第3話

 ぼくは高校時代に一度だけ女装したことがある。文化祭のイベントで、女子高生のコスプレをしたのだった。ぼくは前述の通り顔が良いので、化粧してウイッグを被ったその姿は本物の女性そのものだった。自分でもうっとりするその出来は女性たちにたいへん評判がよく、写真をたくさん撮られたものだった。ぼくはこのとき、見られることの快楽を知った。

 そしてぼくはもう一度女装を試みようとしている。十二月末のコミケでアスカのコスをしようというのだ。衣装(プラグスーツ)とウイッグは、コスパに売っているような安物ではなく、もっと精巧なものをネット通販で購入した。ちなみになぜプラグスーツなのかというと、腕や足の毛を隠せるからだ。そして本来女性向けのプラグスーツを着るために食事制限、有酸素運動を徹底して行い、一ヶ月で十キロ減量した(身長はもともと低い方だったので問題はなかった)。もちろん肌ケアも万全だ。そして女装のための化粧の仕方およびツールはネットで調べた。やがて衣装一式が届くと、ぼくはさっそく試着してみた。化粧をし、ウイッグを被って、鏡の前に立ってみた。するとそこにアスカがいた。可愛い! 問題だったペニスの膨らみは、股の間に押しつぶすようにガムテープで固定することで解決した。かくしてついにぼくはフェティッシュに「なった」のだ。いくつかポーズをとり、自己愛を満喫した。はやく大衆にこの美しいぼくを披露したい。本番は来週だ。暮れは毎年、実家に帰るのが習慣だったが、今年は「風邪を引いてしまい帰れそうにない」とでも言えばよかろう。

 十二月三十日、ぼくはりんかい線の始発に乗った。周りを見れば分かる。ほとんどがオタクだ。こいつらにカメラを向けられることを想像しただけで興奮してきた。国際展示場駅に着くと、恒例の「始発ダッシュ」を目にすることができた。ぼくはカートを手に東京ビッグサイトに向かった。歩きながら、ふと不安になってきた。誰にも見向きもしてもらえなかったらどうしよう、と。いいや大丈夫だ。ぼくの可愛さがあれば上手くいく。そう自分を奮い立たせ現地に向かった。

 コスプレイヤー用のロッカールームに着くと、ぼくはさっそく全裸になりプラグスーツに身を包んだ。ウイッグを被り、化粧をしていると、隣の男性に声を掛けられた。「おっ、アスカ気合い入ってますね〜」ぼくは「でしょう。自信作です」と返した。広場でまた会いましょうね、と言い男は去っていった。オタクたちの間では女装など珍しくもないのだろう。誰も彼も粛々と着替えていた。ぼくは三十分掛けて念入りに化粧をした。そしてアスカが出来上がった。やはり可愛い。ぼくの女顔、クオリティの高い衣装、これらがあれば絶対上手くいく。

 コスプレ広場は寒かった。当たり前だ。こちとら革一枚で真冬の北風に晒されている。周りを観察してみると、すでに大勢のカメコに囲まれているレイヤーもいれば、たった一人突っ立っているひともいる。ぼくは最近のアニメに疎いので、彼ら彼女らが何のキャラクターに扮しているかが分からないが、クオリティの差異はよく分かる。やはりぼくは自信作だ。そんなことを考えていると、一人のカメコに声を掛けられた。「写真、いいでしょうか」ぼくは頷きポーズを決めた。彼の要望に従い、何枚か写真を撮られているとむらむらと興奮してきた。ああ、これだ。もっとわたしを見て。そのうち何人かのカメコがやってきて「こっちお願いしまーす」と言うのでそちらに向かってポーズを取った。名の知れた大手さんのように大勢のカメコに囲まれることはなかったが、つねに三、四人のカメコに身を晒し続けた。ああ、気持ちいい。興奮で寒さなどまったく感じなかった。一体何人がわたしを男だと見破っただろうか。そうだ、ラカンを深読みすれば、構造的に、愛とは常にすでに自己愛のことなのだ。

 十四時になった。そろそろヒゲが生えてきそうな時刻なので撤収することにした。ドゥルーズが言った「女性への生成変化」を身も蓋もなく実践したわけだが、これは誤読だろうか?

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