第7話 クチビルニウタ

 唇に歌を(くちびるにうたを)、とかいう言葉があるそうです。

 何でも、歌を歌うことで、心根の優しい人間になれるのだそうな。

 これは、昭和50年代に養護施設長を務めていた元小学校長の著書より。


 この先生、毎週日曜日の夕方19時過ぎから、中学生や小学校の高学年あたりの児童を集め、歌を歌わせていたそうな。

 ただ、前職がそういう方ですから、小学校で習う歌なんかを、ね。


 子どもらにしてみれば、オモンナイことこの上なかったことでしょうよ。

 せっかくの休みの夕方にまで、そんなことで集められて、歌う会なんて。

 しかも、歌が歌謡曲とか何とかならいいが、童謡だドヨ。

 次の日は朝から学校にも行かにゃならんし、ただでさえも憂鬱なのに、

 何が悲しくて、そんな歌を歌わさねばならんのだ。バッカバカシイ。


 こういうのを、子どもだましというのよ。

 あまりに特殊な例のように思われるかもしれないが、実は、この時代の養護施設には、多かれ少なかれ、そういう行事がたくさんありました。

 それはどうしても、学校経営の発想と手法が良くも悪くも浸透していたということも、あるでしょう。すべてが悪いとは、言わないよ。だけど、こんな行事、そこで暮らす子らにとって、何の役に立ったのだろうか。

 私はその施設とは別の養護施設におりましたけど、その施設でも、それに似たような行事はままありましたね。


 ただ、中高生に関しては、そこまで縛りはしていなかった印象があります。

 というのも、私が中学生になって丁度そのタイミングで園長が交代しましたからね。私のいた養護施設、小説では「よつ葉園」としておるところですけど、こちらもまた、前任の園長は小学校長あがりの方でした。高齢の元園長に代わって、10年程園長職を務められ、引退されました。

 その方に代わった新園長が、私の親世代の方で、しかもやり手の方でした。

 若くして園長になったその方のおかげで、そういう行事は徐々に減っていきました。やがて、前園長に次いで終戦直後から勤め続けてきた老保母も定年を機に退職され、さらに、そのような行事は減っていきました。


 幼少期にその業界にいた人たちを全否定する気はありませんが、こういう無駄に子どもを群れさせて、それにもっともなお題目というか理由をつけて幼稚な歌(あえて言う)を歌わせたところで、そりゃあ、反発するに決まってらあ。

 あんたにとっては職場かもしれんが、彼らにとっては、かりそめとは言え、くつろげてしかるべき「家」の要素を持った場所や。


 そんなところで学校もどきのことなんかしたって、ねぇ。

 そんな手合いの歌何ぞ歌わせたところで、そんな歌、身につくわけもない。

 そこに思いが至らないようでは、今時ならもう、低能と言われてもしゃあない。

 そこまで言って先人をくさすつもりはないが、あえて、言わずにはおれんよ。


 最後に、総括しておこう。

 何がクチビルニウタ、だ。

 笑わせるな!

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