不老不死の錬金術師、新しい世界で目覚めたら人生を満喫したいと思います

鏡つかさ

プロローグ【200の帰還】

001


 研究所の片隅で、書類やポーションの材料に散らばっていた机に向かい、一人の老人は手にしたものを見つめながらこう呟いた。

「遂に。遂に完成だ。問題は安定かどうかだが、安定した光を維持しているようだ」と。

 手をほんの少し開くと、五本の指の隙間から薄明かりが漏れて、暗い研究所を明るくしていく。

 そのモノを見つめながら、微笑まざるを得ない老人。

 今、彼のそのシワだらけの手で微かに光っているのは、世界中の錬金術師達がいつか錬成と夢見る【賢者の石】という、錬金術における至高の物質である。

 鉛などの卑金属を金にしたいとか、どんな病気でも治したいとか、そんなことをばかり夢見た結果、錬金術師を志した少年はよく、孤児院の図書室に引きこもって理科に関する教科書を熱心に勉強したり、錬金術を実践したりすることもやった。


 それは、彼がまだ子供だった頃だ。同い年の人には変なヤツだと見なされたが、大人達の中では天才の卵だった。

 それでも孤児院の図書室は、理科に関する教科書が非常に貧弱だった、

 そのせいか自分の成長に満足していなかったが、諦めずに勉強や努力を重ねていき、途中新しい夢までもできた。確かに錬金術師になりたかった。

 が、どこにでもいるありふれた錬金術師じゃない。世界的に有名な錬金術師になりたかった。その夢を現実にすると決心していた。そして何年も努力を重ねてきた挙句、彼――アイザック・クロスが遂に伝説の錬金術師の肩書きと不老不死の鍵を手に入れたのだった。


 アイザックは既に70歳を超えており、地球というこの惑星から消え去ってしまうまではわからない。しかし伝説により、賢者の石のほんの一部を粉末にしてエリクサーに入れて飲めば、不老不死になれる。

 そんなことを考えるだけでわくわく感を抑えきれないアイザックだが、失敗する可能性もある。

 それでも、ここまで来たからには疑うわけにはいかない。

 世界的に有名な錬金術師になる自分の夢。

 そして、賢者の石を作るという自分の目標。


 アイザックは自分の人生を浪費してしまったことを知っている。だから今回はちゃんと人生を楽しみたいと思っている。


 そのために諦めないと決意した。

 諦めるわけにはいかない。諦めてしまえばじゃなんのためにこの生涯を送ってきたんだろう。

 計画通りに進む。

 そう決めたアイザックは、いよいよエリクサーの準備をすることにした。


 歳を重ねれば重ねるほど、自分でポーションの材料を集めることとかいろいろ自由に出来なくなってしまった。

 幸いなことに、エリクサーは何年前から完成していた。

 あとは賢者の石のほんの一部を粉末にしてエリクサーに入れることだけ。


 欲を敢えて言ってしまえば、本当に安定かどうかを確認したいが、彼にはもう時間があまり残っていないかもしれない。

 そんなことを考えて、アイザックは賢者の石の一部を砕け始める。これでも賢者の石のその力があまりにも強すぎるので、数時間後にまた完全になれるはず。

 だから心配せずに砕けてゆく。


 粉末に砕かれた賢者の石の欠片を、今まで冷凍庫に置いてあったエリクサーに入れる。ほぼ瞬間的に、薄い赤色のエリクサーが血のような濃い赤色に変色する。

 それを見ると、アイザックは「これでいいかな」と一人呟く。まだ疑っているようだが、利用したのはその伝説の賢者の石だ。ちゃんと効いているのが一目瞭然。

 きっと……大丈夫。


 溜息をつき、アイザックは瓶を手に取る。

 しかしまだ飲まない。

 怖くないと言ったら嘘になる。


 きっと不味いよな、味が。

 でも、しかたない。飲む。ここまで来たからには、飲むに決まっている。つべこべ言わずに早く飲めよ、この臆病者が。

 そう自分を促すと、アイザックはもう一度溜息をついて、賢者の石をポケットに入れると、目を閉じ、神に祈りを捧げるように頭を上げて、決心とともに一気に瓶の中身を飲み干した。


 そのあとは沈黙が続いた。

 時の流れがまるで完全に止まったかのようだ。

 そして目の前には、暗闇か生まれる。


 ◆


 意識の覚醒は世界の再構築とほぼ同じ意味合いを持っていた。心と体が離れていくような感覚を受けて目覚めると、何も思い出せなかった。


 川で溺れているかのように肺も全身も細胞も――やけに酸素を求めて苦痛に満ちた悲鳴を上げる。しかし彼は、目をギュッと瞑って沈む以外は何も出来なかった。

 助けを呼ぶことも、手を伸ばすことも。

 それに、身体を支配する絶望的なその痛みもあたかも止まらない。

 まるで地獄にいるかのようだった。

 でもその暗闇の中、ひとつの救いがあった。

 それは彼の冷静さだった。


 ――彼は知っている。

 これは夢だということを。

 硝子みたいに脆く、意志によって簡単に割れる、ただの夢に過ぎない。

 できることはただひとつ。

 目覚めることだ。


 目覚めたらすべてが消え、意識を取り戻すことが出来る。

 世界にもう一度、生まれることが出来る。

 

 ……ドクン。


 と、微かな音がした。

 止まっていた少年の心臓が、再び鼓動し始めた。

 徐々に。リズミカルに、


「ゲホッ、ゴホッゴホッ、カハッ」


 咳き込みつつ痛みに身悶える。

 先程まで全身を支配していた寒さが消え去って、温感よりもむしろ触感に訴えてくる生ぬるさに変わっていった。


 (息っ……苦しい……空気。新鮮な空気が……欲しい)


 酸素が足りずガンガン痛む頭で最初に認識したのは、圧倒的な息苦しさだった。激しく身体で流れる魔力に集中し、少年であるアイザック・クロスは一瞬、息を止めて朦朧とした頭で《換気》と囁く。

 喉はカラカラで、唇も舌もひりついて声は出なかったけれど、詠唱を明確に意識すれば、無詠唱でも魔法は発動できる。さすがは世界的に有名な錬金術師。魔法で空気を入れ換えた。まともに呼吸ができるようになった。

 息を吸って吐き出す。それを何度も繰り返すと、アイザックはやがて落ち着いた。

 するとふと気づいた。

 

 …………自分はまだ生きていることに。

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