第12話
「ええ!? お金がないと泊まれないの!?」
宿泊所のカウンターでは困り果てた顔で頭を掻く店主と、口をあんぐりと開けて呆然と立ち尽くす自分の姿がそこにはあった。
時間は既に22時を回っている。
ラピテルから半日かけて再びユグドルへ戻ってきたのはいいものの、どの店もとっくに閉店しており、開いているのは宿泊所か酒場だけだった。
明日の朝一から行動するつもりで宿泊所へ来たものの、お金がないと泊まれないという事実を知る。
そして、今更ながらに一文無しだという事にも気がついた。
「リリージュ様……申し訳ありません。今まで通り後払いで泊めてしまうと、ギリオン様に睨まれかねないんでさぁ」
どうやら領主代理であるお兄様から、ユグドル領全体に通達がいっているらしい。
姉の収監、妹の追放を果たし、アクノ家の正当な跡取りとして、己の権力の誇示を着々と進めていると言う訳だ。
それにしてもまさか、宿泊するのにお金が必要だったとは知らなかった。
いや、ちょっと待て。泊まるんだからお金がかかるのは当然である。
変な事を言っているのは、私はの方だ。
どうやら幼少期の記憶が混濁しているらしい。
確かに幼い頃の私は、何をするにも金銭を払った記憶がない。というかお金を持ち歩いた記憶すらない。
店主が後払いと言っているように、後日にでもアクノ家が支払っていたのだろう。
もはや異世界の頃の記憶が主となり、元の世界の記憶が前世の記憶、いわゆる副産物のようなものとして残り続けている感覚であった。
少しずつ、異世界の住人になりつつあるという事なのかもしれない。
「…………」
「あの……リリージュ様?」
考え込んでいた為、店主の事をすっかり忘れていた。
体格のいい厳つい顔の店主が、申し訳なさそうにもじもじしている。
アクノ家のお家騒動はきっと知っているのだろう。
権力を失ったとはいえ、私の扱いにかなり困っている様子が見て取れる。
流石にこれ以上は迷惑をかける訳にはいかないと判断し、店を出ることにした。
「……うーん、これは困った」
一旦、ラピテルへ帰るか。いや、夜中の移動は流石に危険すぎる。
それにモモモ達も休ませたい。
ましてやラピテルへ帰った所でお金がないんじゃ、DIYどころか食べ物すらままならない。
非常食があるとはいえ、所詮2日分。これでは話にならない。
ロゼが積んでくれていた食料もさっき食べた分で底をついた。
早々に解決する必要があった。
……少し甘く見ていた。
すっかり気落ちして、当てもなく街中を歩く。
最悪は馬車の中で寝るしかない。それでも暗がりはやはり怖いので、自然と明るい場所へと吸い寄せられていく。
一際明るい一画に差し掛かり、その中心の建物に、異世界語でカジノと書かれているのが目に入った。
「そうだ……忘れてた」
何かあればカジノへ行けと、ロゼに言われていたんだった。
想像していた派手で煌びやかな外観とは違い、どちらかというと格式高い雰囲気の建物だ。
モモモ達を外に待機させ、不安を抱きつつ店内へと入って行った。
「ようこそお越しくださいました」
……イケオジだぁ。
出迎えたのは、渋い声の上品なオジ様だった。丁寧過ぎるお辞儀が、むしろ緊張感を与えてくる。
偉い人ほど腰が低いのは、もはや常識である。
同じようにカーテシーで返す。一度もやった事がないのに、体が覚えているから便利なものだ。
「当カジノの支配人を務めております、『クオル・ベガ・ローゼス』と申します」
偉い人だとは思っていたが、まさか支配人とは。上品なイケオジ、油断大敵である。
とにかく失礼のないように振る舞わなければならない。
とは言え、私は今一文無しだ。
それでカジノの敷居を跨いでいるのだから、もはや存在そのものが失礼と言われればぐうの音も出ない。
でもロゼが困った時に行けと言っていたので来たに過ぎない。
さぁ誰か、私を助けてくれ。
今も絶賛困り中だよ。
「…………」
周りをキョロキョロと見渡すが、誰も助けに来る気配はない。
そんな私を見ていても、ローゼスは上品な笑みを絶やさない。
「カジノは初めてでございますか? それでしたら……丁度、あちらのルーレットの席が空いたようですね。さぁ、どうぞこちらへ」
「あ……いや、私は……」
「ご安心下さい。先ずは当カジノの仕組みをご理解して頂くだけですので」
促されるままに、ルーレットの空いた席へと座らされた。
目の前のテーブルには1m弱の大きさのルーレット盤。そして数字の書かれたマス目。
見た目は、元の世界のルーレットと同じようだ。
何となくルールは把握している。赤か黒、偶数か奇数、もしくは数字に賭け、当たれば倍率の分だけコインが貰える。
「やぁ、ローゼス。随分と可愛い子を連れているね」
「シオン様。これは丁度良い所に、こちらのお嬢様のエスコートをお願いしても宜しいですかな?」
初めて見るルーレットの盤面を興味津々に覗いていると、隣に座っていた人物がローゼスへと話しかけていた。
会話ぶりからするに、二人はどうやら知り合いのようだった。
シオンと呼ばれた人物に視線を向けると、私よりも少し歳上といった好青年が座っていた。
整った顔立ちで、いわゆるイケメンだった。
あっけらかんとした話し方にも関わらず、その所作の一つ一つに気品が感じられた。
お忍びの貴族を思わせる。
そして一番の特徴と言えば、透き通るような青い瞳と、青い髪だろう。
「僕は『セイラ・ブル・シオン』。宜しくね」
「私はーー」
「リリージュだよね。その赤い瞳はアクノ家の証だからね、知らないものはいないよ」
成る程、そういうものなのか。思っていたよりもこの地域ではアクノ家は有名らしい。
目立ちたくないなら、変装が必要かもしれない。
「僕の事はシオンって呼んでよ。君のことはリリって呼んでもいいよね」
それにしてもこの男、早速の愛称呼びである。さすがイケメン。距離を詰めるのが早い。怖いもの知らずか。
私が頷くと、シオンは優しそうな笑みを浮かべた。
「リリはルーレット初めて?」
「え……ええ」
「簡単だよ、取り敢えず赤か黒、どちらかに賭けてみて」
「あの……実は……」
「大丈夫。僕のコインを貸してあげるから」
どうやら私がアクノ家を追放されたこと。それによりお金がない事も筒抜けらしい。
そこまで事情を知っているなら、ありがたく借りるとしよう。
「じゃあ……赤にする」
「いいね、きっと当たるよ」
借りたコインを赤に賭けた。
ディーラーによってルーレットが回される。シオンが言った通り、玉は盤面の赤い窪みに入っていった。
「あ……当たった!」
「ね、簡単だろ? 次はどうする?」
「じ……じゃあ、黒で」
次は黒い窪みに玉が入る。
恐る恐る一枚ずつ、たまに数字にも賭けてみる。
これを何度も繰り返した。
「ど……どうして?」
最初は当たったことに浮かれていた。しかし、次第に怖くなっていく。
いくらカジノが初めての私でも、今の状況が明らかに異常だという事はすぐに理解出来た。
もう何度も賭け続けているのに、一度も外れていない。
「リリージュ様、当カジノの仕組みをご理解頂けましたか?」
理解が追い付かず賭ける手を止めると、後ろからローゼスが話しかけてきた。
「ど……どういうこと?」
「60億マーニの内、当カジノの手数料が30%、残り70%の42億が全てリリージュ様に譲渡された……と言えば伝わりますかな?」
60億マーニ、この数字で思い当たるのは一つしかない。
直ぐにある言葉が脳裏をよぎる。
……
ローゼスが、腹黒い笑みを浮かべていた。
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