明日には世界が終わりそうだけど
「リサさん?」
「はいはーい、いやーやっぱダメだわ、こりゃムリだ」
「足、痛いんですか?」
「うん! 完全に折れてる! ほら骨もチョロッと見えてるし」
「うわ、怖い」
「あはは! ごめんごめん、じゃあとりあえず見えないように何か巻いておこっかな。なんかある?」
ていうかココどこなんだろ? 鉄骨の隙間には包帯代わりになる物なんて見当たらない。顔を上げる。見慣れたコンビニの看板の端っことか信号機とか青い屋根が遠くに近くにチラホラ、もう子供が遊んだ後のオモチャの山みたいに散らかってるだけ。現在地なんて全く分からない。どこどこの何々店とか書いてある物も見渡す限りには無い。ウチはどっちだ? そもそも東西南北が分からん。父さん母さん、生きてんのかな。普通の人、生きてる人も動く影すら見当たらない。あ、スズメがチュンチュンしてるな、それぐらいか。
突然押し寄せてきてた水は突然落ち着いたらしい。多分まだ都内にいるはずなのに海の匂いがする。いや、もうこんなの東京じゃないかも。
「あー、もういいよ? リュウちゃんはさ、なんかもう少し安全そうな所に移動しなよ」
「じゃあオンブするんで乗って下さい」
「リュウちゃんが? 私を? あははっ、ムリムリ! いいよ置いて行って。なんかイイ感じに大丈夫そうな場所を見付けなよ。んで余裕があったら迎えにきて下さいな? ね?」
「んなコト出来る訳ないじゃないですか。乗って下さい、早く」
「んもう! ガンコだなあ、リュウちゃんは」
「ガンコでも何でもいいです、乗ってくれないなら抱っこで行きます」
「抱っこ?!」
「よいしょ」
分かった分かったから、と膝裏にあてた僕の腕から逃げたリサさんはノロノロと僕の背中に乗った。痛くしないようにしてあげたいけどやり方が分からない。お姫様抱っこなんて大胆な事をしようとしたくせに、いざとなるとやっぱり力も足りなくて出来なさそうだったからこっそりホッとしてる。
でも、人間を背負うなんてのも初めてだ。
何度もリサさんが
とりあえず次の瓦礫の山を目指す。あそこまで歩けたらもう一つ向こうまで歩こう。最終的には薄く見えてる緑の山まで行く。飲める水とか木の実とか食べれる草ぐらいあるだろ。
リサさんの足首の骨が水に付かないように何度も背負い直す。海水だったら染みるだろう、なるべく、なるべく、なんとか、どうにかこうにか……いやこれは……辛い、重い、思った以上に。
「リサさん」
「なあに?」
「シリトリ」
「理科」
「狩り」
「リンゴ」
「……食べたいな」
「あ、ごめん」
「リサさん『ん』付いた」
「え?! ウソ?! だって『リンゴ』から『食べたい』だってシリトリになってないし!」
「フフッ」
「最低イジワル性格わる、あ?!」
「え?」
「……うん、だいじょぶ、気にしないで」
「吐いてます? あ、え?! 血?! なんで?!」
「……が、うん」
肩から背中に、腕に、目の端で制服のワイシャツの白が熱く
「リサさん?!」
「……うん」
「ちょっと、あの、あれ、横になれそうな所まで、もうちょっと頑張るっていうか! リサさん?!」
「……う」
ヤバい、死んじゃう。
リサさんは
「下ろしますよ?! 足を伸ばして、下に付けて下さい、立って下さい、少しでいいから、ねえ?! リサさん?!」
「……」
ヤバい、どうやったら痛くないように寝かせてあげれるのか、ていうか背負うのが初めてなら背負った人を下ろすのも初めてだ、こんなの落としちゃうじゃないか落ちちゃうじゃん、ちょっと待って、待って待って……あっ。
「ごめんなさい! 多分めっちゃ痛かったと思う! 大丈夫ですか?!」
「……うふ……ふふ」
「リサさん?!」
「……骨、出てる、ここも」
「ああ……!」
「……ウチの店に……『折れた肋骨が出て来ちゃった時の応急手当』とか、そういう本、あったかもね」
「喋らない方が良いかもです」
「……死ぬまで黙れって? やなこった……うふふ」
「血が、ホントに、もう、どうすれば良いですか?」
「……置いて行けって言ってるじゃん? 津波もこれだけじゃ終わらないだろうし……水も食べ物もここには無いよ、行きなよ」
深い溜め息と、血が溢れていく。呼吸と一緒に、言葉と一緒に、脈と一緒に、ただ流れていく。いやだ。
「もうすぐ、あれ、そこに山が見えてるんです、あそこまで行ければ何とかなりそうですよ」
「……略奪とか人殺しが山で流行ってると思うよ? そこに人が存在すればだけどね、うふふっ」
「あ、そっかそうですよ、もう人なんか居ないかも、だから安全かも、だから、だから」
「……私とリュウちゃんでアダムとイブってか? ヤダなあもう、エッチ」
消えそうな声でエッチ、と囁いた口から血と泡が吹き出た。本屋でクソ重い本棚の隙間から助け出した時もこんな冗談みたいな、覚えてもいないぐらいの雑談をしながらだった。いや覚えてる。「今朝の地震で挟まったの、挟まりたてだよ」って笑ってたんだ。怪我をしてるのは当然だった。背負った時の胸の感触も知らないフリ、見て見ぬフリをしてた。仰向けになったらもう分かり過ぎるぐらい分かる。右側がやっぱり潰れてヘコんでる。
……僕がオンブなんかしたせいで折れた骨が新しい傷を、傷口を更に広げたのかも僕かも知れない、新しく傷を、僕が、リサさんに、リサさんを、僕はリサさんをころ、僕は……。
「リサさん」
「……」
「ごめんなさい」
「……いきなよ……」
ハイもイイエも言えないまま、無言は返事にならない。もう嘘みたいに赤くて
ゴツゴツな瓦礫の山で見付けた平らな所、狭いけど座れる所、すぐそこに迫る黒い水もオレンジに濁っていて。
世界は壊れそうでも太陽は沈む。きっと朝になれば昇ってくる。あそこの白い満月も一番星もこれから濃くなって薄くなって、また濃く回る。
リサさんは動かない。ジッと待ってても多分もう動かない。近くに誰もいないのかな? 埋めてあげて欲しいけど、でも僕の側に置いてて欲しいけど、誰か、いや、ここまでリサさん以外に生きてる人は見てないな。いま、この時間だけは出会ってから初めて血色の良い顔に見えてるから夕日には少し感謝してる。一目惚れをするほどキレイでもないし、服も普通のジーンズと白かったっぽいパーカー、長めの髪もボサボサで元の髪型は分からない。
それでも一緒にいた何時間かはリサさんの声と体の重みと温かさが支えになって逃げる力になってた、絶対に間違いないんだ。夕焼けが終わったら死体らしくなっちゃうかも……座り直した時にツンと触れた指先はとっくに固くて冷たかった。それは嫌だな、嫌だなそれは、とても嫌だ。
「……いやだよね、リサさんも」
どう頑張っても返事は無い。手を伸ばせば届きそうな水の音しか聞こえなくて、海の音みたいだって気付いてからはずっと聞いてる。波打ち際の音じゃんって数えてみたりしてる。
バカみたいに長い地震中に見た最後のニュースでは『核爆弾が』『太陽フレアが』『宇宙人が』『地球の核が』『攻撃されています』『各国要人は国際宇宙ステーションへ』『数ヶ月前から』それぐらいだったな。世界中で同時に何かが起きたのなら、たぶん天変地異系のことだと思う。なんとなく宇宙人はナシだ。いや、もしかしたら全部ホントだったのかも知れないけど。
最近地震増えたな、ぐらいだったのに何もかも一瞬で終わっちゃった。こういう時に
「……痛い……寒い……ハラ減った」
揺れが落ち着いた後、スマホはすぐに圏外になって最初の津波で僕と一緒に水没して、人間は砂場の水遊びに巻き込まれた蟻みたいで、僕は何かに引っ掛かって生き残って、
引いて返す波はカウントダウンか、カウントアップか。
そうか満月だから、満月って潮の満ち引きがどうとか聞いた事がある、だからこんなに黒い海が広がったんだ、なんだっけ、ウミガメが産卵するんだ、こんな夜には。
もう座っておく力もない、リサさんの横に並んで仰向けに満月が昇るのを見てた。
普通に出会っていたら好きになったりしたのかな。マンガを立ち読みする僕にも「やあ!」って声をかけてきたのかな。来年の今頃には大学生で一人暮らしでレポートとかいう物の為の本を探したりして、「そんな難しい勉強してんの?!」とか褒められたりして、この髪の長さならポニーテールだったりして、青いスカートの日もあったかも、黄色いエプロンの日も、ピンクの口紅の日も、似合うかな、確認したいのにもう顔を見れない。
血とか死体は怖いのにリサさんの側から離れられないなんて僕はワガママだ。あり得ない未来にも過去にも
月が綺麗だ、星も、暗いだけの空も。黒、だけじゃない。青みがあって紺色も見えるし白もきっと混ざってて本当に綺麗だ。誰もいないから、車なんかもいないから、でもそれって変じゃね。誰も見てなさそうな時の方が綺麗なんて夜空は、ていうか地球は性格悪いんだな。
「……ああ、痛え」
こんなに鮮やかに見えるのに、星座なんて一つも分からない。
リサさんなら何座とか星の名前なんかも知ってたのかな。あの古い本屋の古い本を読みながら生きてきたのかも。仲のいい友達と遊びに行ったりして、服を買いに出掛けたりするより演劇とかクラシックのコンサートとか美術館とかで喜んでて欲しい、カフェじゃなくて喫茶店で珈琲を、僕は飲めるようになったばかりだから砂糖もミルクも沢山入れるのを笑われたりして、「ガキ」とか汚ない言葉じゃなくて「お子様だねえ」って言うはず、それですぐに……笑って……。
「……リサさん、僕と付き合ってください」
「……え、いいんですか、やった」
「……ご両親にご挨拶を」
「……僕と……なんつって」
ああ僕もダメなのかも。
一人になったら体中が痛い。
津波の中は洗濯機みたいだったから。
目の前がチカチカしてるのに暗い。
他に生きてる人、いないのかな。
近くにいなくても、どこかで、同じように。
一人はちょっと寂しいから一人じゃないって思いたい。
目を閉じれば、初めて見た瞬間のリサさんが淡く塗り重なって色付いていく。本棚は勝手に起き上がって店はブロックみたいに四角く積み上がってリサさんは白いパーカーの血もジーンズの穴もパンパン払いながら「いらっしゃいませ!」って笑う。それは朝だったり、夕暮れだったり、夜だったり、きっと綺麗だと思う。いま目を開いて横を……見れないだろうな。
死にかけてたのに笑ったリサさんは、通りすがりの僕に何を思ったんだろう。いや僕も、普通こんな死ぬ直前なら家族とか友達を呼べばいいのに、僕は何してんだろうね。
「……リサさん」
目を閉じればまた……古い本屋の店先で、夏の花みたいなリサさんが笑う。
おわり。
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