第4話 イワシノアタマ 2

 体制か反体制かの違いは別としても、寄りかかる場所が権威あるところ、大所帯であるところであるなら、低能は、もう安心。

 ですが、そうもいかない場合もある。

 そんなときは、自らで「イワシノアタマ」を作ればいい。

 つまり、何とか主義と銘打って主張していけばいいのよ。


 先日、反出生主義という考えというか、そういう言論を展開している人たちがいることを、ある方の本で知りました。

 その本によれば、この反出生主義って、今の社会の行きづらさを抱えた人たちが陥るであろうところから出現していることがわかります。

 ほら、おりますやろ。


「あんた、結婚はまだか」とか、結婚したらしたらで、

「子どもはまだか」とか、ちょっと気が利いた手合いともなれば、

「孫の顔が見たい」とか。それが思うようにならんとなったら、

こんなのもおるで。

「うちに婿養子で来てくれ、娘を云々」とか。

こんな手合いを、わしは「家系乞食(かけいこじき)」と呼んでおる。

まあ、そういう家系乞食に該当する者とそれをもくろんだ者を約2回にわたって、

大いに叩きのめしてやったけどな。


 それならということで、そんな余計なことを言ってくる雑魚どもを黙らせるにはなるほど、そういう「反出生主義」的な考えもあっていいかと思わないではない。

 わし個人としては、一概無駄でくだらないものとは、思わん。

 しかし、よくよくその方の本を読んでいくと、その手合いって、大した教養も知性もないのに、ひたすら、自分の言いたいことを「主義主張」であるとばかりに周囲に吹聴し、少しでも疑義を求められたら、その相手にかみつくという塩梅。

 それでは、低能丸出しじゃねえかよ。


 さてここで、そのような低能と言われても仕方ない手合について。

 彼(彼女)が主張する内容については、さしあたりその当否価値判断はしない。

 ここでやっても時間と労力の無駄。

 問題は、その主義主張の披露について。

 考えてみる程に、これ、まさに、自分の思っていることを述べているのはいいとするが、その内容に自信があるのかないのか、いや、あればそこまで他者にかみつく必要なんかないと思うけど、かみついたりするあたり、これまさに、こうよ。


イワシノアタマ


 彼の主張内容が、その手法と相まって、すでにして信心するべき

イワシノアタマ

となっておるのです。

 まさに、鰯の頭も信心からを地で行く構図になっているではありませんか。


 イワシノアタマ となるのは、宗教ばかりではありません。

 前回述べたような政治的、社会的にある程度完成された状態にある主義主張なんかでなくても、この際、いいのです。

 自身が思うところあって作り出した考えの一つであってもいい。

イワシノアタマ にすることは可能なのです。

 そして、それを信心するかのように他者に主張するわけね。

 それが少しでも否定されたり、否定されずとも疑義を唱えられたら、ヒステリックに反応するわけですよ。


 低能ってのは、こんな調子ですからねぇ。実に、始末におえませんわ。

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