第15話

「シオンったら、全然起きないし!」

「しょうがないだろ、リリの寝顔を眺めてたら朝だったんだから……」


 何がしょうがないのか意味が分からない。何もしょうがなくはないと思うのだけど……。


 ラピテルへ帰るのに半日かかる為、DIYの資材を買って午前中にはユグドルを発たなければならなかった。


 部屋から男装し終えたミラ姉を引っ張り出していると店主と目が合った。


「あッ……」


 ミラ姉がお疲れ気味なのを見て、何かを察したように慌て始めた。


「リ……リリージュ様、あっしはあの後すぐに寝たので、何も聞いちゃあいません! 安心してくだせえ!」


 店主はよそよそしく、はにかんで見せた。


「ちょっとそこ! 本当に何もなかったんだから、変な気遣いとかしなくて良いから!」

「す……すいやせん!!」


 完全に勘違いされている。

 それもこれも全部ミラ姉の所為だ。


「見たらわかると思うけど、ベッドは一つしか使ってないよ」


 その時、ミラ姉が余計な一言を放った。

 店主は口元を両手で押さえ、動揺を隠せずにいた。

 

「イヤアアーーッッッ!!!!!」


 私はすぐに部屋に戻ると、ミラ姉が寝る筈だったベッドのピンと張られたシーツをあえてぐしゃぐしゃにした。


 宿屋を出ると、すぐにミラ姉に詰め寄った。


「昨日から一体どういうつもりなの!!」


 ミラ姉は飄々ひょうひょうとした態度で、私の怒りなどどこ吹く風といった様子だ。


「リリに悪い虫がつかないようにしないとね」

「悪い虫って……こんなんじゃ良い縁談すら来なくなるでしょ。変な噂が立って一生結婚できなくなったらどうしてくれるの!」

「その時は僕が貰い受けるよ」

「そういうの今いらないからッ!!」


 腹立たしいが、やはりミラ姉に何を言っても無駄なようだ。暖簾に腕押しといった様子で、こちらの精神力が削がれていく。


「それに、悪い虫は何も男だけって訳じゃないしね」

「え? どういうこと?」


 すると、ミラ姉はこちらに向かって歩いてくる二人組の老夫婦を見ていた。


「あの……リリージュ様でお間違いないでしょうか?」


 突如話しかけてきた二人。

 気品のある佇まいと身なり良い服装で、おっとりとした喋り方をしていた。


「急なお願いで申し訳ないのですが、どうか助けてはくれませんか?」

「は……はぁ」


 何やら切羽詰まっている様子。

 よく分からないが、名指しで助けてほしいと言われてしまえば、話を聞かない訳にはいかない。

 場所を変え、老夫婦の話を聞くことにした。


「実は……事業に失敗し、直ぐに現金を用意しなくてはならなくなりました。今日中にお金が払えないと、身ぐるみを剥がされ、生きていくこともままならなくなってしまいます」


 話しながら泣き始めてしまった妻に寄り添い、旦那が涙を拭いてあげていた。

 見るからに仲睦まじい様子が見て取れる。


「それで私にどうしろと……」

「はい、それでお願いというのが――」


 老夫婦の話を要約すると、自分達の所有する土地を買ってほしいという事だった。

 普通に売れば2,000万マーニは下らない資産価値のある土地。それを今日にでも現金で買い取れる人を探していたそうだ。


 今日中に返済しなければならない金額が1,000万マーニ。この土地を1,000万マーニで買ってほしいらしい。

 ご丁寧に土地の所有権を移転する為の書類一式も、既に揃えられていた。


 老夫婦が持っていた登記簿謄本とうきぼとうほん(不動産の内容や所有者がわかる書類)を確認すると、確かに所有者はこの老夫婦で間違いない。

 場所としても、確かに2,000万マーニ以上で売れそうな土地だった。


 1,000万マーニなら丁度持っている……が、どうにもうさん臭い。こちらの懐事情を知られているような気持ち悪さが拭えない。

 それに言い方は丁寧だが、とにかく急かしてくる。


「ちなみに、何故私に相談を持ち掛けたのですか?」

「アクノ家であれば、失礼ながら資金に余力があると思いお探ししておりました。ただ、ギリオン様やミラージュ様は……あまり良い噂も聞かないもので、お優しいリリージュ様なら安心してご相談できると思い、お声掛けさせて頂きました」


 お優しい……か。

 優しいという言葉は必ずしも誉め言葉にはならない。

 詐欺を仕掛ける際、相手の良心を利用するのはよくある手だ。


 ミラ姉の方へちらりと視線をやると、目があった。

 しかし、ミラ姉は何を言うでもなく小さな笑みを浮かべると、だんまりを決め込んだ。


 どうやら私が違和感に気づいている事を察して、任せることにしたようだ。

 そのミラ姉の様子が、私の違和感を更に確信へと変えた。


「では……まずは法務局へ行きましょうか」

「え!? 何のためにですか? すぐに返済しなくてはならないので、あまり時間がないのですが……」

「いえ、大した時間はかかりません。ただ登記簿謄本を取得するだけです」

「登記簿謄本でしたら先ほどもお見せしたものがここに……」

「でもそれ、最新のものじゃないですよね?」


 登記簿謄本には取得日が書かれている。

 日付は今より二週間ほど前に取得したもののようだ。


「確かに最新のものではないですが……二週間前に取得したばかりのものです。こういう書類は基本的には3か月以内のものであれば問題ないと思いますが……」

「それは印鑑証明書などの場合です」


 印鑑証明書は売主から買主に土地の所有権を移転する為に必要な書類の一つだ。

 基本的には、3か月以内のものでなければ認められない。

 だが、登記簿謄本は別だ。常に最新のものを取得する必要がある。


「単刀直入に聞きます。その土地、既に抵当権ていとうけんがついているんじゃないですか?」


 抵当権とは、土地を担保にして金銭を借り入れる際に、金銭を貸した『抵当権者』(主に銀行など)が、返済できなくなった際にその土地をもって弁済に充てられる権利のことである。


 要するに、お金が返せなくなったら、所有者は銀行に土地を売られてしまうのである。


 昔は高利貸しなどが抵当権を付け、土地をむしり取るなどの問題もあった。しかし、今では住宅ローンなどを組む際に、銀行が抵当権を付ける場合が殆どで、よくある制度の一つである。


 では、抵当権の何が問題なのか。

 抵当権が付いたままの土地を買ってしまうと、所有者が変わったにも関わらず、抵当権が無くならないことが問題になる。

 

 正当な対価を支払い取得した土地なのに、抵当権が残っている事で抵当権者(お金を貸した人)は、新しい所有者に対しても、その土地を売り債権を回収する権利を主張できてしまうのである。

 つまり、前の所有者の借金を肩代わりさせられる事になる。


 その為、不動産を売買する際は、抵当権の抹消は必須と言ってもよい。

 

 この老夫婦が資金に困っていたなら、最初からこの土地を担保にお金を借りれば良いだけである。

 それをせず相場より安く、しかも急かしてくる場合は要注意となる。

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