第2話 ハラスメントハラスメント(H×H)

 被害者が泣き寝入りするなんてことは、あってはならない。

 泣き寝入りを防ぐためなのか、事件を未然に防ぐためなのか知らないが、被害者を守るための風潮がある。

 イジメは本人がイジメだと認識すればイジメ。

 セクハラは本人がセクハラだと認識すればセクハラ

 その考え方自体に異を唱える気はないが、結局それで救われる者なんていないと思われる。

 それを主張できる人間は、そもそも被害に遭わないのだ。

 結局、被害妄想が激しい人や、風潮を悪用しようとする人の武器として使われてしまっている。

 暴虐の限りを尽くし、非難を受ければ被害者面をして難を逃れる。

 自分はハラスメントに立ち向かうという建前で暴れ、反論は全てハラスメントだと断じるという、いわゆるハラスメントハラスメントによる猛攻に打って出る。

 団体名は決してこの場で出さないが、少数派の意見を世論の総意だと誇張して暴れまわる集団が、まさにそうではないか。

 弱者を救済する措置は、いつの世も強者に都合よく使われるのだ。




 俺は女子校で教師をしているのだが、中々の地獄だ。

 何も知らない者達は「周り女子ばっかでハーレムやん」などと茶化してくるが、不快だ。「恋をすると綺麗になる」という言葉は、裏を返せば「異性の目がないと品性下劣なゴリラに成り果てる」ということだ。

 社会に出ても強く生きられる逞しさがあるのはいいことだが、少々いきすぎるところがあるのだ。


「せんせー、そろそろキスしよーよ」

「何がそろそろだ。段階飛ばしすぎだろ」


 なんというか、その……大人を舐めくさっているのだ。

 共学であれば、理不尽に怒られる男子生徒を目にする機会が多いので、気を付けて行動することを心がけるのだが、女子校だとな……。


「山中よ、男子生徒が女性の教師に同じことしたら即刻、生徒指導室行きだぞ?」

「男子は男子じゃん、早くキスしてよ」


 キスしたい欲が強すぎる。

 多分、論破一回につきキスを一回所望してくるぞ、こいつ。


「何度言われようが生徒とキスなんかせんぞ」


 まったく、どんな情操教育を受けているんだ。

 恋に恋するお年頃なのは重々承知しているが、そんなに恋愛がしたけりゃ他校と絡んでこい。男子なんて単純だから、女子からいけば簡単に落ちるぞ。


「へぇ、キスを拒否するんだ。教頭に言っちゃおうかな」

「言えばお前の恥になるぞ」


 ウチの教頭は女性だが、問答無用で女子生徒を贔屓したりなんかはしない。その脅しが通用するのは、よその学校だけだ。


「ハラスメントされたって言うよ?」

「無駄だ、虚偽のセクハラは教頭に通じん」


 年功序列ではなく実力で教頭になった人だからな。オマケに女子校出身だから、女性の嘘ぐらい見抜けるし、生態系も理解している。

 っていうか、こっちがセクハラされてる側だよ。セクハラの加害者と被害者に性別なんてないんだよ。


「セクハラじゃないよ。女の子のキスを拒否するのってキスハラだから」

「くっ……」


 そうきたか……。

 まずいな、セクハラは回避できてもキスハラで訴えられたら俺に勝ち目はない。キスハラで訴えられた者は、いつでもキスできるように同棲しなければいけない。独り身を楽しみたい俺としては致命的な罰だ。


「わかったよ……目をつぶれ」

「んっ……」


 罰が怖いので、仕方なく山中とキスをする。今月だけで五人目だぞ? まあ、今の日本男児じゃ珍しくもないんだろうけどさ。


「じゃあさ、次は呼び方変えよっか」


 キスだけじゃ満足できなかったらしく、新たな要求をしてくる。図々しいな、どんな教育を受けてんだ。


「呼び名? 山中さんって呼べばいいのか?」

「意地悪しないでよ。真紀って呼んでよ」

「下の名前で呼べってか?」

「うん。真紀ちゃんでもいいよ、マキマキはダサいからダメね」


 わざわざ釘をささんでも、そんな呼び方せんよ。なんだよ、マキマキって。


「生徒を下の名前で呼べるか。適切な距離感ってのがあるんだ」

「いいの? ネムハラで直談判するよ?」

「くっ……真紀……これでいいか?」


 こいつ、中々ハラスメントに詳しいな。ハラスメント使いが増えてきているのは知っているが、ネームハラスメントを使ってきたのは山中が初めてだ。

 ネームハラスメント、略してネムハラ。これは、名前に関するハラスメントで、女性が望んでいる呼び方をしなかった場合や、望まない呼び方をした場合に適用されるハラスメントだ。これで訴えられれば、エンコ詰めされてしまう。

 無論、デート中に他の女性の名前を出すのもネムハラだ。こちらは、タコ糸無しでエンコ詰めされるほどの重罪だ。


「えへへ、私もサトルって呼ぶね」

「どうぞ……」


 言うまでもないが、男性側が女性側の呼び方に異を唱えるのもネムハラだ。


「じゃあサトル、土曜日にデートね」

「……断ったら?」

「デートハラスメントで総理大臣に直談判する」


 それはまずいな。デートハラスメントについてはあえて説明しないが、訴えられた場合、政治家全員で徒党を組んで殴りかかってくる。

 政治家達にリンチされたくない俺は、一も二もなくデートを承諾する。


「じゃあLINEのIDと合鍵ちょうだい」

「……断ったらテルハラとキーハラか?」

「もち!」


 連絡先を教えない場合はテルハラ、元々は電話番号を想定して作られたハラスメントだから、こういう名称なのだ。断れば世界中の変態が毎日メッセージと電話をよこしてくる。これで訴えられた俺の同僚は、常に通知がカンストしている。

 キーハラは文字通り、合鍵を拒否するハラスメントだ。罰として、鍵をかけられないように、自宅のドアを破壊される。夏場なら涼しくていいが、今は冬だ。


「わかった。でも、デート以上のことはしないからな?」

「え? なんで?」

「だって俺、今は独身だけど、すでに……」

「デートの後は、そっちからプロポーズね。結婚指輪は安物でいいよ、新婚生活はお金がかかるからね。あっ、婚姻届も用意してるから後でサインしといてね。勿論、サトルの両親のサインは、とっくに貰ってるから大丈夫だよ。ハネムーンはどこにしようか? いくつか候補あるんだけどさ、やっぱり二人で話し合いたいじゃん? 先の話になるけど、子供の名前どうする? 女の子二人産むのは決定として、やっぱ一人目は男の子がいいなぁ。末っ子の男の子も可愛いんだけど、強い男の子に育ってほしいし、一番上のお兄ちゃんになってもらわないとね。ああ、新婚生活のことを考えてたら、孕んじゃったよ。あっ、今お腹蹴ったよ? ほら、ここ触って。元気な男の子だよ、サトルに似てもいいんだけど、どっちかといえば私に似てほしいかなぁ。カッコイイ顔に生まれてもいいんだけど、あんまりモテすぎるとサトルみたいに、たくさんの女の子を不幸にしちゃうかもしれないしね。え? 私はすっごく幸せだよ? サトルのお嫁さんになれて、子宝にも恵まれたもん。でも、他の女の子達は失恋しちゃって可哀想だよ。私の親友もたぶらかされてね、あーあ。女子校の教師だから女性の扱いに長けてるってのはわかるんだけどさ、すぐに勘違いさせるのやめな? 奥さんとして鼻が高いっちゃ高いよ? でもさ、思春期の女の子をおかしくさせちゃ可哀想だよ。私みたいに普通の女の子なんて稀だよ? サトルの前じゃ皆メスになっちゃうんだから。なあ、昨日誰と飲みに行ってたのさ? ううん、言わなくてもいいよ、知ってるから。国語の植松先生っしょ? サトルがあの行かず後家のアバズレなんざ興味ないってのは知ってるけどさ、それでも不安になっちゃうの。おい、こっち見ろよ。奥さん放置して飲みに行った酒はうまかったかよ? ああ? おい、逃げんなよ、今さら芋引いてんじゃねえぞ。後二人産む予定だからタマ潰されないと思ってんのか? その気になればいくらでも産めんだよ、こっちは。もう二度と浮気できない体になるか? ああ? なんてね、冗談冗談。理解ある奥さんだから、多少の火遊びぐらいで目くじらなんて立てないって。あはは、サトルったら可愛いんだから。もう、パパになるんだからしっかりしてよね。じゃあ初デートは西松屋に……」

「……真紀!」

「今のうちにトイザらスの株を買っとけば……ん?」

「幸せになろうな」

「うん!」

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