとで千と一つの景品を開封しまして遊びましょう。二人でないと遊べない物も沢山ありますからね」

「一発で当たらなかったら?」

「普通に出るまで引いて頂きまして、千と一つの景品をキミに渡してただのサヨナラでございます」

「……うーん」

 確かに僕は不利にならない、損にもならない。

 足元に山と積んである風船やヌイグルミ、プラモデルにゲームのカセットは僕が当てた景品、僕のもの。途中から受け取れなくて、お兄さんの後ろに飾ってあるままの大きな剣や浮き輪も全部僕のもの。ナップサックは末の景品の細かいビー玉やトランプや火薬の銃とかでいっぱい。

 それに、暗い朱色の暖簾のれんに白文字で『千本くじ』とだけ書いてある渋い夜店に引っ掛かったのは僕だけ、ケンジ達は射的屋に行くって言ってた。一人でこれ全部持てるかな……いや、どうせこんなスゴいトコを見られたら全部盗られちゃう、ケンジ達に頼ろうなんて思っちゃダメだ。

「どうです?」意地悪そう、というか僕の反応をニヤニヤ見てるのかな? からかわれてるかも、やたらと甘い声が狐のお面の下から聞いてくる。それってなんか悔しいから「うん、持って帰るの大変そうだからノッた」なんてニッコリしておこう。

 小さく笑い声を立てて喜んでる真似をしてるのは、紺の浴衣に黒い帯、白い手首に細い指、白塗りの狐面さえ無ければその辺にいる夜店のお兄さん。いや、普通じゃないのは一回目に紐を引いて水鉄砲を当てた時に気付いてた。「ところで、いま千円出して頂きますと仕切り直しの千回引いて頂けますよ、いかがです?」って言われたから。

 絶対おかしい。一回百円なのに千円で千回って、算数は苦手だけど分かるよそれぐらい。それに……。

「さてさて、話も決まりまして、もはやスルンスルンも一つスルンと引いてしまえば御仕舞おしまいになりまして、それではあまりにも悲しき興醒め、それでは余韻も何も無いでしょう。再びの閑話休題、も少しお話でもしません?」

「うん、いいよ」

「面白いものでございますね、ヒトというものは」

「お兄さんは人じゃないよね」

「おやおや、どうしてそう思います?」

「時間、止まってるし」

「お気付きでしたか」

「気付くよ。お兄さんが後三回って言った時には止まってたでしょ。もう耳も尻尾も出ちゃってるし、なんか喋り方がヘン。無理やり難しく喋ってるみたいだ、それって人の真似しようとして失敗してるんじゃない?」

「おやおや良くお気付きで、それはそれは失敬、修行が足りませんでしたね」

「妖怪? オバケ? 化け狐? 僕を騙して遊んでるの?」

 いやいやまさか騙すなぞ、と大袈裟に叫んで見せたお兄さんの頭には獣の耳、シッポは白くて太くてフサフサの、それ何本あるんだろう。もう隠す気もなさそう。

 騙して遊んでる訳じゃない、景品は全部本物、本物のお金で仕入れた、この夜店もキチンと書類を出して営業していると笑う。それもホントに笑ってるのかな? 狐面の向こうは無表情で声だけ笑ってるのかも、いや、もしかしたらお面を取ったら顔なんて無いかも知れない。

 風鈴が揺れたままの右隣のヒヨコ売り、向かいの飴細工屋は練った飴を伸ばして鶴の首を作ったところ、左隣の金魚すくい屋ではワタアメに大きな口を開けた甚平の男の子が固まってる。橫で財布を出そうとしてるお母さんと腕まくりをしかけてるお父さんも、歩いてたはずの人も急いでる人も、ああ急いでる感じの人達は打ち上げ花火の場所取りかな、新聞とかゴザを持ってる。色々と用事がありそうなのに、みんなみんなデパートのマネキンみたいに固まってる。

 今、ちゃんと息をしてるのは僕とお兄さんだけだ。たった二人だけ。

「お金を稼ごうとして店を出したら僕が来ちゃったの?」

「いえいえ、金なぞワタクシには無用の長物。腐るほど作れます。そうですね、仕事兼趣味でしょうか。たまにこうしてヒトと戯れまして、ああ時代がまた動いたのだななどと思うのも楽しいのですよ」

「それって実験? 観察みたいな?」

「ンフ、それが近いかも知れませんね」

「ねえ、笑ってるの? 僕そんなに変?」

「そうですね、笑っています。キミが変だと笑っている訳ではありませんよ。可愛いらしいなと思っております」

「可愛い?」

「おやおや、気に障りましたか?」

「うーん」

「キミはとてもヒトらしく、とても子供らしく、とても普通で標準的で平々凡々、ちょうど良いと思っておりまして」

 甘い声が狐面を通さないで直接聞こえてくるみたい。耳元で喋られてるみたい、褒められてるっぽいけど、そんなの顔が熱くなりそう、なんか嫌だ。他の事を考え……これって、やっぱり僕は食われちゃうのかな? スッと手のひらが冷たくなった気がした。でも怖がるなんて悔しい、もっと別の事を、別の話を、あ、そうだ。

「次で僕が一等賞を引いてもお兄さんには楽しい事ないんじゃない? 一緒に荷物を運んで遊ぶの手伝うなんてつまんないでしょ?」

「何をおっしゃる。キミの家が見られまして、あわよくば上がり込みまして、キミの生きている証の片鱗が感じられるのですよ? なかなか愉快な事だと思いますが」

「そうなの?」

「ええ何年振りでしょうか、心躍りますね」

「んん? 何年か前にもこういう、僕じゃない子供にこんな感じの事をしたの?」

「おやおや、嫉妬ですか?」

「え?」

「ご安心下さい。その時は全く違う段取りでして、キミのような子供相手ではなく大人の女に色々と仕掛けました。いやはやヒトは面白い反応をするものです。それはそれは愉快でございましたよ」

 ホントに楽しそう、狐面の赤い化粧がくっきりして見える。でも、その人に何をしたんだろう? そんなに面白いと思った人がここにいないのはちゃんと帰してあげたから、かな? 僕は妖怪みたいなお兄さんとこんな賭けみたいな事をしてホントに帰れるのかな?

「不安になりましたか? とって食いやしませんよ」

「うん、いや、 あれ、え? 雪? 雪だ、雪が降ってきたよ?!」

「夏祭りとは存在自体が風流でして、物はついでですからね、桜舞い散る紅葉の境内けいだいで雪見なぞいかがです? 花火は後で本物を拝みますから今は省略といたしまして、ほらほら、いかがです?」

「わあ、すっごい!」

「ンフフ、良いでしょう? さてさて、ここまで物怖ものおじされる事もありませんで、なんとも強気なキミが何をうれいています?」

「僕はかえ……その、僕の前に面白かった女の人はどうしたの?」

「死にましたよ」

「……」

「かれこれ百年以上前の話ですからね」

「あ、そうなんだ」

「ンフフフフ。ところで良い景色でしょう?」

「うん、キレイだしスゴいけど、なんかこれ目が忙しいよ」

 吹き出してムセてるお兄さん、やっぱり若い男の人のツヤッとした声。なんかもう大丈夫かも、怖くはない。目が忙しいって言い方が変だったみたいだけど、そんな事で笑っちゃうなら悪い事はしない気がする。お兄さんと普通の人の『面白い』はきっとだいぶ違うんだろうな。

 ……肩を震わせている姿を見て、初めてお兄さんが動いた事にストンと気が付いた。

 お兄さんはお金を金魚の置物の下に置くよう言った、どうぞと垂れた紐の束から一本取るよう言った、僕がドキドキしながら紐を握った、それから、それから、千回誘われたあの瞬間から、僕が九百九十七回、いや最初に一回引いてるから九百九十八本の紐を引く間、ピクリとも動いて無かった。耳と尻尾も誰かがそこに描き足したみたいにジワーッて出てたし。あれやこれや、全部が全部、どれも不思議に思えないほど他の全てが不思議だ。

 後ろでゆるく縛っていたらしい長い黒髪の細い束が、肩を越えて前に流れてきた。お兄さんはやれやれと姿勢をシャンとして咳払い。

「キミを選んで選ばれまして、ワタクシは幸せ者です」

「んん?」

「おやおや、お年玉を全部使ってでもあの赤いラジコンカーが欲しいと思い千本くじの暖簾のれんをくぐったのはキミ自身の意思だ、とでも?」

「うん? 違うの?」

「ンフッ、森羅万象のことわりにはワタクシでも逆らえませんよ」

「え? 難しいよ」

「難しいと、そうですか。勉強は好きですか?」

「あ、いや勉強はあんまり」

「では学校では何を習うと楽しく思います? そもそも今は一般的に小学校と呼ばれていますか? 寺子屋か尋常小学校、国民学校でしたか? いやはや生きているだけで見えてしまう過去も現在も未来もただの混乱の元、厄介な事この上ないものでして、今が何時代いつやら日本なら年号もどれなのやら。さて流行りの遊びは何ですか? めんこ巻玉鉄砲まきだまでっぽうビー玉プラモデル野球とおりゃんせに輪まわしゲームボーイ缶けりバスケ竹馬ソノシート日光写真ファミコン影踏みリリアン紙芝居プレステ花いちもんめにサッカー虫捕りハーモニカ魚捕り雀捕りSNSに縄跳びアヤトリ万華鏡カラオケ紙風船さあさあ、さてさて、どれでしょうか? キミの玩具オモチャはどれです? キミの世界はどこです? キミは世界をどこまで知っています? いやいやいやキミは――」

「は、はい?」

「――そうでした、ごくごくごく普通の子供ですね、そうでした。その年頃で知り得る欲に程よくまみれた、とても普通の今を生きる子供なのですね。本当にちょうど良いのです」

「なんて? なに言ってるの?」

「特にキミには関係ない独り言です。まあまあ良いでしょう、時には冷静になりまして、どうしてか独り言でしょう」

「……」

 やっぱり……ちょっと怖いかも知れない。さっきまであんなに動かなかったのに遊びを一つあげる度に大げさな身振り手振りが入ってた。髪、腰まであるみたい。日光写真って普通の写真じゃないのかな? なんか早口過ぎて知らないのは覚える事も出来なかった、昔の遊びの話なのかな?

 緩くなった髪をほどいたお兄さんは人差し指を立てて、その先で髪から離れた紐をフワリと浮かせて蛇みたいにクネクネさせてる。

「さて何の話でしたか、そうキミは賢いという話でしたか」

「違うよ」

「違いません。キミはヒトとして真っ当で適度に賢く普通でちょうど良いワタクシの大切で貴重なお客様でして、ただいまは全宇宙の注目の的ですね」

「なにそれ?」

「言葉通りでございまして、キミが紐を引き終わるまで黙っておこうかとも思ったのですが何やら意地悪といいますかムズムズと、ねえ」

「んん?」

 お兄さんが人差し指を下ろした先、藍色の髪紐が残り三本の朱色の紐にフワッとかぶさった。 そのうちの一本に、お兄さんも僕も触ってないのにスルッとキュッと蝶結び。

「いかがです? 当然ですがワタクシからは全て見えておりまして、ンフッ、一等賞に髪紐を結んであげましょう。これをキミが信じるか信じないか、それが今や我々の大注目ですよ」

 真ん中の朱色の紐に、お兄さんの髪紐が生きているような蝶結び、パタリパタリと羽ばたいてる。

「さあさあお立ち合い、さあさあ長話になってしまいまして、今度こそは仕切り直しでございます」

「お兄さんは嘘をついてるかも知れないの?」

「どう思います? この惑星ほしのヒトの心は難しくも単純、キミの一挙手一投足が大賭けの的でございますよ」

「ねえ、誰が注目してるの? お兄さんの仲間? 妖怪達? オバケ? キツネ? タヌキとか?」

「さてさて、どなたでしょうか」

「ホントの意地悪じゃん、そんなの」

「そのどれでも無くワタクシは、おっと、どうぞもう許して下さいな」

「ふうん、そうなんだ……何を賭けてるの?」

 ずい、とお兄さんが寄って来た気がしたのに動いてない。なんか調子狂っちゃう、すごく変な感じ。また耳元で、いや直接頭の中に話しかけられてるみたいな甘ったるい囁き声。

「有象無象のイノチです。地球をいている側と、忌み嫌う側とで遂に、たった今しがた賭けてしまったそうなのですよ。ワタクシはただの仕掛人、中立の中心の真ん中の立場でございますよ。それがまあ長く住み着いて細々こまごまと構っている内に、ンフフ」

「地球を好きになったの?」

 狐面がしっかり下を向くほど頷くと、ついでみたいにピコッと動いた獣の耳、ゆるくて長くて鋭い前髪が落ちてお面の片目をふさいだ。

 うーん、そっか……この何者だか分からないお兄さんは普通に人が好きで、きっとキツネとか動物も好きなんだ。もう絶対に人じゃない、なのにまだ妖怪に化けてるんだから、そういうのも好きなのかな。お兄さんは変だけど僕の味方なん……んん? なんだろう、この感じ? 体が変? なに?

「じゃあさ、そんなに大注目ならもっと色々しようよ。お兄さんにも得があるようにしよう」なにこれ?

「おやおや豪気ですね」

「僕が次で一等賞を引けなかったら――」なんで? そんなこと言いたくない、なのに勝手に、どうしよう蝶結びのパタパタは止まっちゃってる、膝はガクガクガタガタ、手のひらに爪が食い込んで痛い、息も止まりそう、どうして?

「――お兄さんのいう事を何でも聞くよ」僕は、なんで、何を言ってるんだ?

「あらま」

「変かな? 悪くないでしょ?」変だよ! 悪いよ!

「何でもとは、ンフフ、いささか曖昧が過ぎまして。そうですね、ではこうしましょう」

 お兄さんが狐面の端に指をかけ……外すの?! 今?! 待って心の準備が!

「ワタクシと一緒に来て下さいませ。普段は面なぞ着けておりませんからね、慣れて頂きますよ。さてさて一応の期限をつけまして、そうですねヒトの感覚で一年、あっという間でございますね、ワタクシと共に居てもらいましょう。それでワタクシも暇が潰せて得になります」

「分かった、いいよ」

「決まり」

「決まり」

 ……違う、やっぱり変だって、狐面の下はやっぱり、なんで、誰か、時間を動かして、みんなを、大人を動かして、こんな約束はしたくない、やっぱり黒いじゃん、黒より黒いよ、どうして、そんな、こんな。

「では引いて下さいませ」

「うん」

 ……違うよ……まだ夏休みは、まだあるのに、川へ、ケンジ達と、みんな助けてよ、意地悪ばっかりなんて酷いよ、射的より僕を……。

「おやおや、そうしますか? それにしますか? 良いのですか?」

「うん」

 違う! お兄さんの髪紐が結んであるやつを引くんだ、引きたいんだ、真ん中を、なんで僕は端の紐を、どうして、違う本当に違うんだ、人じゃないお兄さんと一緒に行くなんてどこへ、父さん母さん助けてよ、たまには僕の話を聞いてくれたって……。

「ワタクシを信じなくて」

「うん」

 違う! お兄さんを信じてるよ、真ん中を引きたいのに手も言葉も勝手に……勝手に……でも、あれ? でも……。

「良いのですか」

「うん、決めた」

 ……もしかしたら……これで良いんじゃないのかな?

「ワタクシ、嫌われてしまいまして」

「うん。意地悪な人はキライだよ」

 別に、僕がお兄さんとどこへ行ったって誰も気にしないんじゃない? 僕がいなくなった事すら気付かれないかも?

 父さんも母さんも一年中風邪っぴきの弟ばっかり可愛がるし、僕にはオモチャなんて一つも買ってくれないし、ケンジには追いかけ回されたり殴られたりするし、友達なんていない、だってケンジのせいで誰も僕に近寄って来ないし、勉強はキライだし、大きくなったらなりたい職業もないし……これで、この紐を引けば一年、一年ぐらいなら、別にもっと長くてもいい、お兄さんと行くのが正解……僕にはそっちの方が楽しそうで大正解じゃない?

「ンフッ、引いてくださいまし」

「……あ」


 ――……手繰りよせた紐、先っぽに付いてた五等の文字、アッとなった瞬間、バナナの叩き売りが叫ぶ声、小さな手に選ばれそうな青いヒヨコがピヨピイ騒いで、金魚がポイから落ちるポチャンと、太鼓の、盆踊りの、子供が泣いて誰かが笑う声、全部ひっくるめた祭り囃子、そんな耳から聞こえるような音はすぐ聞こえなくなった。

 大きな菊の花火が下駄の真下で弾けて燃えて熱い。その花火も落ちていく、違う、僕が打ち上がってる、遠く遠くへ、すごく大変だ日本が見えちゃってる、いや海が、地球が見える、地球しか見えない、もう地球しか見えない。

「お疲れ様でございまして、やれやれ、ありがとうございました」

「……なんで? なにこれ? どうして? お兄さん怒ってる?」

「何を怒る事がありますか? キミは良くやってくれまして、後はワタクシの度量次第という感じでしょうか。では、ンフフッ、お付き合い頂きますよ一年間は」

「それ違うんだ、あの、ごめんなさい、お兄さんが教えてくれた紐を引きたかったんだよ、なのに、なんか違って」

「ええ知っております、ワタクシがキミを動かし言わせましたからね」

「えっ?」

「心底、呆れるほどにキミが普通過ぎまして、ワタクシを信じてしまったからですよ。あのまんま真ん中の紐を引かれてしまえば地球が打ち上げ花火になってしまいまして、それは避けたかったのです」

「……んん? それって地球を好きって言ってくれてた人達は、僕が一等を引かないって賭けてたの?」

「ええ、そうですよ当然のように。ヒトは子供であろうと何であろうと裏をかこうとするはず、そこがまた可愛いらしいとの事でしたが……やれやれ、地球を嫌う者からワタクシに一等賞に印をつけてみろと指示が入りまして、まあ単純な罠、単純な嫌がらせ、キミが素直に真ん中を引くと分かっていた上での最早インチキでございますよ。まあそこで賭けはより盛り上がっていたようですが、それにつきましては何と言いますか……えー、ワタクシが納得出来ませんでした」

「ええ? なんか、そうなの? なんか、うん、なんか……あ、そんな事してお兄さんは怒られない?」

「怒られませんよ。誰もワタクシの心なぞに気を向けませんので。怖いですか? 怖いですよね? 怖いでしょう?」

「え、なにが? あ、顔? 別に大丈夫、想像通りだから」

「いえいえ全てにおいてですよ。ほら地球はもうあんなに遠くなりまして、ワタクシとキミは宇宙を生身で漂っていますよ? どこにくかも分からず食べるあても見当たらず呼吸がいつ出来なくなるやも太陽に焼かれ月に凍えるやも、はあ、御家族もケンジ君も誰もいないのですよ?」

「うーん……誰もいない訳じゃない、お兄さんがいる。怖くないって訳でもないけど、お兄さんは僕を殺したりとか変な事はしないと思ってるよ。一年ぐらいなら宇宙にいるのも悪くない。だってこんなの夢みたいだ。もっとこう、洞窟とか潰れそうな家とか井戸の底とかに連れて行かれるかと思ってたし。それに家に帰っても学校に行っても一人だし、うん」

 またお兄さんにケタケタ笑われてる、そんなに肩まで揺らして。僕が一人ぼっちだなんて少し勇気がいる話で答えたのに、それもお兄さんにとっては面白い事だったのかな。ちょっと失礼な人だ。それより狐の耳と尻尾が薄くなったり濃くなったり途切れ途切れになってる。

 まったくもう、失礼で適当なお兄さんだな……うふふ。

「ねえ、なんで狐に化けたの? んん? 違うかな? なんで狐が化けてる人になったの?」

「夏祭り、神社、夜店、浴衣、といえば妖狐かと思いまして。雰囲気が良いでしょう?」

「それだけ?」

「はいな」

「……地球、っていうか日本を好きになってくれたの?」

「そうですねえ、そうかもしれませんねえ」

「お兄さんは神様? 宇宙人?」

「そうですねえ、そうかもしれませんねえ」

「地球を守ってくれた」

「そうですかねえ、そうなりますかねえ」

 もうすっごい適当、なんかバカにされてる? でも、あんまり嫌じゃない。家族みたいな、僕にお兄ちゃんがいたらこんな感じだったのかな。

「これから一年なにするの? どこに行くの? 僕は地球から一年いなくなってるの?」

「日本には『神隠し』という便利な言葉がございまして、キミはそういう事でございますよ」

「へえ、じゃあお兄さんはやっぱり神様で、神様に隠されたんだ、僕」

「そうしておきましょうか。さてさて一年ごときで何をするかと問われたなら、ンフッ、そりゃまあアレでございますね、いかがです? こちらに玩具が千個ございますよ」

「あ、そうだった。最初に引いた水鉄砲もあるから千と一個だよ」

「そうでございました。さてさて家の中で遊ぶ物は家の中へ、外で遊ぶ物は外へ」

 まばたきひとつ、何十畳あるか分からない畳の床が出来た。ドチャッとオモチャの山が真ん中に、畳のいい匂い、すぐに眠れそう。足の裏が固い所について、フワフワしてた体と頭がやっと落ち着いた。こっちが下で良かったんだ。

 まばたきふたつ、青い竹に挟まれた土の地面が出来た。そっちにもバラバラとポッピングやら縄跳びやらフラフープやらラジコンカーが置かれて、見えない向こうまで続いてる。ここはこっちが下になるのか。

「ワタクシは必要ないのですが、まあ物はついで、お風呂とおトイレとキミのお部屋も創造つくりましょうか」

「うん! え、お兄さんお風呂入らないの?」

「何か問題でも? さてさて勉強机と教科書と、ああキミのよわいで読んでおくべき書物や辞書や論文、論文は時期尚早でございますか、まあいいでしょう読んでいただきましょう、学びに早いも遅いもございませんからね。物事は知っておいて損にはなりません」

「えええ」

「ンフフ、オマケに漫画とお菓子と、ああ芸事も必要でございましょうか、楽器に絵の具に習字に扇子、サッカーボールにテニスボールに野球のバットとボールと、ええとグローブは景品の中にありましたか」

「扇子? ……え?! やった、一緒にやってくれるの? キャッチボールしてくれる?!」

「やりましょう、やりましょう。今すぐですか? はいはい、はいな」

「そんなに離れたら届かないよー!」

「おやおや失礼、ヒトの世に紛れていたとはいえ接するのは賭けに選ばれたヒトだけでしたからね、距離感が難しいのでして」

「うふふ」

 このお兄さんはちょっと変。何でも作れるし、何でもどうにでも出来るのに色々と少しズレちゃってる。でも、なんか普通に優しい神様なんじゃないかな。

 賭けとかよく分からないけど、僕でも面倒くさいなって思う役をしてたんだから、変な感じなんだ。きっとホントはとっても神様なんだ。スゴい、僕はスゴい、神様と一緒にいる、ただのキャッチボールだよ、なのにそんな楽しそうにしてくれる神様、僕も嬉しくなっちゃう。

「いくよ!」

「はいな」

 いつだったかな……土曜か日曜の夜だったかな、テレビで見た事がある。自分の子供が神隠しにあったみたいに消えた、見かけた人は教えて欲しい、生きてるなら帰って来てって。

「お兄さん上手だね!」

「それはそれはどうも、あらら? あれま?」

 でも僕みたいなのがこんな神隠しにあったら帰る訳がない、帰りたくない。もうお兄さんは僕を操ってないから、これは絶対に僕の気持ちだ。

「やっぱヘタッピだった!」

「これはこれは失礼」

 そうだ帰りたくない。優しくない場所に帰りたがる人なんていないと思う。

 キャッチボール、初めてだ。「軟弱だぞ長男のクセに」って顔や体に当てたりしない。届くか越えるかは別として、僕の手にちゃんと投げ返そうとしてくれる優しいキャッチボール。「友達なら取ってこい」ってワザと川や肥溜めに投げたりしない、普通のキャッチボール。

「ねえ、お兄さんみたいな人いっぱいいるの?」

「ええ、星の数ほど」

 じゃあ宇宙中に、僕みたいな人が星の数ほど楽しく暮らしてるのかも知れない。

「地球からいっぱい子供とか連れて行った?」

「さてどうでしょう、他の者達の動向はとんと聞きませんね。ワタクシは見ての通り独り身でして」

「もう地球は賭けないでって言っておいて」

「ええ、百年は手出し出来ません」

 お兄さんは僕の投げたボールをニョンと伸ばした腕で、素手でパチンとキャッチしてグローブにポスッと収めた。うふふ、意味ないじゃん、やっぱり変なの。

惑星ほしの存亡を賭けますと百年はその惑星ほしを安泰にしてやらねばならない決まりでございます。暇人の賭け事ですからね、気紛れで宇宙すべてを殲滅しないように。なので、そうですね……」

「なあに?」

「……今は『百年後に人類は滅んでいるか否か』が賭けられておりまして、しばらくは地球は大きな賭けの対象からは外されまして、放ったらかしになりますか」

「へえ、お兄さんはどっちだと思うの?」

「そうですね、ワタクシは『滅んでいない』と」

「じゃあ僕は『滅ぶ』方に賭ける!」

「なんとまあ薄情ですこと。では何を賭けます?」

「滅んで無かったらお兄さんは僕を好きにしていいよ! 滅んでたら僕がお兄さんを好きにする!」

「おやおや、ンフッ、それはまあ大変でございます、ワタクシは何をされてしまうのでしょう?」

「秘密!」

 お兄さんはホントに地球のことが好きなんだろうな。

 僕は、ちょっと嫌いだよ。嫌いになってきた。

「フフッ、楽しみですね……ん? 否、キミは百年後にしか結果が分からないのですよ? まあ残念ながらワタクシには分かってしまっておりますがね、キミは――」

「だから百年後まで僕と遊んでよ!」

「……」

「ダメ?」

「……いえ、まあ……出来なくはないと言いますか……出来るけれども多少の、その形状のままでは、まあ……良いのでございますか?」

「うん! なんかお兄さんなら出来るでしょ、神様だし! だから僕を百年生かしてよ!」

 投げ返したボールをお兄さんはキャッチ出来なくて、だってもう変な形になっちゃってる。腕も手も無いじゃん、頭も足もどこ行っちゃったんだろ? 溶けた雪だるまみたい。でも震えてる、笑ってるっぽい、なにそれ変だよすごく。ビックリするとそんな風になっちゃうのかな?

 なんかやっぱり楽しい、楽しくなりそう。


 あと百年か。それぐらいなら僕は神様に隠されておこう。結果は分かってるなら、お兄さんが「残念ながら」っていうなら、きっとそういう事なんだろうな。

 だったら他の星でお兄さんが賭けの仕掛人をやるならその手伝いもしてみたい。一日遊んで、いや、勉強もさせられそうだけど、まあ一日遊んで食べて寝て、きっと楽しい。

 それってお祭りから家に帰るより、ずっとずっと良いと思う。



  おわり。

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