002
(ここは……どこでしょう?)
ふっと目を醒ますと、そこは彼の知らない場所だった。
目の焦点が合わず、ぼんやりと頭上から差し込む儚げな光を感じるばかり。随分と永く眠っていたらしい。
起き上がろうとすると、固まってしまった関節が抗議で悲鳴を上げる。
痛みの余りで歯を食いしばっているアイザックだが、なんとか起き上がることができた。
すると辺りを見回す。
――しばらく見回すと、何かが視界に入ってきた。よく見たらそれは、茶色のボロボロリュックだった。
一見して自分のリュックであることがわかった。
一秒たりとも無駄にせず、全身を支配する痛みを無視しながらゆっくりとリュックが落ちているところまで這い寄ると、その中に手を突っ込む。
するとしばらくあさると、取り出したのは、淡い薄青色に光る小瓶だ。
回復薬だ。
やはりあった。
回復薬は、その名の通り全身疼痛や小傷を治せる治癒系のポーションである。アベカス根とアムライ薬草を配合して醸造すれば容易く作れるが、薬効は作った人の実力による。
もし素人や一度でもポーションを作ったことのない人であれば、ポーションの質、薬効などが上級錬金術師に比べ物にならないほどに劣る。
アイザックが手にしている回復薬は自分が作ったものである。ポンと音を立てて栓を抜き、はばからずに中身を飲み干す。一瞬にして効き目が現れた。
先程全身を支配していた痛みが消え、頭をスッキリさせた。
そして活力を新たに、アイザックはこの24時間で何が起こったのか、すべてを思い出した。
次々と頭の中に蘇ってくる。
「そうだ。わしはエリクサーを飲んだ。ということは……」
ふと、考え事からハッと我に返り、アイザックが身体の変化にようやく気づいた。身体は18歳の若き身体に若返り、枝葉で覆われる意外と柔らかい地形から立ち上がった時にも、以前とは違い全く疲労がしなかったし、歩き回るのも非常に楽になった。
まさに青春時代に戻ったような気分。
健康体だ。鏡は無いが、そんな気がする。
「やっぱり若返られた。不思議な感覚だが、嫌……じゃない。しかも記憶も経験も維持したまま。これでわしは自由の身になった。……今回はちゃんと人生を楽しめる」
そう呟いた瞬間、何か甘い香りがした。その香りを知っていることに気づいたのは、束の間。
解毒薬の主成分であるアマリアと呼ばれる花の種類のしめやかな残り香が漂い、鼻孔に侵入してその奥をくすぐってくる。
「そうだな。ここ森の中なんだから」
そう言いながら空気をクンクンするアイザック。
(……………………この匂いは?)
近くに、嗅ぎ慣れた香ばしい匂いがした。真下から。
足元を見ると、何かが見えた。
しゃがんでアイザックは鋭い視線で丹念に生い茂った薬草を観察する。
「これは、わしの薬草園で丹精をこめて育ててた薬草なのか?」
薬草を引きちぎり、解析魔法を発動する。
「重さは……約0・5グラムくらいか……やはりわしが育てたヤツと一緒だ」
普通の薬草は約0点1グラムである。治癒のポーションや魔力回復薬の強力さを高めるために、1000年前世界を徘徊した錬金術師が、アムライと呼ばれる草の種類を魔力で注入して繁殖したのだ。その追加された魔力のおかげで、草の重さがほんの少し上がったのみならず、草の構造全体も完全に変わっていった。こうやって治癒のポーションなどの限界成分となった。
「つまりここはわしの研究所の残骸か? 見たところからすると、なにかに破壊されていたかのように見えるが」
そう考えるアイザックだった。
(まぁ、それはさておき。薬草を一応取っておくか。念の為にさ)
深く考え込まないことにすると、アイザックは腰に付けられていた茶色のリュックを開き、しばらくあさると、その中から小さなビニール袋を取り出し、再びしゃがんで一握りのアムライ草を引き抜いて、ビニール袋を開封して中に入れた。
するとそれが終わったら、ビニール袋を封じ直してボロボロのリュックに再び入れると、立ち上がった。
鬱蒼とした枝葉で覆われる風景を眺めると、どこにも動物の姿や輪郭が見当たらない。けど見当たらないのだとしても、聞こえる。走る足の音や森中に鳴り響く鳴き声が耳に侵入する。今いる場所を正確に示すほどにはっきりと聞こえる。
それが、純粋な自然だ。
何年にわたって世界に晒せず、アイザックは郷愁の感傷に襲われた。湧いてくる幸福感に意識が鈍くなると、彼は久しぶりに破顔した。
(さてと……どうすればいいのだろう? この辺はよく知らない……とは言っても、もし、ここはほんとうにわしの研究所の残骸であれば、ってことは魔の森にいるという、わけか)
両腕を組み、考えるような顔をした。
(まぁ、とりあえず………森を抜こう。その後はどこへ向けばいいのか、そのときに考える………それでも最悪だなぁ、この状況は)
欠伸を漏らし、アイザックは微笑む。
(でもそりゃ仕方ない。そろそろ行くか)
そう決めると、振り返ることもなく彼は、歩き出した。
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