003
この森はまるで、生きているかのようだ。
自然の匂いが鼻孔に侵入してきて、奥を容赦無く擽る。 一緒に遊んでいる二匹の尾白鹿を目に捉え、足音を消そうとしているかのようにアイザックは足取りを緩め、心地よく微笑んだ。どこにでも魔物や危険そうな野生動物の気配はない。周りを支配しているのは、童話などでよく描写される神秘的な景色だっだ。
夜になったらどのふうに変わるのだろうか。
空を飛んでいる色とりどりの妖精とか森を彷徨う精霊とかが出てくるかも。
そう想像に耽ながら、はぁ~と深く溜息を零した。
「それにしても、やっぱ広いね、魔の森って。ちゃんと予防策を講じなかったらけっこうやばかったなぁ」
アマラはどこの森の中にでも生息するいくつかの木の周りに絡み付かれたまま見付けられる苔状の植物で、コモミンタラはアマラと同様に、無臭で皮膚を刺激しない、ほとんどどこにでも見付けむられる植物である。どっちも除け系のポーションの限界成分の1つだ。
魔物は人の魔力に反応するから、この2つを配合して作られた魔物除けのポーションを使うと、魔物からすれば人の気配がない。
こうやって、領土を保護する必要な措置を取った限り、魔の森にでも比較的安全な生活を送られるのだと、師匠に教われた。それは、家の屋根や垣根をアマラで覆ってコモミンタラを垣根の周りに植えることだ。師匠から受け継いだアイザックの小屋もこの造りになっていて、深い眠りに落ちるまでは、魔物に進入されることなく、静かに暮らしていられた。
リュックに入っていた乳鉢と乳棒を使って、アイザックはアマラとコモミンタラを採取して魔物除けのポーションを作った。すると身体に振りかけた後、18歳以下にしか見えない錬金術師は出発することにした。これで魔物の近くにいない、それとあまり音を出さない限り、魔物に合わずに移動はできるはずだ。
すると歩き始めてから三十分が経っていった。退屈凌ぎにポーションの素材を採取することにしたけど、採れば採るほどいつの間にかリュックが満杯になった。いい加減収納魔術でも覚えた方がいいかな、などと考えながらアイザックは空を見上げる。目を細めて巨大な葉の隙間を見る。すると見れば、太陽は青空でまだ高い位置にあることが見えた。
つまり正午を回ったころだろうか?それとも10時くらいだろうか?そんなことはやはりこの森にいる限り判らないことだが、それもまたなるべく早く森を抜けたいという気分を唆した。
「よし。ここからそんなに遠くはないだろな」
葉や枝を踏み潰しつつ自分を納得させようとするアイザックだが、彼でも知っている。
それは希望的観測である、という。
もうひとつ溜息を漏らし、彼は静かに森を進む。
そして時間が止まることなく、過ぎ去っていく。
するとしばらく森を進むと、やっと道に出た。街道の向こう側に目をやると、田畑が視線に入ってきた。どうやらここで誰かが作物を育てているようだ。
首を振る。
…とにかく街でも探そう。と、そう決めると、街道を進もうとしたその時だった。近くで戦闘する音が聞こえた。
それを聞いたアイザックは一瞬途方に暮れた。魔法はまあまあ使えるが強い魔法は覚えていない。今まで覚える必要がなかったからだ。代わりに作った戦闘用のポーションを使って主に攻撃していた。
もちろん、無視するという選択もあるが、戦っているのは冒険者である可能性が高い。近くの街へ向かっている途中で魔物にでも出くわしてしまっただろうか。
と、そんなことを思いつつ簡単に発見されないようにアイザックは森と街道の合間を隠れながら進み、木の陰から様子を窺う。
(ゴブリンは5体、フォレストウルフは15匹、そして………あれは馬車か?)
襲われていたのは1台の馬車だった。それを見て、小さく笑みを浮かべるアイザック。
(やっぱり。これで歩かずに済む……ってなんだありゃ?)
だが、その次の瞬間、異変があることに気づいた。
馬車に2頭ずつ繋がれているのは、鉄鎧を纏っていた爬虫類である。それを見て一瞬戸惑うアイザック。
なんで、馬車なのに馬じゃなくて生体不明な爬虫類が引っ張っているのか? そのうえで2匹も鉄鎧を身にまとっている。
(爬虫類に操縦される馬車なんて見たことがなくて逆に新鮮だな。まあ、けっこうドメスティックな感じがするので大丈夫か。……そんなことより、馬車に乗せてもらえるかもしれないので、とりあえず手伝おうか)
そう決めると、腰につけられているリュックに手を突っ込んで、薄紫色の光を放つ小瓶の3個を取り出した。
すると容赦なく、
(喰らえ)
掛け声とともに魔物避けのポーションを投げ込む。
「ギャウンギャウン!」
一斉に逃げ出すフォレストウルフたち。鼻が鋭いから魔物避けのポーションが放つその臭いは結構効くのだ。
フォレストウルフたちが去ったのを確認してから、アイザックは街道へと歩みでた。フォレストウルフと対峙していた騎士と魔法使い(?)の2人の少女は、唖然とした様子でフォレストウルフの去った方角と、ポーション瓶を見た後、一人がアイザックに向かって問いかけた。
「今のは一体………?」
(ん? もしかして、知らないのかな?)
「ん? あれが魔物避けのポーションだったんだよ。ちょっと2人とも危ないかな、と思ってて」
「あ、やはり魔物避けのポーションだったんだね。どこで手に入れたの?教えてくれないかしら」
(なんだ。知ってるんじゃない)
「自分で作ったよ」
目の前の、革鎧を纏っていた少女の表情がまるで幽霊でも見たかのように固まった。
「自分で作ったって?」
「あ…あ?」
「あなたはもしかして…錬金術師…なのか?」
なんで訝げな顔で聞いたのかアイザックにはわからないがそれでも彼は頷いた。すると少女はちらりと肩越しに振り返って見た。 それを見てアイザックも、もう一人の少女に目を向けた。目の前の少女とは違って、彼女は茶色の髪が短くて瞳が青い。それに気づき、姿勢を正す騎士。
「あ、自己紹介はまだだったね。あたしはエリス、騎士だ。そして、後ろにいる子はあたしの妹のリラ。彼女はアーチプリーストだよ」
(あ、アーチプリーストだったんだ)
「はじめまして」
アーチプリーストである子、リラはそう囁くと恭しく頭を下げる。アイザックは頭を下げて挨拶を返す。
「貴方は?」
騎士のエリスの声を聞いて、アイザックは少女に視線を戻すとフレンドリーににっこり笑って返事をする。
「わ……僕はアイザック。アイザック・クロスだ、君が言った通りの錬金術師である」
(そういえば。今の自分は18歳なので、一人称をわしじゃなくて僕にしたほうがいいか)
「やっぱり。本物の錬金術師だったね」
「あ、あ‥‥」
(なんか、目がちょっと怖いなぁ)
苦笑いしながら思わずあとずさりするアイザック。
「で、君たちはなんでここに?」
アイザックは訊くと、まるで何かを思い出したかのように目を大きく開くオレンジ色の髪の少女。
「あ、やばい!あたし達、日が暮れる前に依頼を出さなきゃ。おい行こうよ、リラ!」
「は‥‥はい!」
そう言って、慌てて馬車に乗る姉妹。それを見て声をかけようとするアイザックだが、エリスに遮られた。
「アイザックさんも乗るか?その服装からするとここの者ではないでしょう? ひょっとして道に迷ってるの?もしよかったらあたしたちと一緒にアンブローズに行こうよ」
と、言った。
それにアイザックは頷くと、エリスはほほ笑みかける。
「ほら、行こうよ。アンブローズまであともうちょっとだよ」
「なんか、ありがとうな。助かるよ」
そう礼を言うと、馬車に乗るアイザック。 彼の言葉にエリスはいえいえ、と言わんばかりの表情をして首を振る。
「いいよいいよ。せめてそれくらいはさせてよ。アイザッんはさっきあたし達を助かってくれたし」
そう言って角蜥蜴に操られる馬車が動き始めた。
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