第4話  妄想癖がありあまる


 私の足元にひれ伏している情けのないクロヴィス様を、私は腕を組んで見下ろした。

 ルシアナは出来る侍女なので、私の手からそっと制服を受け取り、再びクローゼットにかけたり、荷物の片づけを行ったり、私達から離れてさっさと仕事を始めている。

 自分は関わるべきではないと判断したらしい。

 できることなら関わって欲しかった。

 私は土下座というものを初めて見たし、はじめてされたのだけれど、正直あまり気分は良くない。

 だってこれでは、私が虐めてるみたいじゃない。


「……あのねぇ、クロヴィス様。やめて頂戴。私たちは婚約者だけれど、私の母とクロヴィス様の御父上は兄妹だし、従兄妹なのよ。小さい頃から顔見知りの、幼馴染でもあるわ。だから、そういう態度をとられると、困るのよ」


 私は足元に蹲るクロヴィス様の前にしゃがみ込んで、訥々と諭した。

 なるだけ優しい声を出してあげた。

 今のクロヴィス様の心はきっと硝子のように繊細に違いない。いつもの調子で、「いい加減になさい、蹴りますよ」とか言ったら、泣いちゃうかもしれない。


「……俺は、リラに酷い態度をとってきてしまった……、全ては俺の慢心のせいだ。すまない、本当に……」


 少し掠れて低く、堂々と張りのある声音が、今は震えて情けない。

 泣いちゃうかもしれない、ではなく、泣いてないかしら、これ。

 私は溜息をついた。

 これでは、顔を合わせても「おう」とか、「リラ」とか、単語しか言わないクロヴィス様の方が幾分かマシである。気軽にそばに居られるという意味で。


「別に私は気にしてませんし。むしろ、リラ、私の銀雪の妖精、とか言いながら、手の甲に口付けとかされる方が嫌ですし」


「だ、誰がリラにそのような事をしたんだ……、どこの、良い男が、リラにそんな……、リラ、俺は心を入れ替える。これからは会う度に、俺の愛しの白百合と言って、口付けをすることを誓う。だから今までの慢心この上ない、不遜な態度については許して欲しい」


「や、やや、やめて、やめてくださいよ……、今、鳥肌が、ぞわぞわっと、鳥肌が立ちましたよ、絶対嫌ですから、本当に嫌ですから」


 会う度に『愛しの白百合』とか言われるとか、悪夢だわ。

 夢見がちな恋愛小説のような態度をとられるのが、一番嫌なのに。

 ともかく私は、クロヴィス様の体を起こそうとして、ローブを変形させたような制服を引っ張ってみる。

 私も早く新しくできた制服に袖を通したいのに、クロヴィス様に構っているせいで、まるで新生活を楽しめていない。

 中々起きないので、だんだん腹が立ってきて、しゅんとしおれている黒い艶やかな毛でおおわれた、狼みたいな耳を引っ張ってみる事にした。

 獣耳には、久しぶりに触るけれど、毛足が艶々なことと、触れるとぴくぴく動くのがたまらなく良い。

 やはり、耳と尻尾は良い。無いよりもある方が断然良い。

 ぐい、と引っ張ると、クロヴィス様はやっと顔をあげた。

 泣いてはいなかったけれど、泣き出しそうな顔だ。

 男らしく秀麗な顔立ちが、情けなく歪んでいる。

 紫色の宝石のような綺麗な瞳がうるうると涙に潤んでいるのが、妙に愛らしい。

 私はしゃがんでその頭についている三角形の耳を引っ張っているので、丁度視線があった。

 子犬みたいだった。


「……俺に愛を囁かれるのが嫌だというのは、やはり既に他に、良い男がいるのか……?」


「その良い男っていうのは、一体誰の事なんですか。具体的にどんな人のことなんですか」


「まだ分からない」


「……とりあえず、座って話しましょう」


 先程からクロヴィス様の話はふんわりしすぎている。

 私はやや疲れてしまい、椅子に座りたくなった。

 床にしゃがむような姿勢には慣れていないのよ。床にしゃがんで生活したことが一度もないから。

 クロヴィス様をリビングルームにある質の良い丸テーブルの、重厚感ある焦げ茶色の木製の椅子に座らせる。

 どちらかといえば筋肉質ですらりとはしているけれどしっかりとした体型のクロヴィス様が座っても、椅子はびくともしなかった。

 私も正面の椅子に腰を下ろす。

 ルシアナが丁度良いタイミングで紅茶を運んできてくれた。

 テーブルの上に上品な所作で紅茶と茶器をセットすると、ルシアナは私の背後へと控えた。

 王都にある公爵家から、魔道学園までは馬車で片道十数分。朝から準備をしてやっとたどり着いたと思ったら、クロヴィス様に謎の絡まれ方をしている私は、ようやく人心地ついて、ルシアナの入れてくれた香りのよい紅茶に口をつけた。

 クロヴィス様はじっと紅茶を見ていた。

 湯気がたっているので飲めないのだろう。クロヴィス様はかなりの猫舌である。

 耳と尻尾の雰囲気はイヌ科なのに、猫舌。矛盾を感じる。


「……それで、クロヴィス様。先程からの妄言について整理しますと、……私が学園に入学すると、どういうわけか、クロヴィス様に番、とやらが現れて、その上どういうわけか私は見も知らない良い男とやらと恋愛関係に陥り、クロヴィス様は捨てられる、ということですが」


「そうなんだ、リラ。……俺は、リラに捨てられたくない」


 クロヴィス様は、ごく真面目な表情で言った。

 元々の見栄えが良いので、凛々しい表情を浮かべると途端に雄々しさが増した。

 子供のころは背丈も同じぐらいだったのに、随分と大きく成長したものである。

 テーブルの上で組まれた手などは、私の倍ぐらいはありそうだ。

 私はどちらかといえば小柄なので、そのせいかもしれないけれど。


「捨てませんけど」


「分からないだろう。俺は番の女性に心を奪われて、リラに冷たく当たるんだぞ……!」


「現れたんですか?」


「現われてはいないが」


「来年の事を心配すると鬼に笑われますよ」


「来年じゃない。今年かもしれないだろう」


 私はテーブルを指先でとんとん叩いた。

 少々はしたない仕草ではあるが、クロヴィス様があまりにも意固地なので、苛々してきた。


「……なんでまた、そうなると思ったんです」


 仕方ない、そうなることを前提で話を聞いてあげよう。

 そうじゃないと、話が終わりそうにない。


「……実を言えば、昨今ではそのような出来事が、他国で流行っているんだ」


「そんな愚かな出来事が流行ってたまるもんですか」


「いや、本当なんだ。母上が数日前に、それはもう神妙な面持ちで俺に教えてくれたから、間違いない」


「ヴィヴィアナ様が?」


 ヴィヴィアナ・ラシアン様は、クロヴィス様の母上であり、王妃様である。

 お父上であるローランド・ラシアン様は、私の母リリーナ・ネメシアの兄で耳も尻尾もない人族だ。

 それなので、クロヴィス様の色濃い半獣族の血統は、お母様であるヴィヴィアナ様から受け継がれている。

 白いふさふさの耳と尻尾をもった、若々しくも妖艶な、美しい方だと記憶している。

 城に遊びに行くと、時々ふさふさで大きな尻尾に私を乗せて遊んでくれた。優しい人である。


「母が言うには、……他国では、俺のような婚約者のいる王子が、婚約者と共に学園に通い始めると、運命の人とやらが現れて浮気をし、婚約破棄をすることが流行っているらしい」


「そんな愚かな事が流行ったら国が滅びますよ。ヴィヴィアナ様はそういった表題の観劇などをされたのではないのですか?」


「そこまでは俺も知らないが、他国との交流……、所謂、苦労をしている王妃の会で、そのような話を耳にしたと」


「苦労をしている王妃の会」


 クロヴィス様の言葉を私は繰り返した。

 国王様方の胃がしくしく痛みそうな名前の会だ。そんな名前の会があることを私は知らなかった。

 私もじきにクロヴィス様と結婚して王妃になった場合、入会しなければいけないのかしら。

 他国との交流は大切なので、拒否している場合ではないのだろうけれど、如何せん名前が酷い。


「あぁ。あなたは大丈夫なのかと心配してくるので、……俺はこのところ……、リラがあまりにも女性らしく可愛らしくなりすぎてしまったせいで、まともに言葉を交わせなくなってしまった我が身を振り返った。既に嫌われているんじゃないか、と」


「まぁ。お嬢様は殿下が素っ気ないとぼやいていましたけれど、そのような理由があったのですね!」


「ルシアナ、余計な事を言わないで」


 そんな風にぼやいていたのは、かなり前の話だ。

 仲良しだったロヴィが素っ気なくなってしまったのを、多少は寂しく思っていた私はもういない。

 もう今は、そんなものよね、と割り切っているのだから。


「リラ……!」


 クロヴィス様が期待に満ちた眼差しでこちらを見てくるので、紅茶を顔面にかけてやりたくなった。


「その嬉しそうな顔をやめて。……話は大体わかったわ。それで、心配になったわけですね。妄想も良いところですが、理解はできました」


「そうだ。俺の運命の女性とは、きっと、番のことだろう。リラと共に学園に通うと、俺に番が現れるんだ。俺は婚約破棄などしたくない。捨てられるのは嫌なんだ。……俺はリラが好きだ。昔からずっと」


「……まぁ、幼馴染ですし、従妹ですし」


「そうじゃない。女性として、愛してる」


 真剣なまなざしで、声で、クロヴィス様が言う。

 私は動揺を隠すために、紅茶を飲もうとカップを持ち上げた。

 それはもう手が震えて、上手く飲めなかったので諦めた。

 なんで学園生活第一日目も始まっていないのに、婚約者に愛を囁かれなきゃいけないのよ。

 私は学園生活を満喫しにきたのであって、クロヴィス様と愛を育みにきたわけじゃないのよ。

 


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