第2話 クロヴィス様の不安
クロヴィス・ラシアン王太子殿下は、私よりもひとつだけ年上で、幼い頃から親しくしていた、所謂幼馴染の間柄である。
艶々の黒髪、紫色の神秘的な瞳、狼のような耳がぴん、と頭から生えている。
昔は良く引っ張ったり撫でたりしたものだけれど、最近は私も淑女としての自覚を持ったので触っていない。
半獣族のクロヴィス様には当然尻尾もある。
半獣族の方々は尻尾を露出しなければいけないので、特殊な形状の服を着ている。
女性はスカートの下に隠れてしまうけれど、男性はそうはいかないからだ。
ふさふさと長い尻尾も艶やかな黒色をしていて、先っぽだけが白い。
見るたび撫で回したくてうずうずするけれど、我慢している。
幼馴染で婚約者とはいえ、男と女なので。
「リラ、……良く来た。待っていた」
「クロヴィス様、お久しぶりです」
私はクロヴィス様の前で足を止めると、礼をした。
最後に会ったのは、半年ほど前だったかしら。
ネメシア公爵家は固有の領地を持っていない。ラシアン王家の分家にあたるので、領地経営などはしなくて良いとされている。
リリーナお母様はクロヴィス様のお父様の妹にあたる。元王族のお姫様である。
とはいえお父様は優秀なので、働かなくて良いという立場が我慢できず、城で財務管理などをしている。
永久凍土と言われる所以も、財務管理の厳しさにあるらしい。
公爵家は王都にあるので、クロヴィス様に会おうと思えばいつでも会えるのだけど、私はそこまで恋愛体質ではないし、クロヴィス様も学園に入学されて忙しいだろうと思っていたので、あえて会いに行こうとはしなかった。
幼馴染として、親戚としての気安さはあるけれど、愛だの恋だのは無縁の関係だと思っている。
クロヴィス様は見目麗しいけれど、美人は三日で飽きるもの。
幼い頃からの付き合いだから、見栄えの良さにはもう慣れてしまった。
我が家のお父様やお母様、弟の見栄えが良すぎるので、見栄えの良さについてはお腹がいっぱいなのだ、私は。
どちらかというと、髭がある筋肉質な将軍、とか、草臥れた学者、とか、に心惹かれるわよね。
そんな知り合いはいないのだけど。
冒険譚に出てくる騎士などに、ときめくお年頃なのよね。
クロヴィス様が悪いというわけではないのだけど。
「とうとうこの日が来てしまった……リラが、魔道学園に入学する日が」
「はい、一日はやいですが、寮でゆっくりしようかと思いまして」
「……リラ、悪い事は言わない、……今すぐ、公爵家に戻れ」
「は?」
クロヴィス様は昔は子犬のように可愛らしかったけれど、歳を経るごとに堂々とした佇まいになり、王太子殿下としての風格も出てきていた。
分かりやすくいうと、若干偉そう、になってきていた。
気安い関係だけれど、仲良しではない。
そんな感じ。
親戚だし、幼馴染だし、そんなものよね、と思っていた。
それなのに、今のクロヴィス様は、不安そうに耳を垂らし、何かに怯えたように青ざめている。
「私が学園に入学すると、不都合があるんですか?」
もしや、浮気かしら。
学園には可愛らしい女性も多いし、ありそうな話だ。
私はルシアナとそっと目配せした。
ルシアナも女の勘が働いたのだろう、深刻な表情でこくりと頷いた。
「不都合ならある。リラが学園に入学すると、俺はリラに捨てられる」
「浮気がばれて?」
「浮気などしていない! 断じて!」
「怒らないから、言っても良いわよ。クロヴィス様と私は従兄妹だし、幼馴染だし、女としては見れないでしょう? 婚約も、腐れ縁の延長みたいなものだし」
「リラは俺を、そんなふうに思っていたのか……?」
せっかく私が浮気を許そうとしてあげているのに、クロヴィス様は傷ついたように私を見た。
耳が垂れ下がっていて、捨て犬っぽかった。
最近、私に会う度に態度が悪くなっていたクロヴィス様である。
半年前、年末に行われる城での大晩餐会でエスコートして頂いたときなどは、私を一瞥して「リラ、多少は女らしくなったな」とか、一言いったきりだった。
挨拶も他の方々にはきちんとしているのに、私に対しては「おう」とか言うので、幼馴染の上親戚の婚約者の扱いなんてこんなものよねって思っていた。
それに無駄にきらきらしながら手の甲に口付けした挙句「会いたかった、私の薔薇」とか言われたら、その横面を張り倒したくなってしまうので、私にとってはクロヴィス様ぐらいの気安さが丁度良かった。
私も思春期だったし、クロヴィス様も思春期真っ盛りだ。
思春期同士の幼馴染の間柄なんてそんなものである。
そのクロヴィス様が、今私の目の前で意気消沈した面持ちで「リラにとって俺は、腐れ縁……」などと呟いている。
まるで別人のようだわ。
「……浮気じゃなければ、何ですか。明日からの私の学園生活に水を差すような行動をするのはやめてください」
「リラは賢い。学園に通わずとも、王妃教育は終わっているだろう。悪い事は言わない、俺が卒業するまで公爵家で穏便に過ごしてくれ。あと二年したら、結婚しよう!」
「私の人生の邪魔をするつもりですか、クロヴィス様!」
「リラはどうして、昔みたいに俺を、ロヴィ、と呼んでくれないんだ!」
「何故そのような呼び方をしなければいけないのですか、恥ずかしい」
せっかく学園寮の前に辿り着いたのに、学園寮の中に入ることが出来ずに、扉の前で言いあう私達の背後で、ルシアナがとてつもなく嬉しそうに瞳をきらきらさせている。
先程ルシアナには、クロヴィス様の呼び方を考え直せと言われたばかりである。
幼い頃私はクロヴィス、という名前が呼び辛くて、ロヴィ、ロヴィと呼びながら尻尾を引っ張りまくっていたことがばれてしまう。
この後絶対に「ロヴィきゅんと呼びましょう、リラ様」などと言ってくるに違いない。
お母様のお父様に対するアスベルきゅん呼びを聞き続けて食傷気味の私にとって、それだけは避けたい事柄だ。
「クロヴィス様、お嬢様は立派なツンデレに育ちましたので、これは、照れ隠しなのですよ」
私にぴしゃりと怒られてしゅんとするクロヴィス様に、ルシアナが余計な事を言った。
私はルシアナの横腹を片手で掴んでぐい、と抓った。にやにやしながら「お嬢様、非力で可愛い」と言われた。腹立たしい。
「あぁ、……俺も前々から、リラのツンデレについては、その、……可愛いと、ずっと、思っていた。……しかし、リラ。共に学園に通いたいのは山々だが、その場合、俺はリラに捨てられることになるんだ」
「クロヴィス様、もう一度私の事をツンデレだの、可愛いだの言ったら、思いきり耳を引っ張りますからね」
「リラ……そういうのが、なんというか……たまらなく良い……」
「良いですか、クロヴィス様。私に対する称賛は、落ち着きがある、大人びている、のみ受け入れてあげます。二度と言わないで」
「あ、あぁ、分かった。すまない」
「それで、何故私に捨てられるなどと思うのです。私は無暗に婚約者を捨てたりしませんよ。まして、クロヴィス様は従兄ですし、幼馴染ですし、家もご近所ですし。捨てたら王都に住みにくくなってしまうじゃないですか」
「……リラ、俺は半獣として生まれた。……半獣には、番という概念があることを知っているだろう?」
重大な秘密を打ち明けるように、クロヴィス様が言う。
私は訝し気に、その顔を見上げた。顔立ちだけは無駄に整っている。
私はクロヴィス様が特に嫌いというわけでもないので、無暗に捨てたりしない。私は耳と尻尾のはえている存在には割と優しいのだ。ないよりはあった方が良い。
「あの、古めかしいお互いの人権を無視した概念のことですね。くだらない」
「古めかしかろうがなんだろうが、あるんだ。……お前が学園に足を踏み入れたが最後、俺には番の女性がみつかり、お前に冷たい態度をとった挙句、お前はどこかの良い男と結ばれて俺を捨てるに違いない」
「頭、大丈夫ですか?」
何を言っているのかしら、このひと。
そう思ったけれど、私は言わなかった。私はツンデレとかじゃないので。優しいので。
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