第5話 一流クレーマーの道

「ごめんなさい」

「えっ……」


 たった六文字。一秒もあれば言い切れるほど短い文字数だが、とてつもない破壊力だ。俺の精神は完全にブレイクした。

 たったの六文字。文字数で言えば、おののいもこと同じ六文字。

 つまり小野妹子が俺の精神をブレイクさせたと言っても過言ではない。


「なぜ、なぜですか! 俺の何がいけないんですか!」


 なけなしの勇気を振り絞った一世一代の告白。母親の財布から千円札を抜き取る時よりも勇気を振り絞ったというのに、なぜ、なぜ。

 それがなぜ、なんの逡巡もなく拒否されたのだ。


「クレーマーランキング圏外の人とは付き合えないわ。ごめんなさい」

「そんな……待って……待って……待てっつってんだろ!」


 百メートルを七秒フラットの速度で逃げ去る想い人を追いかけるも、一向に追いつけない。時間に比例して距離は広がるばかりだ。

 それもそうだ、俺は百メートル走るのに三十秒かかるのだから。

 なぜ女性の脚力に負けるか? それはランカーと一般人の差だ。

 彼女は町内のクレーマーランキングにランクインしている。ケツのほうだが、ランクインしているだけでも凄いことだ。

 万年圏外の俺と彼女では、クレーマー力の絶対量がまるで違うのだ。

 追いつけるはずがない。


「は、ははは、失恋だ。失恋しまったよ」


 腎臓を担保にして婚約指輪を買ったのに、交際前から失恋とは笑うしかない。

 この失恋が俺を男に、クレーマーチャンピオンにするなんて、この時は夢にも思っていなかった。




 クレーマー譚を語る前に、クレーマーランキングについてざっと話しておこう。

 アメリカが訴訟大国と呼ばれているのに対し、日本は思っていることを口にせず、多少のトラブルがあっても訴訟を起こさない。

 つまり、アメリカのように訴訟を起こしまくれば、アメリカのような強い国になれるということだ。

 となれば、国家ぐるみでクレーマーの養成に取り組むことは必然。

 授業の一環として上質なクレームを入れる手法を学んだり、習いものの一つとしてクレーマー教室が流行ったり、クレーマーが職業として成り立ったりと、日本全体がクレーム中心の社会になったことは言うまでもないだろう。

 となってくれば、クレームの上手さでヒエラルキーが形成されるようになる。

 ランキング制度も導入された。当然だろう。

 俺はクレーマーという生き方にイマイチ価値を見出せず、周りからイジメられてきた。だが、俺は相手にしなかったよ。

 どんな境遇だろうとクレーマーに身を落とさず、自分を貫いた。

 その結果がこれ、失恋だよ。

 今更クレーマースクールに通う気も起きないし、通ったところで二流クレーマー止まりだ。

 一般的なカリキュラムから怪物クレーマーは生まれない。

 俺は俺のクレーマー道を見つける。

 一流のクレーマーになって、今度こそあの子と子作りするんだ。その決意を胸に旅立つこととなった。




「おい! なんだこの温いコーヒーは!」


 オープンカフェで店員に怒鳴りつける男性を見つけ、俺は軽蔑の視線を向ける。


(スクール産のクズが……)


 それでクレームを入れたつもりか?

 俺ならば温度計で温いという物証を得た上でクレームを入れる。その上で、自分の頭からコーヒーを浴びて、温いことをアピールする。

 軟弱な温室育ちのクレーマーはそんなこともできないのか? スクールではそんなことも教えてくれないのか?

 所詮はこの程度か。初陣としては申し分ないだろう。


「おっさん、温いってのは何をもって温いんだ?」


 俺はおっさんのコーヒーに指を突っ込む。結構熱くて半泣きになった。


「若造よ、俺が町内のクレーマー会の人間だと知って、クレーマーバトルを挑んでいるのか?」

「自惚れも大概にしろ、クレーマーの新時代を作るのは老人じゃねえんだ」


 俺とおっさんの間に火花がほとばしる。

 比喩表現ではなく、互いのクレーマー力が衝突し、スパークしているのだ。


「クレーマーバトルだぞ! ストリートクレーマーバトルだ!」

「マジかよ……老害のゲンさんと呼ばれた男に喧嘩を売るなんて……あのガキ死んだな……」

「いや、わからんぞ。あの青年、独特なクレーマーオーラを放っているぞ」


 ストリートクレーマーバトルが始まり、ギャラリー達が湧き上がる。

 以前の俺なら……失恋する前の俺なら戦わずして敗北していただろう。

 このおっさんのクレーマー圧にあてられ、失禁不可避だったに違いない。

 だが、封印していたクレーマー力を開放した俺にとっては赤子同然。いや、赤子のほうが上だろうな。

 赤子というのは、邪の心を持たぬゆえに、純粋なクレーマー力を持っている。理論上では、赤子の精神を持ったまま大人になれば最強のクレーマーになりうるらしい。机上の空論だとは思うが。


「お前は温いと言った。たしかに言った」

「それがどうした! 小僧!」

「ならば飲み干してみろ。温いなら問題なくできるはずだ」

「たやすいわ! 見て……なにっ!?」


 温いというクレームに対し、反クレームを叩きこんだ。

 必然的に俺の注いだクレーム力に比例してコーヒーの温度が上がる。

 説明するまでもなかっただろうか。


「な、なんて熱気だ……ここまで伝わってくるぜ」

「ああ、コーヒーが小さな太陽となっている」

「奇跡だ……俺はクレーマー界の未来を……光を……この目で見ている!」


 もっと……もっと騒いでくれ。

 今の俺には、ギャラリーの喧騒が万雷の拍手のように感じられた。


「温いと言ったんだ。飲んでもらおうか」

「ぐっ……」


 おっさんはコーヒーに近づくことさえできない。

 諦めろ。覚悟が違うのだ、俺とお前では。


「クレーマー精神がクレームバーストする前に土下座しろ」

「わ、若造がっ……! 年寄りをなめるなぁ!」

「な、なにをする!」


 男のつまらないプライドが、そうさせたのだろうか。

 おっさんは、プチ太陽となったコーヒーに口をつけた。

 カップを手に取った時点でおっさんの命運は尽きたに等しい。

 だが、命が燃え尽きるその時まで、おっさんはコーヒーを飲み続けた。


「う……美しい……」


 太陽を抱きながら絶命した男の姿は、神々しかった。

 顔面偏差値一桁の骸が、聖遺物のように思えた。


「これが……クレーマー……」


 ただの老害だと、ただの雑魚クレーマーだとばかり思っていた。

 だが、実際はどうだ。

 なんと気高いことか。

 名も知らぬ男、数分クレーマー力を交えただけの男に教えられた。

 男の生き様、クレーマーとしての生き様を。

 俺は無意識に敬礼していた。

 男の唄、無言の友情がそこにはあった。

 この戦いから数ヶ月後、俺は一流クレーマーとして全国津々浦々、果ては宇宙までかけまわることになるのだが、それはこの戦いがあってこそだろう。

 最初の一歩は、もっとも大きく、もっとも重たい足取りだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

一口怪文書 シゲノゴローZZ @no56zz

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ