第7話

「兄さま、失礼……します」


 扉を開けると、中は少し薄暗かった。唯一、奥の窓から日が指し、いかにも高級そうな木製の机を照らしている。

 そこでは何やら書類を見つめ、事務作業に集中する兄さまの姿があった。


 おほぉ……凛々しい。

 

 自分と同じ金色の髪と赤い瞳。キリッとした目つきは少し威圧感を与えるが、むしろそれが良いとさえ思えてしまう。


 ドS風爽やかイケメンの様な見た目、とでも表現するのが一番しっくりくるだろうか。


 兄さまは扉が開いた事に気づき、顔を上げた。


「リリージュか……どうした? そんな所に突っ立ってないで、かけたらどうだ?」

「は……はい! ギリオン兄さま」


 つい見惚れてしまっていた。

 こんな兄がいるとか、アクノ家ってむしろ当たりではないだろうか。


 部屋の中央にはローテーブルを挟んで、向かい合うように高級そうなソファが置いてある。そこに座れという事らしい。


 ソファにゆっくり腰かけると、座面が深く沈みこむ。

 元の世界でも資産家の家に一度招かれたことがあったが、そこにあったソファと同じ感触だった。

 これは間違いなく、高いソファだ。


 私がソファに腰かけると、兄さまも作業の手を止め、向かい側のソファに腰かけた。

 小さくため息を吐いている。

 虚ろ気な表情も素敵である。


「さて、父の容態があまりよくないことは知ってるな?」

「……はい」


 何となくの記憶で、父が病に伏せっているのは知っていた。

 もう一ヶ月近くも寝たきりになっていた筈だ。

 それからというもの、これまで父がしてきた作業を兄さまが引き継いでいる。


「恐らく、もう長くはないだろうな」

「そうなのですね」

「ああ……そうなると、いずれはこの家も資産も全て俺が引き継ぐことになるだろう」


 これは、いわゆる家督かとく相続というものだ。

 家督相続とは、一家の長である長男に、資産の全てを受け継がせる制度だ。


 元の世界では配偶者や女性が不平等になる等、様々な観点から家督相続は既に廃止されているが、この異世界では家督相続がまだ一般的のようだ。


 ちなみに登記簿謄本とうきぼとうほん(不動産の内容や所有者がわかる書類)を見ると、古い土地等は今でも家督相続と書かれていたりする。


「そうなるとお前に資産が残らない。俺はそれだけが気がかりでな、できれば可愛い妹にも財産を分けてやりたいんだ」

「兄さま……」


 顔が良いだけじゃなくて、性格まで良いとか……最高かよ。


 こんな素敵な兄と巡り会わせてくれた神野さんには感謝しかない。

 一時はどうなる事かと思ったけど、今ではアクノ家で良かったとさえ思っている。


 兄さまはローテーブルの脇に置いてある地図を広げ、ある場所を指さした。


「そこでだ、『ラピテル』の領地をお前に譲ることにした」

「りょ……領地をですか!!?」


 もしかしたら宝石の一つでも貰えるのかと淡い期待をしていたが、まさかの領地である。

 貴族の金銭感覚……恐るべし。


「あれ? でもミラ姉は?」


 私と兄さまには姉がいる。可愛い妹に財産をあげたいと言っていたが、姉にはどうするのだろうか?


 しかし、ミラ姉の名前を聞いた途端、兄さまの雰囲気が豹変し、拳をテーブルへ激しく叩きつけた。


「……あの女にッ! 俺の財産をくれてやれとでも言うのかッ!?」


 何か地雷を踏んだっぽい。

 え? ミラ姉、兄さまに何したの? 


「あの女が俺にしたことを、忘れた訳じゃないだろ!」


 ヤバい、完全に忘れている。

 いや、でもこれ……転生直後の記憶欠如によるものだから不可抗力だし。

 あ、でも何か今更になって思い出してきた。


 そうだ、確かミラ姉は兄さまに対し、不動産詐欺を働いたんだ。

 いわゆる地面師のような事をしたのだ。


 地面師とは不動産の所有者になりすまし、金を騙し取る詐欺師のことである。

 主に身分証などを偽造し、持ち主の振りをして買主から金を騙し取る。


 しかし、今回の場合は同じ地面師詐欺でも、被害者という点で内容が少し異なっていた。

 何故なら、実際に騙された相手は兄さまではない。

 それなのに、唯一被害を被ったのは兄さまだった。

 

 本来、相続人のいない不動産所有者が亡くなった場合、その不動産は国の所有物として扱われる。


 この異世界で言えば、その不動産は国ではなく領主であるアクノ家当主『アクノ・フォウ・バルト』の所有物となる。

 つまりはその相続人である兄さまの財産になる……筈だった。


 しかし、ミラ姉は本当の所有者が亡くなるタイミングを見計らい、その不動産の所有者を騙り、『善意の第三者』へと売り払ってしまった。


 ちなみに、『善意の第三者』とは法律用語である。

 一般的に『善意』『悪意』という言葉は、主に『良い』『悪い』という意味として日常会話等では使用されるだろう。


 しかし、法律用語としては異なる意味として用いられる。

 この場合、『善意=詐欺を知らなかった人』『悪意=詐欺を知っていた人』として表現される。


 要するに、今回の場合では詐欺だと知らずにミラ姉から不動産を買ってしまった人。それが『善意の第三者』である。


 そして『善意の第三者』は、後に詐欺が発覚しても、被害者である兄さまよりも守られる立場にいる。


 つまり、後から詐欺の事実を知った兄さまが、その不動産の返還を主張したところで、善意の第三者から不動産を取り戻すことは難しいのだ。


 結果、今回の件では兄さま一人が損害を被った事になる。


 しかも、その損害額は異世界の通貨でなんと60億マーニ。

 1マーニが1円と同じ価値なので、兄さまがぶちギレるのも無理はない。


 それでも兄さまは、何とか損害額だけでも回収しようと証拠を集め、ミラ姉を捕まえ牢屋へぶち込むことに成功する。

 しかし、その努力も虚しく、1マーニも取り返すことは出来なかった。


 何故なら、ミラ姉は詐欺で設けた60億マーニ全額を、一晩のうちにカジノで使い切ってしまったからである。

 

 一文無しのミラ姉に損害賠償を請求した所で、無いものは返せない。

 

 結果、兄さまは泣き寝入りするしかなくなった……という訳だ。


 悪を美徳とするアクノ家において、ミラ姉の方が一枚も二枚も上手だったと言わざるを得ないのだから、人一倍高かった兄さまのプライドは、もはやズタズタである。


 ゆえに兄さまの前で、ミラ姉の名前は禁句になったのだった。


 実の弟に詐欺を働く姉。何ともアクノ家らしいと言えばらしい話だ。


 ……それにしてもミラ姉、一晩で60億使い切るとか、毎日を全力で生きてるなぁ。





 

――――――――――――――――――――

今回、内容が難しくなってしまい申し訳ないです。

 要するにギリオンは、ミラージュに二度もしてやられた。という内容です。


【以下、余談ですが『善意の第三者』の具体例です】


 本来は国に帰属されるはずの土地を、相手が地面師と知ってて建築会社が購入し、そこに家を建て、何も知らない個人に売却した場合は――

 建築会社=悪意の第三者。

 個人=善意の第三者。

 となります。


 この場合、国は建築会社に賠償請求出来ます。

 しかし、もし建築会社も『善意の第三者』だった場合、地面師に賠償請求出来なければ泣き寝入りとなります。


 つまり、私達がちゃんとした建築会社と正式に契約し、お金を払って買った住宅が、実は国が地面師によって不当に奪い取られていた土地だった。なんて事もあり得ます。

 ただ、そうだったとしても、その事実を知ってるのは地面師と国だけなので、個人が知ることは一生ないかもですが。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る