第4話
すぐに姿勢を正して通話ボタンを押す。
「堂前不動産の橘です」
『あっ! りりちゃーん! 元気だったー?』
通話口からは楽しそうな声が聞こえてきた。
神野さんは知り合って以降、私の事を下の名前でりりちゃんと呼ぶ。
この歳でそう呼ばれるのはちょっと気恥しいが、親しみを持ってくれているという意味では嬉しくもある。
「はい、お陰様で元気にやれてますよ」
『嘘つけー、どうせ今日も胃が痛くなってる癖に』
電話口からはケラケラと笑い声が聞こえていた。
よくご存知で……いや、毎日のことだからそりゃわかるか。
ちなみに、社内ではいつも敬語で話す。
神野さんは他人行儀な感じを不満そうにしていたが、そこは勘弁願いたい。
だって想像してみてほしい。
まだ2年目のペーペーが大地主の力を借りてノルマをクリアし、それをかさに着て職場でタメ口で話していたとしたら……。
非常に感じが悪い。調子に乗っている。悪目立ちも甚だしい。
それだけは絶対に避けなければならない。私は普通が良いのだ。怒鳴られたくはないが、目立ちたくもない。それが私である。
『ところで急なんだけど、今から会える?』
「はい、大丈夫ですよ。いつでも出られます」
ありがたいことに私の担当顧客は神野さんのみである。それ以外は基本的に暇なのだ。
仮に例え別の予定が入っていようと、神野さんとの用事を優先するだろう。
それは大事な顧客だからという事もあるが、それだけではない。
神野さんからの用事は大抵、私の大好きなDIYに関する内容だからである。
「ちなみにどういったご用件でしょうか?」
『ふふふ……実はね、遂に自分でエアコンを取り付けることに成功したのだよ! だから涼みにおいでよー』
「えっ!? 凄い!! 行く行く! すぐ行くー!」
……あ、やってしまった。
ついテンションが上がり、普段通りの話し方をしてしまった。
途端に集まる周囲の視線。
「えーこほん。失礼致しました、すぐに伺いますね」
『ぷぷぷ……もう敬語なんて止めちゃえばいいのにー。じゃあ、待ってるからねー』
通話を切ると、直ぐにいつもの場所へと向かった。
神野さんはDIYにハマって以来、古い物件を買い、こつこつと自分で直していた。
買った当初はボロボロだったその物件も、先日見に行った時にはもう床や壁も張り替えられ、見違えるほどに綺麗になっていた。
自分で全部直して、賃貸物件として人に貸せるようにするのが目標らしい。
夢のDIY生活。私もそんな生活がしてみたいものだ。
そんな事を思いながら、すぐに現地へと向かった。
「おーい、りりちゃーん!」
駐車場に車を止めるや否や、つなぎ姿の神野さんが玄関から飛び出してきた。
普段は長くて綺麗な髪を、邪魔にならないようにお洒落にまとめ上げている。
服装は夏場という事もあり暑かったのだろう。タンクトップと軽装で、つなぎは上半身部分を脱いで腰に縛りつけていた。
初めて会った時、濡れた姿を見た時にも思ったが、彼女はどんな状況だろうが、どんな服を着ようが華やかさを纏っている。
今まで作業中だったのか、つなぎの膝辺りには石膏ボードの白い粉が付着していた。それすらもお洒落に見えてしまうのだから、羨ましい限りだ。
人間離れした麗しい容姿、何をしても隠せない気品、そして意味のわからない規模の大地主。
内心、どこぞの王族ではないかと真剣に思っている。それ程、神野さんは別次元の存在に見えた。
暫く見惚れていると、不意に手を引かれた。
「ほら、ぼーっとしてないで早く入って入って」
「あ、はい」
建物内に入ると、床や壁はもちろんのこと、キッチン等の設備まで新しくなっていた。
これだけでも、リフォーム業者に頼んだら数百万円はかかるだろう修繕を、神野さんはDIYで直していったようだ。
「ほら、これ見て! これ!」
「わー! 凄い!」
神野さんが天井付近の壁に取り付けられた白いエアコンを指さす。
広いリビングに対応して、大きめのエアコンが取り付けられていた。横にはちゃんと200
家庭用のコンセントは通常電圧が100Vであり、家電製品も100Vのものが一般的だ。しかし、IHコンロや畳数の大きいエアコンなどは200Vの電源が必要になる。(小型のエアコンは100V)
その為、ブレーカーから新しく配線し、天井や床下を通して電線を引かなければならない。もしブレーカーに空きがなければ、ブレーカー本体の交換工事も必要になってしまう。
家電量販店でエアコンの設置を頼むと、設置業者が予め現地を見に来たり、見積もりに電気工事代が含まれているのはその為である。
ちなみに壁内の電気工事は感電などの危険もある為、法律で有資格者しか工事してはいけないと決められている。
去年、神野さんに誘われて一緒に第二種電気工事士の資格を取りに行った事を思い出す。結果は学科、実技共に二人とも一発合格。
第二種電気工事士の資格は、持っていると一戸建ての電気工事ができるようになる為、DIYではとても重宝する。
「こんな重たそうなの、よく一人で取り付けられたね」
「りりちゃんがやり方を教えてくれたおかげだよ」
「それにしたって、大変だったでしょ?」
「うん、凄いしんどかった。真空引きが中々上手くいかなくて、フレア加工がね――ナイログを――」
神野さんが嬉しそうにエアコンの取付に関する工程を説明し始めた。
それを聞きながら、私も興奮しながらうんうんと頷く。
DIYの話はやはり楽しい。聞いているだけで、自分もやりたくなってうずうずしてしまう。
しかし、就職してからはそんな時間も余裕もないのが現実である。
私も、王族に生まれたかったなぁ……。
そんな事を思っていると、神野さんがドヤ顔でリモコンを操作し始めた。
「ふふん! それじゃあ、スイッチオン!」
「わー! 待ってましたー!」
エアコンを見上げていたら、ピッという音の後に、ウィーンという起動音がしてエアコンが作動し始める。
おお、ちゃんと動いた。
後は冷たい風が出るのを待つだけ。
ガタ……。
「ん? ガタ?」
エアコンが少し傾いたような……。
そう思った瞬間、白い塊が頭に落下してきた。
「ガヘッ!!」
「り……りりちゃんッ!!!?」
重く鈍い衝撃が脳天を直撃した。
どうやらエアコンを壁に固定する金具ごと、外れて落ちてきたらしい。
室外機へ繋がる配管を軸に、振り子の要領でエアコンが頭へ振りかぶってきたのだ。
星が飛び、目が回る。水平だったはずの床が大きく波打っているように見えた。
ああ……ちょっとヤバいかも。一旦座ろう。
そう思った瞬間、前のめりに床にぶっ倒れた。
「りりちゃんッ!!!? 大丈夫ッ!? しっかりして!!」
少しずつ意識が遠のいていく。
神野さんが駆け寄り、必死に声をかけている。
「りりちゃん!? りりちゃんッ!! イヤッ! 死んじゃ駄目ッ!! 死んだら事故物件になっちゃう!!」
え? 気にする所そこ?
流石にちょっと傷ついた。
泣いてもいいかもしれない。
そこで意識は途絶えた。
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