第7話
美智子が飲む痛み止めの量がだいぶ増えた。
酸素吸入のためのカニューレが鼻につき、寝ている時間が1日の大半を占めるようになり、言葉数もかなり減った。
病名を告知された時、頭ではわかっていても心のどこかで、なんとか治るのではないか、何かの間違いではないか、という思いがあったように思う。
そんな自分勝手な希望は、果たしていつから消えてしまったのだろう。
美智子が横たわるベッドの隣に座っていると次第に日が落ちてきたので、立ち上がって部屋の電気を消す。
「おやすみ」
目をつむったままで聞こえてるか聞こえてないかはわからないが、私はできるだけ穏やかに言う。
ほんの微かに差し込む薄暗い夕日の明かりに、美智子の横顔が照らされる。
もうかなり痩せて、黄疸が出ていて、肌も乾燥していた。
明日、私が起きた時に美智子は生きているだろうか。
あと何語、私と美智子は会話をできるのだろうか。
80歳も過ぎれば、愛だのなんだのという気持ちなんて、枯れて無くなるものだと思っていた。
実際、そんなものはもう無くなっているのかもしれない。
ただ、もう何十年も連れ添った美智子は自分の一部のような存在であることだけは実感していた。
そう考えたとき、仄暗い闇の中から「あなた」と聞こえた気がした。
美智子の口元に耳を寄せてみる。
「私、花火が見たいわ」
それは色味のない唇から漏れた、掠れた、本当に蚊の泣くような小さな声だった。しかし確かに聞こえた。
確かに今日は花火大会の日だ。それは知っている。
でもどう考えても行ける状態ではないはずだ。
「行けるわ」
ばかな。
行けるわけがない。
「だって、あなたは、私のこと、一番わかってる、でしょう?」
あぁ、なんてことだ。
しかし、そう、わかってしまう。美智子は私がやらないとわかっている願いを言うことは決してないのだから。
私は介護用のリフトを使って美智子を車椅子に移し、なんとか車の後部座席に運んだ。
正直無理かとも思ったが、美智子の体がそれほどまでに軽くなっていたのだろう。
後部座席にシートベルトと布団で固定した美智子を落とさないように細心の注意を払いながら、毎年花火を見に行っていたあの場所を目指して車を走らせた。
しかしついてしまったら、花火を見たらもう美智子は逝ってしまうのではないかという気がしていて、私はどうしてもスピードを出せずにいた。
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