可惜夜に、「ただいま」
(まもなく肉眼で地球を見ることが出来ます)
「……え? どっち?」
(進行方向右手の窓をご覧下さい)
「どれ? どこ? あ、あの光ってる点かな?」
(かなり遠くからでも地球は青く光って見えます)
「じゃあそうかも、小さくても分かるぐらい青い、キラキラしてる」
(おめでとうございます、マツイ様。帰還成功です)
「はあ……あー! やったー! 長い間ありがとねキューちゃん、ホントに……はあ、ホント長かった」
ジワッと地球らしき青い点が滲んだ。まだまだ不安はある、ちゃんと着くまで、着陸するまで、家に帰るまでが宇宙旅行だってガイドのお姉さんも言ってた。でもでもだって、嬉しいものは嬉しい。
早く慣れておかなきゃ、重力装置をオンにしてベッドに飛び込む、けど、あれ? 飛び込んだつもりだったのにフンワリだった、思った以上に優しく白いベッドに乗っかっちゃった……ああそうか、急に地球と同じ重力をかけちゃダメなんだっけ。キューちゃんがイイ感じに変更してくれてたんだろうな。本当に良い相棒だった。
何百回と開いた『救命脱出ポッド用AI キューちゃん』のトリセツをムフフと空中でスクロール、こんなのを笑いながら読むなんて初めて。キューちゃんはこの長い遭難中に僕の行動パターンとか言葉とか沢山覚えてくれた、僕が育てたようなもんなんだから地球に着いたらお別れなんて嫌だ、もったいない。賢くて優しくて忠実、嘘もつかないし僕を騙したり下に見たりもしない、今もこうやってサポートしてくれて、あ、あったAIの移植方法。この手順なら僕でも頑張れば出来そう。父さんにお願いして買い取ってもらえるかな。
……せっかくのムフフが自然と消えていく。学校用のタブレットにキューちゃんを入れておけばイロイロとアレで良いな、なんて……だけど……父さん、まだ怒ってるかな? いつもみたいに母さんが父さんを何とかして僕が帰りやすいようにしてくれてる気もする、けど。
(マツイ様、不用意に混乱を招かないようプログラムされており、現在地に到達するまでお伝え出来なかった報告があります)
「うん?」
(一つ問題が発生しています。地球との交信が途絶えています)
「うん? ……え? それはどういう事? なんかマズいよね?」
(緊急着陸になるので海へ着水予定ですが、その際に救助が見込めません)
「んん? なんでだろうね? まだ遠過ぎるとか?」
(数日前から圏内に入っているはずですが、こちらのSOSに地球からの応答はありません。規定の距離まで近付き、どこからも救援救護を受けてもらえる返答が無ければ、情報収集の為
「ああ、うん……うん、キューちゃんが良いと思うようにしてくれる?」
(かしこまりました)
「……ふーん?」
気になるっちゃなるけど、まあここまで帰って来たんだから大丈夫でしょ。宇宙船が事故った瞬間、ああコレ死んだわって一度は覚悟したんだ。今は無事に地球が見えるトコまで来たんだから平気だって。問題があると言われて起こしかけた体、まあいいやってベッドに戻す。
左右に四段ベッド、僕の上にもベッド、他の部屋にも沢山ある。事故から何日か日寝込んでたみたいで、目が覚めた時にはここも一杯だった。家族連れや、銀婚式の記念だってニコニコしてたおじいさんとおばあさん、若いカップルもいたしガイドさんもいた。もうみんなの顔を忘れそう。最初は仲良くやれてたのにな、少しずつ変になっちゃったなんて……ため息ひとつ、いやこれは深呼吸だ……昼だったか夜だったか、ビックリするぐらいの大声で「地球に着いたぞ!」って、あの叫びが忘れられない。
目がどこも見てないお父さんに抱えられた女の子、止める間もなく緊急ハッチが開いたと赤い警告灯が回って、助けてかバイバイをしようとして僕に振り向いた小さな赤い女の子、あんなに小さい手で……二人は宇宙服も着ないで外に飛び出した。無言で、無表情で追いかけたお母さんも、なんかもう一生忘れられそうにない。
おじいさんとおばあさんは、いつの間にかお互いの指や肩を噛り合って出血多量で死んでた。カップルとガイドさんは僕が起きたら三人とも裸でアザだらけの紫色になって死んでた……ガイドさん、優しくて可愛いかったのにな。
他の部屋の人達も同じような感じで死んで行ったらしい。最後に残ったスーツのオジサンは「妻を殺して逃亡中だったんだよこの惑星ツアーが終わったら自首するつもりだったんだけどね先にバチが当たったらしいなハッハッハッハ!」と笑いながら外に出て行った。あのオジサンのバチに巻き込まれたんだったら運が悪いにも程があるよ、まったく……ああ、ウトウトしてたのかな、深呼吸ひとつ。
(マツイ様、コックピットから地球をご覧になりますか?)
「……あ、それイイかも。行くよ」
(現在、地球まで80万キロメートルです)
「近い、のかな? 遭難中よりは近いよね」
(いかがでしょうか? 私達が暮らす美しい地球は多くの生命を――)
「……フフッ」
(マツイ様、何かご不明な点でもございましたでしょうか?)
「いや、キューちゃんが真面目に地球のガイドをしようとしてるのが今更っていうか、何かヘンでさ」
ヘンだよ。最初は赤ちゃんに読むような絵本の朗読とか、ちょっと慣れたら古いマンガの話とか、ブラックホールに吸い込まれた時の脱出方法とか、僕に合わせてIQの低い作りたてのロボットみたいな感じだったじゃん。
(そうですか? そうなんですか?)
「そ、そうなんですよ、なんでかな? フフッ、疲れてんのかな、何でも面白くなっちゃうみたいな? 『そうなんですか?』って遭難ですよって、フフフッ」
(それは『そうなんですか?』と『遭難ですか?』という言葉が同音で現在の状況と相まって――)
「いやいや、いいからそういうのは!」
(『ソウナンですか?』)
「ちょ、それワザと? スゴいねキューちゃん!」
(ありがとうございます)
「フフッ……あ、あ! 地球だよ、間違いなかった、カンペキに地球だよ。キレイだなあ」
久し振りに見えて来た地球は薄い雲がフワッとかかって、本当に青く光る美しい星で……ん? これ……ずいぶん青くない? 青過ぎない?
(まもなく月の横を通過します。進行方向左手をご覧下さい)
「ちょっと待ってキューちゃん? 地球おかしいよ? 青いよ?」
(地球は表面の約70パーセントが海で覆われています。宇宙から見たその姿は――)
「いや違うんだって! キューちゃん、真っ青なんだよ、陸が無い、雲で隠れてるとかそんなんじゃない、見える所に陸地が無い! そんな事ってある?!」
(マツイ様、少々お待ち下さい)
「うん、分かった、待つよ僕、すっごい待つから!」
(
「お、落ち着いてる僕! だいじょぶ、うん! 皆みたいに変になったりしないよ、してない、だいじょぶ!」
(マツイ様)
「はあい?! ……うん、大丈夫。ありがとう……ねえ陸が無いっておかしいよね? 地球の裏側に回れる? なんか色々あって陸地が片方に寄っちゃった、みたいな事かも知れないし」
(かしこまりました)
「あ?! 待って待って、燃料は?! 持つの?!」
(太陽光があります。燃料が尽きる事はありませんのでご安心下さい)
「あ、そっか、うん」
そうだった、ガイドのお姉さんが言ってた。光エネルギーさえあれば無限に動けるから安心だって。本船もこの救命ポッドも同じだって。
落ち着こう、落ち着かなきゃ、いやいやでもコレってどうなの? 皆どこで暮らしてるの? 海に住む事にしたのかな? どうしよう? 僕、泳げないよ?
(マツイ様、ご希望通りここから地球を一周します)
「あ、はい」
(喉が渇きましたか? お水をご用意しましょう)
「あ、うん、飲む」
声がカサカサだ、カラカラだよ、怖いのかな? もし裏側に回っても陸が無かったら? 父さんと母さんは? 地球人はどうなっちゃったの、どうしちゃったの……ああ……ああ、無いかも……これは……ダメだ……。
「キューちゃん……キューちゃん、陸が無いんだ、海しか、海だけあるよ? ここ本当に地球?」
(はい。間違いありません)
「……」
(ISSからは応答がありません。このままドッキング体勢に入ります。着席してシートベルトをお締め下さい)
いつの間にか窓に張り付いて外を見てた。手近な操縦席に座ってベルトを締める。今の僕にはキューちゃんしかいないんだ……もしかしたら永遠にキューちゃんしか……どうしちゃったんだろう? 怖いかも、怖いとしか、こわくなんか、そう、だいじょぶ、大丈夫。
(周回軌道に乗るまで時間がかかります。お食事にしますか?)
「……うーん」
(少しお疲れでしょうか、お休みになりますか? リクライニング機能をご使用ください)
「……そうしようかな……何か分かったら起こしてね、絶対だよ?」
(かしこまりました)
「うん」
操縦席を倒す前に見えた数字が重力設定なら、地球の2分の1にされてたと思う。体が重い。ノロノロ寝返り、ウトウト途切れ途切れ。
窓の外は忙しい。青い曲線が窓枠の端に真ん中に、また端に、青過ぎる
……ISSにドッキングって結構キツいんだな。いつも普通に地上に着陸するから初めて、フラフラ、目が回った。キューちゃんが自立歩行型なら掴まりたかった、けど内蔵型だから音声で励ましてくれるだけ。
やっぱり帰ったら父さんに買い取ってもらって移植を、どうせならタブレットじゃなくて手足がある機体に入れようか、僕の身長より少し大きいぐらいの、なんかカッコいいヤツに入れて、一緒に学校行ったり、外で遊んだり、ゲームしたり……だから今はブランケットにくるまってモゾモゾしてるだけでも、ただ、とりとめもなく。
父さんのカードを使って勝手に『ワクワク惑星ツアー半年パック【地球時間での『半年』になります。ご注意ください】』に申し込んだ。戻れるならあの時の自分を止めたいけど……まあもういいや。中学は普通科に行きたかったのに進学先を勝手に変えられてたんだから、僕が勝手に旅行に行くのも当然の権利だと思った。父さんの後を継ぐ気はないって何回も言ったのに、まだ将来のことなんて考えてもなかったのに、僕は成績も何もかも普通なんだから期待して欲しくなかったのに。
半年も地球を離れていれば受験の話は流れるはず、だった……流れすぎだよ、こんなの。本当に何もかも流れちゃったのかも、海に、もう何もかも。
本船が大きな小惑星に接触したのは銀河系を外から見学してる時だった。近くで、いや宇宙空間での近くだから遠いんだっけ、まあ何だっけ、何でもいいや、近くで予測不可だった彗星のシッポに突っ込んじゃって、不安定な空間に巻き込まれて、そこから一年かけて帰って来てみればコレだよ。
僕が何したって言うのかな? こんなの普通の子供のただの反抗期じゃん、そうだよ、大きな小惑星が悪い、不安定な空間なんてワケ分からん空間が悪い、本船が悪い、脱出ポッドは悪くない、キューちゃん以外の何かが悪かったんだ、死んだ皆も悪い、大人は子供に何もしてくれなかった、悪いのはみんな、僕以外のみんなが悪かったんだ、全部ぜーんぶ宇宙が悪かったんだ……!
(……さま……マツイ様)
「……はい……あ?! どう?! 地球どうしたの?!」
(年表と共に時系列で説明すると8時間17分かかります。簡単に概要のみ説明すると9秒かかります。どちらが宜しいですか?)
「9秒でお願い」
(地球で戦争が勃発し核兵器が飛び交いました。地球上の人類は滅びたようです。このISSに避難した人類も全員死亡しました)
「……いや、いやいやいや、おかしくない? そんな一瞬で滅ぶ?」
(一瞬ではありません。お客様全員、眠りにつかれる度に50年のコールドスリープに入っていましたので――)
「は? ……ご……ごじゅう……ねん? 50年?! なんでそんなことしたの?!」
(規約第五条に明記されております。『遭難した際はお客様の安全を最優先とし、本船及び救命脱出ポッドはコールドスリープ装置を作動させます。それによりお客様の人生に損害が――)
「分かった、分かったよ、僕の為だったんだよね、ありがと、うん、じゃあ一年以上は遭難してた気がするから最低でも365回は50年寝てるんだね? じゃあ、じゃあさ、うん、それってスゴいね、ヤバい、ありがとキューちゃん!」
(どういたしまして。正確な年齢を算出しますか?)
「いやそれは遠慮しときます! 要らないっていうか知りたくないっていうか、うん、大丈夫!」
そっかー、そうだったのかー、やっぱりねー、そうじゃないかなーって思ってたよー。
地球滅びた! 人類滅亡! 僕、僕だけ長生き!
ちょっとなにこれ? どうするの? わー、どうしよう、ねえ? え?! どうしよう?
(マツイ様、開発の進んでいた月や火星、エネルギー生産用惑星の水星や金星に逃れた人類も居たようでしたが)
「え?!」
(戦後100年ほどで交信が絶え消息不明となっております)
「そっか!」
(宇宙船を全て起動させ他惑星を目指した人類も居たようでしたが)
「え?!」
(そちらも戦後200年ほどで交信が絶え消息不明となっております)
「そうなんだ!」
(『遭難です』)
「……フッ」
ああこれは、なんかもうダメなんだろうな。
「フフッ」
薄々分かってたけど地球にも宇宙にも誰も居ないんだ、もう人間は居ないんだ。
「ンフッ、アハハハッ」
僕が最後の人間、ここはノアの方舟じゃない、ただの脱出ポッドだ、僕だけ存在してて僕だけじゃ意味が無い、ハハ、それってスゴく大変だ、あーあ、アハハ。
「フフッ、どうしよっか? キューちゃんはどうすればイイと思う?」
(マツイ様のご要望にお応えします)
「じゃあまず固い喋り方やめて? 結構マシになってきたけど、もう少し柔らかくいける?」
(……分かりました。頑張ります、マツイ君)
「フフッ、あとは、んと……じゃあさ、『滅びた地球観光』しない? 外に出て散歩とか、あ、泳げないけど、まあいいや。キューちゃんは海水も平気だよね?」
(はい。緊急用なので海に着水可能、救助を待つ為に海水耐性は数百年もイケる材質で出来てます)
「よし! あ、ご飯とお水は? 地球に降りてもまた飛べる?」
(食料と飲料水は光エネルギーがある限り無限です。海水を補給出来れば味のバリエーションが増えます。着水状態からの離陸もイケちゃいます)
「ん! じゃ行こう!」
(行こう)
「ンフフ」
(ウフフ)
せっかく操縦席にいるんだから遊ぼうよ。手動操作の全てにロックをかけてもらって、ポチポチ色んなスイッチを押してみる。「ドッキング、解除!」って大きな赤いボタンを押したらキューちゃんがナイスなタイミングでISSから離脱、じゃあ「地球へ帰還せよ!」って言ってみたら(ラジャー)ってイイ感じに大気圏に入ってくれた。いま僕ちょっとカッコいいかも……このボタン、普段なら絶対に押しちゃダメなやつだろうな……うん、まあいいや。
楽しいかもね、こういうのも。
僕が死ぬまでキューちゃんと一緒に宇宙旅行か。どこまで行こう、どこまで行けるかな? 新種の宇宙人でも探そうかな? それとも……――
(……イくん、応答し……マツイ君、応答して下さい。マツイ君、応答してく)
「はい?! あ、着いた?」
(はい、無事に到着です。マツイ君は主に大気圏突入時の衝撃、及び様々な外的要因が複合し意識を失っていました。焦りました。現在、バイタルは正常値に戻っています。詳しい状況説明が必要ですか?)
「ああ無事に、良かった、いや説明は大丈夫、ただの気絶でしょ、こんな降り方初めてだからさ、うん。えっと、どうすればいい?」
(体はフツーに動きますか?)
「……うん、大丈夫そう。ここ真っ暗、海の中?」
(はい。数分で海面に浮上、大気の安全が確認されるとハッチのロックが解除されます)
「わ、ただいま地球、ただいまー」
キューちゃんに言われた身体機能確認を何個かこなしてるうちに目の前が真っ白になって、違う、眩しいんだ、海から出たんだ。コックピットの大きな窓の外は水と空に大きく揺れて、弾ける波しぶきは何度目かで止んだ。
ユラユラの青い海面に頭がクラクラしてきた。宇宙酔いはしない体質なのに海で酔うなんて……でも、帰ってきたんだ。誰もいないけどここは地球、感動よりもただの「……海だ」ったけど。
(はい、ガチで海です。ハッチのロックが解除されました。防護服の着用が必要でおすすめは出来ませんが、外に出てみますか?)
「……うん」
(どうしましたか? 心拍数上昇、ドキドキですね。体調に不安がありますか?)
「いや、そうじゃなくて……なんか、これって出てみても海しか無いんだよね? 防護服なら新鮮な空気も吸えないワケで……」
(では予定を変更しましょう。このまま『滅びた地球見学』にしませんか。ワクワクです、行きましょう)
「……うん、そうだね」
(マツイ君、シートベルトをして下さい)
「うん?」
(遊覧飛行と洒落込みましょう)
「しゃれ、こむ? うわ?!」
シートベルトを締め直した瞬間、ボフッと座席に押し付けられた。急上昇、急降下、急加速、たぶん宙返りも入った、。
……キューちゃんに気を使わせちゃったかな。
僕、なんか急に怖くなったのかも。いや違う、そうじゃない。無意味、虚しくなっちゃったのかな。わざわざ外に出て海水を見る理由が分からなくなっちゃった。だって誰も居ないし何も……無い?!
「うわ?! なにしたの?!」
(縦に回転してみました。イケてますか?)
「フフッ、うん、イケてる、面白かった! 気分も良くなった! ありがと!」
(正面下方を見て下さい。この辺りは水深が浅いようなので海中が覗けるのでは)
「うん……え?!」
(と推測を立てました。アルプス山脈が見えるはずです)
「ある、あるよ! これ、この辺り全部、小学校の3Dの授業で作ったよ! 超大変だった! これはマッターホルン! てっぺんスレスレまで海になっちゃってるよ?!」
(予測が的中しました。マツイ君、褒めて下さい)
「偉い! スゴいキューちゃん! え? そんなキャラだっけ?」
(柔らかく、とお願いされたのでデータを更新中です)
「へえ、なんかイイよ、なんか嬉しい」
(良かったです)
コックピットに響く声が確かに変わってきてる。こういうAIの音声は低くて落ち着いた『誰が聞いても不快にならない男女混声』、好きでも嫌いでもなかった。それがさっきからジワジワと、ほんの少しずつキーが上がってる気がする。このまま友達みたいに、僕の歳に合わせた声で、僕の最期まで話し相手になってくれるのかな。
「はあー、なんかさ、うん、そっかそっか、アルプス山脈が沈没しちゃうんなら地球はダメだよね……あれ? そうだっけ? 地球の氷が全部溶けてもこうはならないんじゃなかった?」
(はい)
「え?」
(ISSにあった記録だけでは人類が滅んだ後に何が起こったかは分かりません。自動で残っている観測データにも気温と湿度以外は特に変動はありませんでした)
「気温?」
(夏は40度前後、冬でも25度を下回る場所は無いようです)
「じゃあ湿度の変動って、上がってるんでしょ? まあ海だもんね。あ、暑いのは、湿度が上がると雲が発生する、それが地球を
(コントロールされている可能性があります)
「え?!」
(何者かに地球の気候が改変されたと考えるのが自然でしょう。住みやすい様に管理し適温に保っているのでは)
「ええ?!」
(と推測を立てまして、高度を落とさないようにしていたのですが)
「ですが?! もしかして?!」
(その何者かが既に交信を試みてきています。SOSにも反応しているようでしたが、ISSからではないので報告は控えてました)
「うわあ?!」
(コチラは解読の為のプログラムを構築中ですが、アチラはコチラの言語を理解している様です。少しずつ文言を変えて送られてきています)
「……それは」
(まだ友好的かどうかは分かりません)
地球に何かが住んでる? 言語がある? キューちゃんは気付いてたから僕を必死で起こしてた? 外に出てみたかった僕にオススメはしないって、だから急いで飛び立った? 全部の記録を知ってるキューちゃんは地球見学なんてワクワクしないもんね? ああ確か生命反応を探す機能もあったはず、事故った時にそれで助けてくれたんだ、だから、だから……え? どうしよう?
「……じゃあ、その、『部外者立入禁止!』みたいな生き物だったり、なんか好戦的って事もあるんだよね? 逃げよう?」
(どれだけの技術を持っているか分かりません。なので先ほどから距離は取っています。戦闘モードも搭載しているのでご安心を)
と、答えてくれてすぐ、なんの前触れもなくフツッとキューちゃんの声が消えた。
完全な無音。
キューちゃんが喋ってない時でも、ずっと微かな待機音みたいなのは聞こえてた。ずっとキューちゃんが居る気配は感じてたのに……今はそれすら無い。
ヤバい、これは怖い。「……キューちゃん?」
僕は何をすれば、何が出来る? 「……おーい」
これは、どう、えっと?「……キューちゃ――」
(座席に深く座って背中と頭を付けろ)
「はい?! はい!」
(アームレストにしっかり掴まれ)
キューちゃんの『飛ぶ』は僕が思ってる『飛ぶ』とは違ってた。そうだ、アレだ。母さんは古い映画が好きで僕もよく一緒に見てたけど、あの時代にいたバーテンダーというカッコいい人、お酒を作る人が持ってた銀色のヤツだ。キューちゃんの『飛ぶ』はアレみたいな感じだった。「シェイク!」って感じだね。
ブンブン振り回されながら目に入るのは海面から撃ち上がる銀色の光、コレたぶん攻撃されてる、赤い何か、白い柱みたいな巨大な水しぶき、多分このポッドから伸びてる
『……こど……ひと……り……』
キューちゃんとは全然違うザラザラした音声が紛れた。
今の、子供が一人って言った? 誰かに報告してるみたいな、多分ポッドの翻訳が入ってるから余計に変な感じの、なんか、もしかしてコレが地球に住んでる生き物の声? だとしたら会いたくない、スゴく嫌な感じだし、絶対に仲良くなろうって雰囲気じゃ無いでしょコレは!
「キューちゃん?!」
(舌を噛む、黙っておけ)
ハイ、怖い、座席と一体化しておく。
キューちゃんが戦ってる。僕の頭ぐらいの銀色の
強化ガラス越しに目が、合う。赤い、とにかく赤い。
細長い三角の頭、長い触角、顔の左右に飛び出た黒目と、バッチリ目が合ってる。
これ……海老?
海のエビだよね? 巨大エビ? エビロボット? 本物のエビ? え? なんでエビ?
「……こ、こんにちは……」
『確かにヒトだ。殺すな、生け捕りだ』
(させない)
「ええ?!」
『翻訳システムが追い付いたのか言葉が通じるようだ』
(離れろ)
「キューちゃん?!」
『AIが操縦しているらしい。回収したいがやむを得まい』
(離れろ!)
キューちゃんスゴい。
一発で巨大エビを叩き落としたみたい、脚で掴まれてたっぽいのに、スゴい、どうやったんだろ? 分かんないけどなんか怖いエビは離れたみたい、なんてホッとしたのもつかの間、別の声が叫んだ。
『ひゃっはー!
「エビじゃない! なに?! 今度は人間?! 人間いるじゃん?! ヒト?! オバアチャン?! 誰の、どこの誰のオバアサマ?!」
(落ち着けマツイ君、あれは人間の宇宙船、このポッドのSOSを受け月から出撃してきてくれたそうだ)
『アンタ達ちょっと待っときな! シメちゃうから!』
「えええ?! どちら様?!」
(落ち着けマツイ君、あの船は味方だ。エビに向かって行った小型船からも本船からも救助可能と返信が来ている)
大きくて白い宇宙船が海とキューちゃんの間に入った。
……わあ、すごいじゃん。
これ歴史の授業で見た。超旧式の、ロケットで打ち上げるやつ、スペースシャトルだっけ、翼に黒いラインが入ってるやつだ。お腹の辺りから小型船が何機か出て巨大エビを追ってるらしい。けど、多分この脱出ポッドより小さい船だった。何が出来るんだろ?
なんて外を見てたら手元に暗号化された文字列、何層にも重なって埋め尽くされて、すぐにピコンといつもの文字に変わった。キューちゃんが翻訳してくれたのかな……これは僕宛てのメールだ。なんか古い言葉がいっぱい、お祖母ちゃんからもらったメールみたいで読み辛い……けど、キューちゃんがこれ以上の翻訳をしないなら、これは原文で読めって事なのかな。一番上に『ウバステ星の海賊船より愛を込めて』って書いてある。うばすて? なんだそれ?
――……上昇を続けるキューちゃん、スペースシャトルは僕達の少し前を飛んでるらしい。大気圏を抜けた所でやっとメールを読み終わった。なるほど、なるほど。
(マツイ君、読み終わったか)
「うん」
で、顔を上げてみればまたビックリだ。窓の外、下の方で円形に並んだ小型船五機が、ワイヤーで巨大エビをぶら下げて飛んでる。大気圏で燃え尽きないでこんがり焼けたのか、なんかちょっと美味しそ……いやいやいや大気圏抜けちゃうエビなんて絶対ヤバいヤツだ、食べちゃ……食べれるから持って来たんだろうな。お寿司とか言ってたし。
『ヘイ坊や! ラブレター読んでくれたんだって? コッチもソッチの状況は分かったよ、最近のAIさんは優秀だねえ!』
「あ、はい。えっと、リーダーのアキナさんですね?」
『ヨロシク!』
「よろしくお願いします、マツイです。あの、スゴいですね、何世紀も前の宇宙船を動かせるなんて」
『まあね。だってアタシ達みたいなババアとヨボヨボジジイしか居ないから暇でさ。このシャトルも年寄りだ、相性が良かったんだよ』
「ん……ウフフッ」ここ、笑ってイイ所だよね? なんか優しくて雑で、やっとちゃんとした
メールには、僕がツアーに参加した時代の前後に地球で流行ってた『宇宙ケアハウス事業(無重力介護推進政策)』の概要と、月を回る人工衛星に送られたお年寄り達の話がオモシロおかしく書いてあった。
ボケたり病気になると問答無用でコールドスリープ、『よう分からんバグか何かで』AIに叩き起こされて、目が覚めたらボケも病気も治ってて、『なんなら少し若返っちゃって』た事。
でもせっかく起きたのに人類はとっくの昔に滅んでて『ガックリきちゃったみたいでねえ』、絶望して9割のお年寄りがもう一度眠ってしまった事。
それから『たまたまアタシ達を乗せてきたスペースシャトル拾ってさ』、元技術者や元軍人や元区役所職員に元教師、元医者や元政府要人に元サラリーマンその他いろいろな元ナニナニ、それに留守番や日常生活を任されたベテラン主婦と主夫達も力を合わせて地球や月を探索した事。
そんな地球でやっと見つけた生き物は、放射能を防ぐ殻を身にまとい巨大化した甲殻類たち。そんな新しく進化中の生物は『牛ぐらいで可愛いモンだったんだけどねえ、どんどんデカくなってきちゃって』、お年寄り達が目覚める前から、とっくの昔からの当たり前のように地球を乗っ取ってたらしい事。
最初のうちは地球を取り戻そうと攻撃を仕掛けてみたけど『意外とガチで返り討ちにあっちゃって』、それで結構な数のお年寄りが戦死した事。
『
「えっと、あのエビって喋りますよね? 食べるのってアレじゃないですか?」
『うんうん、喋りそうだなって思ったからアイツらからの通信は切っててさ。なんかブツブツ言ってたけど無視したよ。ヘンに情がわいても、ねえ?』
「……ウフフ」
『アホなフリしてサッと狩ってサッと食う! その方が幸せでしょ?』
「アハハ、そうかも!」
大気圏を越えて月まで並走、アキナさんの明るい声の後ろがガヤガヤしてきた。炙りの刺身、塩焼き、グラタン、パスタとか、なんかもう美味しそうな単語がいっぱいだ。
よし、一旦通信を切らせてもらって、さてさて、これはどうしたものかな?
「キューちゃんはどうするのが良いと思う?」
(合流するのみ。SOSに即答してこなかったのは根本的なこちらの技術不足、したくても出来なかったようだ。エビとアキナ達の方が全ての技術において数段階は進歩していたが、こちらがシステムをコピーし再構築すれば問題なかった。他の事柄についても特に懸念は無い)
「……ふーん」
(合流するのみ。それによりマツイ君の半年後から未来への生存確率が跳ね上がる。合流してくれ)
「半年後までは大丈夫で、半年後にナニがあって僕の生存確率が下がってたの?」
(アポフィ――秘密だ)
「うわ、秘密とかそんな風に言えるようになったんだ、すごい」
(合流してくれ)
「……分かった、それが一番よさそうなんだよね」
キューちゃんと僕は『人工衛星カグヤ ケアハウス かぐやの里』の、元気なお年寄り達が結成した『ウバステ星の海賊』と合流する事になった。カグヤに着いてすぐ、やっと防護服を脱いでキューちゃんの安全確認を待ってバイタル測られて、すぐ。
ドヤドヤドヤーッと、まあまあモミクチャにされた。これは歓迎でいいのかな、たぶん大歓迎。人間、温かいな。
いや、それどころじゃないかも、結構な人数、こんなに生きてる人間いたんだ、待って待って予想以上、これは潰れちゃいそう。だけど、キューちゃんは助けてくれない、助けられないよね、手足とか無いんだもんね、早く何とかしてキューちゃんを自由に動けるようにしよう、そうしよう、でも今キューちゃんを側に置いて『過剰な接触はご遠慮ください』って止めてもらいたい、僕の髪の毛が無くなりそう撫でられ過ぎだよ、お年寄りって、こんな感じだっけ? こんなに子供の頭を撫でるものだっけ?
「あらまー、ナマでこんな若い子、いやー、懐かしい! やっぱり違うねえ、ピッチピチ! 可愛い坊やだ!」
「アハ、え、えっと、アキナさん、よろしくお願いします」
「あらまあステキ! 『アキナサン』だって、サンなんて付けてくれるの! お行儀も良くてもうなんだろうね、ババア嬉しい! サイコーだねえ!」
「あの、早速なんですけど……」
「ハイヨ、救命ポッドのAIを移植させたいんだっけ? そういうの得意なジジイが竹の間305号室にいるから行くよ!」
「はい」
「今日はご馳走だよ、ボクちゃんの歓迎会! 月で狩ったモンスターの肉もあるからねえ」
「え? モンスター?」
「ああモンスターってアタシ達が勝手に呼んでるんだわ。月に移住したヤツらのペットとかホラ、アレ、菌とか放射能とか色々アレがアレしてさ、そんで毛むくじゃらのデカいのが生まれたんだと。見たいかい? 男の子だから見たいよね? よし今度連れて行ってあげようね」
「はい!」
アキナさんにアチコチ連れ回されて自己紹介、たまに迷ったりしながら、知らない乗り物を見せてもらったり、迷ったり、なんで住んでるアキナさんが迷うんだろう? まあいいか、それより僕が住んでもいい部屋を決めてもらったり、迷ったり、アキナさんだと思ってたらいつの間にか知らないオバアサンでビックリしたり、それでやっぱり迷ったり……ホントに老人しかいないのかなっていうぐらい賑やかで、ホントに晩御飯はご馳走で、なんか新しいトモダチがいっぱい出来た。
何百万羽ぐらいあるのか折り鶴の山が僕の物になって、こんな事もあろうかと編んでたらしい手編みのセーターも僕の物になって、手作りクッキー、木彫りのクマ、刺繍のハンカチ、紙で編んだ小物入れ、大中小のコケシ、誰かの髪で作った筆、お習字の『健康第一』、立派な油絵、水彩画も水墨画もある、毛糸の
でもそんなのどうでもいいんだ、これは全部僕のもの。
僕のために用意してくれた部屋で贈り物の山に囲まれて、何か分からない物があってもいいんだ。僕、ちゃんと人間から大歓迎されてる。ああ宇宙で一人になっちゃった、なんて生まれて初めて絶望っぽい気持ちを知った後だったから嬉しい。すごく嬉しいな。
――フツリ、と急に。
「あれ、暗くなった」
『20時30分だ。消灯時間だと言っていたな』
「はやっ」
『マツイ君も早寝早起きに慣れるべきだ。人間は健康第一。郷に入っては郷に従え』
「朝は何時?」
『4時だ』
「はやっ」
『4時に食堂で朝食だから起床はもう少し早い』
「はっや」
みんなとオヤスミをしたばっかり、この部屋で何分過ごしたかな? もう月明かりしかないけど真っ暗ではないし、わざわざライトを点けるのも、なんかこう……そうだ、
丸っこいオジイサンがくれた手首に巻くタイプの時計をいじりながら、お喋り。
ウフフと撫でてみる、キューちゃんを。
ずいぶん変わったね。
ご飯を食べてる間に、とりあえずちょうど良いからと白い猫のヌイグルミに移植されてたキューちゃん。座った僕の足の上で居心地のいい場所をモゾモゾ探して、うん、確かにちょうど良いね。
このタタミの部屋にも僕の膝にも、この赤い目の小さな白猫はピッタリだ。
「キューちゃん?」
『なんだ?』
「フフッ、いいね」
『そうか? メカニックのジジイが言っていた、地球の海には二足歩行タイプやドローンタイプのロボの残骸が沈んでいるとの事。太古のジャンク品だが、修理次第ではガワぐらい使える物があるだろう』
「そっちの方がいい?」
『当たり前だろう。そのうち拾いに行くから付き合え』
「うん、いいよ、フフッ」
『なんだ?』
「キューちゃんゴメンね」
『なんだ?』
パチッと白いシッポの根元を押してみる。ここ、戦闘モードと通常モードの切り替えスイッチが付いてるらしい。
『何をしたんですか?』
「ううん、別に、フフッ」
『あ、分かりました。元に戻して下さい』
「え? 戦闘モードが元のキューちゃんなの?」
『元の、とは言いませんが喋りやすくて気に入っていました』
「へえー」
キューちゃんのヌイグルミの
今夜ぐらいは夜更かしして明日は寝坊しようよ。他愛ないお喋りは本当に他愛ない話で、みんなの話、エビの話、宇宙の話、地球の話、太陽の話、月の話、ああ学校で月食とか日食の観察なんてあったね、みんな上を見てたけど僕は地面を見てたよ、地球で見る日食は木漏れ日が面白くてさ、今度一緒に見に行こうよ……父さんと母さんの話、は……しなくていいか。
他に暮らせそうな所も無いし、誰もいなさそうだし、きっと僕は死ぬまでココで暮らす。
いつかキューちゃんと冒険の旅やら旅行なんかで
ここの時間に合わせた腕時計、キラリ。
そうだね、今夜ぐらいは楽しそうな未来の話でもしようか。
自由に動けるようになったのに僕の膝から動かないキューちゃんと、窓いっぱいのデコボコ月面。
たまに遠くに、月面の奥に、窓枠の隅っこに、大きくて青くて青い地球と、僕とで。
未来の、話でも……――
おわり。
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