一口怪文書

シゲノゴローZZ

第1話 この世界は現実でもありVRでもあり夢でもあり並行宇宙である

 馬鹿げた話だが、世界が五分前にできたという説がある。

 文字通り、今の世界が五分前に突如作られたという無茶苦茶な説だ。

 五分よりも前の記憶は全て偽り、生まれた段階で持っている記憶というわけだ。荒唐無稽と言わざるをえない。

 もっとも、本気で提唱されたわけでもなく、論文中の例え話として出された説らしい。思考実験の副産物とでも、いうべきだろうか。

 暴論に近いが、立証と反証をできない以上は、否定することができず、可能性を認めざるをえないのである。

 となれば、今いる世界が作り物であることは否定できない。何故なら反証できないから。

 文明の進んだ世界には、地球観察キットのような物が存在しており、自分達はそのキットのNPCという可能性もある。

 勿論、これを証明することはできない。だが反証することもできない。つまり、可能性を認めなければならないのだ。




 俺は教師に就任して三年目の男だ。覚える必要はないが、姓は山田、下の名前は太郎という、とってつけたような名前だ。

 高給取りでもなければイケメンでもない俺は、女性と無縁。容姿を重視してくる女生徒とはさらに無縁だ。


「ほら、早く結婚するよ」


 そんな俺が、どういうわけか婚姻を迫られている。有り体にいえばビジネス関係にすぎない生徒から。

 早くってなんだ、早くって。急を要するものでもないだろ、俺なんか在庫置き場で埃被ったまま生涯を終える運命の男なのに。


「ははは、佐藤が冗談を言うとは意外だな」


 この生徒のことはよく知らないが、普段のつっけんどんな態度を見るに、恋愛に無頓着なタイプだとばかり思っていた。

 一匹狼な気質で、同性の友人も数えるほど。その友人も、世話焼きなタイプや人懐っこいタイプばかりで、人間関係は基本受け身なのではないだろうか。

 そんな彼女が、よりにもよって俺なんかに求婚だって? 普段、冗談を言わないせいで、ズレちゃったんだな。生徒にレッテルを貼るのはよろしくないが、ちょっと可哀想な子だな。


「いいから、さっさとサインしろ」


 この子、高校生にもなって敬語の一つも……待て、なんだその紙は。

 まさか婚姻届? 実物は初めて見るな。こんな形で見たくなかったけど。


「おいおい、冗談のためにそんなものまで用意しちゃって」


 罰ゲームとかじゃないよな? 陰湿的なイジメを受けそうな性格ではあるが、こういう何かをやらされる系のイジメは受けなさそうなんだがな。ツリ目だし、暴力に訴えてきそうな雰囲気だし。


「冗談じゃないよ。攻略のために必要なんだよ」

「攻略? なんのだ」

「この世界はVRのMMOなんだよ。結婚システムを使えば、特典でゲームを有利に進められるんだよ」


 冒頭で申し上げたように、俺は三年目の新人。他の中年教師と違って、VRもMMOも当然知っている。ゲームのことは理解しているが、彼女の言うことは理解不能。


「大人をからかうんじゃないよ。どうしたんだ? 何かあったのか?」


 まさか本当にイジメか? それとも、誤って酒の入ったチョコでも食べた? でもそれだと、婚姻届の説明がつかんな。

 結婚情報誌の付録で付いてくるって噂を、聞いたことがあるけど、それか?


「からかってない。形だけの結婚なんだから、協力してくれたっていいだろ」


 彼女の目は真剣そのものだ。なにこいつ、こわっ……。

 そういえば俺が子供のころ、ゲーム脳がどうとか、アホなテレビでアホな有識者がほざいて、アホな親御さん達が騒いでたな。

 当時は一笑に付していたが、ゲーム脳は実在していたのか? 由々しき事態と言わざるをえない。


「あのな、佐藤。いいか、佐藤。VRじゃなくて現実なんだ、ここは」


 冗談なら乗ってやってもいいが、見るからに本気だしな。俺は褒められた教育者というわけでもないが、税金泥棒の木っ端役人でもない。救える限りの生徒は救わねばなるまい。


「じゃあアンタ、ここがVRの世界じゃないって証明できんの?」


 そう言われてみればそうだ。反証することができない。

 ここは現実だとばかり思っていたが、証明できない以上は、思い込みにすぎなかったらしい。


「たしかにそうだ。ここはVRの世界だ」

「な? ほら、早くサインして」


 俺が、現実じゃないという現実に気付いたことで、佐藤は勝ちを確信する。

 だが、この婚姻届を受け取るわけにはいかない。


「たしかにここはVRの世界だが、生徒と結婚するわけにはいかんのだ」


 そう、俺は教師で佐藤は生徒。VRの世界だから、それがどうしたというのだ。


「はぁ? ゲームと現実をごっちゃにすんなし。きもっ……」


 たしかにそうだ。佐藤が全て正しい。

 現実の倫理観を仮想空間に持ち込むなんて、俺は人としてどうかしていた。

 誰だってゲームで人を殺したことくらいある。土足で民家にあがりこんでタンスを漁ったり、コンビニの電子レンジで敵を温めたことくらい、誰だってある。

 その人達は人殺しなのか? 異常者なのか? 否、現実の倫理観で騒ぐ方がよほど異常者だ。聞いてるか、PTAども。


「よし、ここにサインをすればいいんだな」

「ったく。こんなので手間取らせて……先が思いやられるよ」

「先というのがなんなのかわからんが、書いたぞ。ほれ」


 サイン済みの婚姻届を受け取った佐藤は心なしか赤面していた。

 状態異常だろうか? まあ、ゲームだし、そこまで気にしなくていいな。




 しかし、最近のMMOにも結婚システムなんてあるんだな。

 どんな特典があるんだろ? 俺も受け取れるんだよな? 今度聞いてみるか。

 そんなことを考えながら廊下を歩いていると、一人の女生徒が声をかけてきた。


「山田先生、和風と洋風、どちらにしますか?」


 なんだこいつは。挨拶より先に謎の質問を投げかけてきやがって。

 トイレの話……は違うな、それなら和式と洋式って聞き方するし。そうか、ハンバーグの話だな。田中は食いしん坊だなぁ、ははは。


「デミグラスも好きなんだけどな。大根おろしの方が好きだし、和風かな」


 大人になるとわかるんだよなぁ、大根おろしの良さがさ。大人になるって、悪いことばかりじゃないって思えるよ。子供の頃はサッパリわからなかったよ、大根おろしなのにサッパリわからなかったよ。んふふ。


「なんの話ですか?」


 怪訝そうな顔で聞き返す田中。

 お前こそなんの話をしていたんだ。ハンバーグ以外で和風と洋風なんてないだろ、許さんぞ。お前だけ内申点ゼロにするぞ。


「だから和風ハンバーグが好きだって話だよ」

「……? 来週の結婚式の話ですよ?」


 なんだって?


「誰と誰の?」

「もぉ、とぼけないでくださいよぉ。私と先生の結婚式ですよ」


 俺と佐藤の結婚を嗅ぎつけたのかと思ったが、どうやら違うらしい。

 田中は俺と結婚する予定を組み込んでいたようだ。俺に無断で。


「田中と結婚する予定はなかったと思うぞ」


 念のため、スケジュール帳を確認する。生徒を頭ごなしに疑うのも良くないしな。


・進研ゼミをパクってテストを作成する。

・校長のベンツのエンブレムを剥ぎ取る。

・NHK撃退用の自走砲を購入する。

・教頭にリベンジポルノする。


 うむ、田中と結婚するなんて予定は存在しないな。

 それにしても、俺の予定って日常に変化ないよなぁ。まあ、教師の人生なんてこんなもんか。


「ほら、ないぞ」


 生徒に見せるのはどうかと思うが、手っ取り早く論破するためにスケジュール帳を見せてやる。これが一番早いと思います。


「山田先生と私は一週間後に結婚する運命なんですよ。あと、その予定は色々とまずいのでやめたほうが……」


 何を言っとるんだ、こいつは。

 運命とかよくわからんし、予定が色々とまずいってのはもっとわからん。

 成績優秀な生徒だと思っていたんだがな、やはりテストなんてあてにならん。この国の教育は、先を見てないんだよ。だから研究や仕事で他国と差が……。


「先生、式の準備があるんですから、早く決めてください」

「準備なんて必要ないぞ。運命なんて存在しないんだ」


 良くも悪くも変わるんだよ。確定した運命なんて、存在してちゃいけないんだ。


「では、運命がないことを証明できますか?」


 言われてみればそうだ。運命の有無を証明することなどできない。つまり運命は存在するということになる。

 ならば、俺は田中と結婚しなければならないだろう。運命に背くなど、許されることではない。


「いや、待ってくれ。二人同時に結婚はシステム的に無理じゃないか?」


 そうだよ。俺は佐藤と結婚しちゃったんだよ。この場合どうなるんだ? 処理落ちして世界が崩壊するのか?


「なんですかシステムって? っていうか二人同時ってなんですか?」


 田中の目からハイライトが消える。人前でアバター弄るなよ、こわっ。


「俺もさっき気付いたんだが、ここはVRのMMOなんだよ。そんでついさっき、佐藤と結婚したばっかりなんだ」

「……? ここは現実ですが?」


 ダメだ、この子は勉強のしすぎで、人として生き抜く術を身に着けていない。

 この国の教育のレベルの低さに怒りが沸々と湧いてくる。こんないたいけな少女が不幸になるなんて、許せねぇ……。愚民政策で国民から知を奪おうとしている、この日本という国に怒りを抑えきれねぇ……。


「ここがVRじゃないってことを反証できるのか! この現代っ子が!」


 心を鬼にして、強く言ってやることにした。

 そうだ、運命の女神は微笑んだりしないんだ。横っ面を引っ叩いてくれるんだ。


「じゃあ先生は、ここがVRだって証明できるんですか?」


 女神のビンタをかわし、カウンターをぶちこんできた。

 そうだ、たしかに田中の言う通りだ。

 馬鹿げた話だが、VRだと証明できない以上は、ここが現実だという可能性も否定しきれない。ここが現実だなんて、ぶっとんだ説ではあるが、証明も反証もできないならば、認めざるをえない。


「それもそうだ。だが、なおさら田中とは結婚できない」


 MMOならば抜け道がワンチャンあるかもしれないが、ここが現実ならば抜け道など存在しない。日本で重婚すれば、法律違反で都知事に襲撃されてしまう。


「佐藤さんと別れるのも運命です。反証できます?」


 そうか、そういう運命なのか。反証できないならば、別れるしか道はない。

 佐藤と離婚するべく、今来た道を引き返す。




「山田先生、昨日は凄かったよ」


 道中、どっからか沸いてきた鈴木に呼び止められる。

 なんだ? 昨日? こいつと会った記憶なんかないのだが、それよりも様子がおかしいぞ。


「何をもじもじしてる?」


 もしかしてトイレに行きたいのかもしれない。だが、それを口にすればセクハラでエンコ詰めさせられてしまう。男性が生きにくい世の中になったものだ。


「だってぇ……ついに先生とヤっちゃったからぁ……」

「何をだ?」

「もう! 聞かないでよ! セクハラだよ!」


 セクハラになるようなことをしたのか? 俺とこいつが? VRならまだしも、現実世界だぞ?

 学生とヤるわけないし、そもそも昨日は会ってないだろ。俺は葬式に参加していたから、間違いない。

 ん? 別に喪中じゃないよ。知らない人の葬式だもん。

 なんか、葬式会場の近くって看板出てるじゃん? 「〇〇家」みたいなヤツ。

 あれ見て「おっ、やってるやってる」って参加したんだよ。

 いやぁ、気分悪かったなぁ。どいつもこいつも「誰こいつ?」みたいな目で見てくるしさぁ。冷てぇよ、世間は冷てぇよ。


「誰かと勘違いしてないか? 昨日は会ってすらないだろ」

「先生、何を言って……ああ、そっか。その記憶がない状態で生まれてきたんだ」


 お前こそ何を言っているんだ。なんだよ、生まれてきたって。いったい、いつの話してんだよ。

 まるで意味がわからんぞ、ゆとり教育の弊害か?

 意地の悪いことに鈴木は、困惑する俺をさらに困惑させる一言を放つ。


「世界は神によって五分前に作られたんだよ?」


 敗戦国の末路か、これが。

 ゆとり教育というのは、思ったよりも深刻な問題だったらしい。

 俺も世代的にはゆとり教育なんだが、同じゆとり教育でも十年かそこらでここまで差が出るもんなんだな。


「鈴木よ、俺が生後五分に見えるか? 我、大人ぞ?」


 全人類が同い年ってのもおもしろそうではあるけどな、五分でここまで成長しちまったら、三十分後には寿命を迎えちまうよ。


「だーかーらー、先生は大人の状態で生まれてきたの!」

「何を言ってんだお前は。大人なんか出産したら、母親が死んじまうよ」


 俺の母親は俺よりも小さいんだ。自分よりも大きな人間を出産できるわけないし、そもそも収まりきらねえよ。


「今までの記憶を持ったまま生まれてきたんだよ。この世界と一緒にさ」

「はいはい、急いでるからまた今度な」


 VRの世界じゃあるまいし、んなこと起きっかよ。

 暇を持て余しているなら、おバカな女子高生の空想に付き合ってもいいんだが、あいにく急いでるんだ。結婚式の手配とかされる前に離婚したほうが、お互いにダメージが少ないだろうし。


「じゃあ反証できる? 私が間違ってるって」

「たしかに言われてみれば……地球が四十六億年前から存在していたとか、そんなことは証明に使えないよな。存在してたって設定で世界が創造されたとすれば」


 つまり世界は五分前にできたってことか?

 たしかに筋は通っている。いや、この説通りじゃないと説明がつかないことが多すぎるのだ。たとえばTikTokerだ。最低限の教育水準を保っている国に、あんな、頭足りてないやつらがいるはずないんだ。つまり、あいつらはTikTokerという業を背負った状態で生まれてきたのだ。

 なんて……なんて可哀想なんだ……。


「じゃあ責任取ってよね。女子高生に手を出したんだから」

「うぐっ……」


 彼女の言うことは一部の隙も無く正しい。俺には責任を取る義務がある。

 俺に記憶がなくとも、手を出した事実に変わりはない。手を出したっていう状態で生まれたのだから。


「すまない。責任を取りたいが、田中と結婚する運命なんだ」


 佐藤は離婚する予定だから、あんなヤツどうでもいいけど、田中は運命で決められている。つまり結婚不可避なのだ。


「確定した運命なんてないよ?」

「じゃあ鈴木はそれを反証できるのか? できないだろ? つまり、確定だ」

「じゃあ、そういう運命だって証明できるの?」


 そうか、よくよく考えてみれば田中の言ってることを立証することはできない。つまり、田中の妄言にすぎないということだ。


「わかったよ。とりあえず佐藤と離婚してくるから待ってて」




「バカッ!」

「バカです!」


 離婚届にサインを要求したら、サイン代わりにビンタを貰った。


「わかってくれよ、俺は鈴木とヤった責任を取らねばならんのだ」


 往復ビンタに耐えつつ、懇願する。

 ヤッたという言葉に反応したのか、佐藤の目からハイライトが消えた。こわっ。

 このままでは殺されかねない。これまでの経緯を全て説明しよう。


「俺は田中と一週間後に結婚する運命だったんだが、それを立証することができないから田中の妄言にすぎなくて、世界ができたのは五分前で、それが五分前の出来事だから厳密には十分前で、でも別にそこは重要じゃなくて、俺と鈴木は過去にヤったことがあるらしいから、俺は男として責任を取らなきゃいけないんだ」


 順序だてて、簡潔且つミュージカル調で説明する。


「ドアホッ!」


 飛んできたのは万雷の拍手ではなく渾身のビンタ。

 俺の左頬を佐藤の左手に見立てれば拍手と言えなくもないが、一発ではただの猫だましだ。俺はおそらく人だから、騙されないぞ。


「記憶にない性行為より、記録にある結婚の責任を取れ! バカ! ハゲ!」


 なんという正論。返す言葉が見つからない。

 俺は自己都合で佐藤をバツイチにするところだった。なんて男だ。

 俺が猛省していると、田中、鈴木、その他の女生徒が教室に押し寄せてくる。大体二百人くらいだ。想定された教室の人口密度を軽々とオーバーしている。




 結論から言ってしまえば、俺は全員と結婚した。

 この世界は現実でもあり、VRでもある。そして夢の中でもあり、漫画の世界でもあり、世界は記憶と共にできたばかりの物だが、事実として存在するので彼女達と歩んできた過去は決して消えない。

 世界も俺達の人生も始まったばかりだ。

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