第3話
ーーそう。
何もかも、気づいた時にはもう妻の中では結果が見えているのだ。
女の勘、というやつなのだろうか。
美智子が「晩御飯、何が食べたいですか?」と献立を尋ねてくることは1度たりともなかったし、息子が生まれる時も「生まれるのはきっと男の子ですから、名前は幸三にしようと思うんです」と予知めいたことを言ったこともあった。
結婚したての頃は私も「そんなのまだわからんだろう」と反論することがあった。
しかし結局のところいつも妻の言い分の方が正しかった。
夕飯のおかずは、不思議といつも私のちょうど食べたいものが出てきたし、産まれてきた子はやはり元気な男の子であった。
だから次第に口出しをしなくなっていった。
そもそもにおいて、私は優柔不断だった。
知り合いから「男のくせに煮え切らないやつだ、と悪態をつかれたこともあるほどに。
だから何でもすぐに決めてくれる美智子とは相性が良かった。
きっとアイツにとってもこんな私が都合よかったのだろう。
今思えば見合いの時からすでにそれを見抜いていたのだ。
かつてのことだ。
あれはまだ我々に子どもがいなかった頃、一緒に花火を見たことがある。
忘れもしない、めずらしく私と妻が些細なことをきっかけに喧嘩をした後のことだった。
夜の帳が降りる前、夕日の射し込む玄関で「ちょっと車を出してもらえませんか? 行きたいところがあるんです」と言われた。
その時、これは私を海上花火大会に連れて行くつもりだな、と思った。
それはここらの地域では一番大きな催し物で、市外からも大勢の人がやってきて海岸を埋め尽くす。
しかし私は花火というのにあまり良い思い出がなかった。
大きな音は苦手だし、人混みも苦手だった。
美智子はそれを知っていて、敢えて私を連れて行くつもりなのだ。ひょっとして喧嘩の仕返しのつもりなのかもしれない。
だけど、行かない、なんてことは言えなかった。
なぜかというと、しょうもない話だが、どこか美智子に負けたみたいだと思ったからだ。
だからその日覚悟を決めて乗った車(当時バタバタと呼んでいたオート三輪だ)の中で、美智子が「そこを右へ、ええ、山の方に曲がってくださいな」と言った時は肩透かしをくらったような気になった。
道案内されるがままに舗装されていない山道をガタゴト左右に揺られながら登っていくと、妙に開けた場所にでた。
「そこで止めてくださいな、降りますので」
言われるがままに車を停め、何事かと思って美智子に続いて車を降りると、遠くの空中で赤と緑の光がはじけた。
遅れて腹の底に響くような、しかし控えめな爆発音が聞こえてきた。
私は何も言えなかった。
山の上からみる花火が、こんなにも立体的で、そして心を奪われるほどに綺麗だとは知らなかったからだ。
しばらく私たちは無言で色鮮やかな花火を見ていた。
妻はこれをただ私に見せたかっただけなのだ。
なのに妻に仕返しされると思って身構えていた自分がひどく惨めな存在に思えてしまった。
「悪かったな」
私が罪悪感に駆られて言うと、妻は私を見た。
「それは、さっきの喧嘩のことの謝罪ですか? それとも、私が仕返しに花火大会に連れて行こうと思いこんでいたという懺悔ですか?」
腹の奥底まで見抜かれるような瞳だった。
私はたまらず観念して「どっちもだよ」と答えた。
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