第2話

 隣を見なくても先輩の冷ややかな目がこちらを睨んでいるのがわかる。


 しかし安藤はもう後には引けなかった。

「いいえ、そうなんです! 僕にはわかりますよ。あの後部座席には酸素マスクをつけて、今にも死にそうな美智子さんが横たわっているんです」


「安藤お前、頭おかしくなっちまったのか?」

「どこもおかしくなってませんよ。可能性の話ですよ。もしかしたら1億分の1ぐらいの確率でそんなこともあるかもしれないでしょう?」


「ねーだろ。そもそも、運転してるのは80代の老人なんだろ? そんなやつがどうやって死にかけのばあさんを車まで運んだんだ? 無理だろ」


「ベッドから車椅子やトイレに移乗するための機械があるんです。こう、ちっちゃなクレーンみたいなやつです。でもそれを使ってもなかなか大変ですけどね。守三さんは力を振り絞ったんでしょうねぇ」


「ふん。そんで、そこまでしてばあさんをどこに運んでるんだ? というか、なんのために?」


 この時、自分の訳のわからない妄想に対する困惑のためか先輩の削岩機がだんだん貧乏ゆすりに戻っているのを安藤は振動で感じ取っていた。

 しめたぞ、このまま話を長引かせれば駅に着くか前の車がどこかで前をどいてくれるまで運転を変わらずにすむかもしれない、と思った。


「海上花火大会を見に向かってるんですよ」

「あーあれか。確かに今夜あるらしいな。でも場所が違うだろ、こっち方面は山だぞ」


「それには深いわけがあるんですよ」

「……一応聞くけど、どんな理由があるんだ?」


「聞きたいですか?」

「いや全然」


 今度は寂しい沈黙が車内に流れた。


「2人が結婚したのは昭和30年代のことです。出会いはお見合いでした」

「そっから話すのかよ! しかもこっちが聞きたくなくても結局話すんじゃねぇか」


 批判をものともせず安藤は続けた。

「当時はまだ田舎の結婚といえばお見合いが主流でしたからねぇ」


「いやもう付き合ってらんねぇよ」


 吉田は後輩の妄想が暴走し始めるのを感じ、運転を交代することを半ば諦めて座席を後ろに思いっきり倒して上を向いた。


「美智子さんがお見合いをしたのは守三さんが最初でした。でも美智子さんはその日に『私が結婚するのはあなたですね』と言ったんですよ」


 面倒くさくなった吉田はもう後輩の妄想に何も口を挾まなかった。


「美智子さんは何が起きたとしても、すでにその結末を知っているような人でした」


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