第3話 イワシノアタマ 1

 このところしつこく、低能は無能と違ってなまじでも能があるから云々と述べております。

 それでは、その「脳」もとい、能力の「能」はどこから仕入れるか。

 結論から言えば、どこからでも仕入れることくらいは可能です。

 ただし、それをうまく使いこなし、換骨奪還してさらなる高みへと、などと大それた要求などしても、この手合いには、無駄ってものですがね。


 低能は、何とか「主義」にすがります。

 そして、仮想敵の「主義」でもあろうものなら、自らのすがる「主義」から、相手にボコボコとくそ文句の一つも二つも三つも四つも垂れるのが相場。

 簡単な例を挙げてみましょう。


社会主義とか共産主義


 違いはあるみたいなけど、ようわからんからそこはこの際問わん。

 しかし、彼らが目の敵にしているのは「資本主義」。

 その資本主義とやらが矛盾を露呈して、だんだんと、社会主義や共産主義になっていくのだそうです。知らんけど。

 で、単に「主義」だけでは不安があるのか、さらなる精神の安定化を目指し、その場限りでもいいからとばかり情緒の安定を求め、彼・彼女らは、言うのです。


科学的(!)社会主義


 科学に基づいたものではなく、単に、科学「的」な社会主義、だってよ。

 この科学って言葉が、テメエの低能ぶりが露呈するのを防いでくれるのか?

 いや、マジで、ようわからんけど。

 わしに言わせれば、こうよ。


情緒的社会主義ごっこ


 これで、どうよ。単なる「社会主義ごっこ」。

 これなら、資本主義でも阿呆主義でも何でもええってことじゃね。


 要は「情緒」的ってことや。

 となれば、それで群れることは必然。

 そこで行われるのが「仲間ごっこ」ってわけだね。

 仲間を「同志」などと呼んでみたり。楽しそうで何よりだね。

 それで、仲間ごっこの経典が、その政党か何かの「能書」と来ておる。

 能書を読みあって、傷のなめ合い夜露死苦、社会主義ごっこ。

 社会主義ごっこという、仲間ごっこをやっておるだけ。

 こんなもんで気休めになるとは、御目出度いねぇ。

 というわけで、総括いこう。


 この手のありがたがる「能書」というのは、結局、これじゃん。


イワシノアタマ


 何だか、オトナプリキュアの題みたいになったな。

 題名、別のものを作っていたけど、これで行こう。

 さて、ここで述べた手合いについては、歴史ある団体が主催しておるからまだそれなりの権威もないわけじゃないし、何と申しても国政政党として今も頑張っておるから、まあ、安心感もないわけじゃないわな。

 ほら、大企業の正社員や国家公務員や地方公務員になって、寄らば大樹の陰とばかりに給料の高低はさておいても安定した暮らしができてぇ~、ってレベルの話と同じで、寄りかかっていれば、楽なのね。

 たまにはデモにでも、出かけてごらん。

 仲間と一緒に声上げて、街中ハイキングして。楽しいね、ってか?


・・・・・・・ ・・・・・ ・


 さて、そういう体制か反体制かはともあれ、大樹の陰に隠れることができたあかつきには、低能にとってはとても居心地の良い環境に行けるわけ。

 それはそれで慶賀に堪えんが、なかには、そうもいかない場合も出てきます。


 そんなときだって、大丈夫。

 別の「イワシノアタマ」がありますから、ご安心を。

 そんな例を、次回、紹介しましょう。

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