第2話
自分の名前が出た途端、私は再び条件反射的に体がビクッと跳ね上がる。そして直ぐにモニターに隠れるように体を縮こませた。
シーンとする中、全員の視線が私へと注がれている。
モニター越しで見えていない筈なのに、 痛い程に視線が突き刺ささってくるのがわかる。
また胃が痛くなってきた……。
何で私ばかりこんな目に遭わなければならないんだろう。
「てめえらも何黙って見てやがんだよ!! こういう時はやる事があんだろうがっ!! ああッ!!?」
その掛け声と同時に、一同がガタガタッと音を立てて一斉に立ち上がる。まるで軍隊だ。
皆んな体がデカいから圧が凄い、そして怖い。
お願いだからもうやめてほしい……いや本当に。
「全員ッ!! 橘君に礼ィッ!!」
「「「「ありがとうございますッッッ!!!!」」」」
一糸乱れぬ動きで全社員が勢いよく私に向かって頭を下げた。
さすが体育会系、総勢60名を超えるその声量に全身がビリビリと震える。というかフロア全体が震えていた。
居た堪れず、私も小さく頭を下げるしかなかった。
ちなみに部長も深々と頭を下げている。
ノルマを設定した部長自身もノルマを達成できていないのだ。
なのにどうしてこうも毎日社員を怒鳴れるのか、不思議なものである。
だからこそ、部長という役職に向いているのだと言われれば、それまでだが……。
この光景が営業部の日常だった。
もしこの状況で会社を辞めたい等と口にすれば、辞めるのを止めるまで営業部全員による文字通りの御礼参りが始まるに違いない。
もはや逆パワハラである。
うっ……想像するだけで、また胃がキリキリしてきた。
未だ頭を下げ続けている営業部の全社員。私が言葉を発しない限り、頭を上げることはないのは今までの経験から把握済み。
さて、何て声を掛けたものか。ここが一番、胃に負担がかかる場面だ。
何故なら、ノルマ達成は私の力ではないからだ。ここで調子に乗ろうものなら、遠くない将来、ざまぁされる運命が待っている事をアニメ(主に異世界追放もの)で学んでいる。
かと言って全力でへりくだりながら、こういう事はもう止めてほしいと以前にお願いした時には――
「てめえらっ!! 橘さんに気を使わせてるじゃねぇか!!」
と、更に説教が始まってしまった。
気を使わせてるのは木崎部長、あんただ。
だから私はこの状況を乗り切れる無難な返答を全力で探した。そして辿り着いたのがこの答えである。
「ど……どもです」
生意気過ぎず、へりくだり過ぎてもいない。声が上ずってしまったのはご愛敬。それにちょっと噛んでしまったが、一言で済む。とても便利な言葉だ。
全員が頭を一斉に上げる。
「てめえらっ!! 橘君を見習って死ぬ気で契約取って来いやッ!!」
「「「「ウッスッッッ!!!!」」」」
一斉に営業電話をかけ始め、再び活気ある職場へと戻った。
張り詰めた緊張感が解け、ようやく解放された私はデスクに項垂れた。
……あーしんどかった。
隣では木崎部長が飽きもせず檄を飛ばし続けている。
「売れ残ったマンションは投資用とでも言って何がなんでも売りつけろ!! 投資に憧れる連中が飛びついてくるからな!!」
いやいや、分譲マンションで投資はリスクが高過ぎるでしょ。
それにアパートローンではなく審査の通りやすい住宅ローンで買わせるのだから、そもそもとして人に賃貸することは出来ない。
もし賃貸して銀行にバレたら、契約違反で一括返済を求められる場合だってある。
「部長!」
すると、一人の新入社員が立ち上がった。
そうだ、言ってやれ。そんな騙すようなことはやめましょうと進言するんだ。
私は怖いから見守ってるだけだけど。
しかし、そんな期待は空振りに終わる。
新入社員は電話を握り絞めていた。どうやら電話対応中に何かあったようだ。
「購入者からクレームです! 絶対に儲かるって聞いたから分譲マンションを買ったのに、赤字続きだと言ってます!」
「知るか! 赤字なのは買った奴の自己責任だ! 返済が苦しいならそいつに分譲マンションを売らせろ! もし買主を見つけてきたら、いくらかキックバックしてやると言え!」
キックバックとはいわゆる紹介料である。これにより、騙されて分譲マンションを買った被害者は、苦しいローン返済の為に手当たり次第、知り合いに分譲マンションを勧めることになる。
そこまで親しくなかった可愛い女の子から「私、マンション投資してるんだ。凄い儲かってるんだよ。だから……ね? 君も一緒にやろうよ」などと誘われてしまったら、もてない男はイチコロだろう。
被害者が被害者を生む、恐ろしいスキームである。
もし初めての投資で分譲マンションを買おうとしてる人がいるなら、是非止めてあげて欲しい。
絶対に損をするとまでは言わないけど、利益を得られるのは数少ない優良物件を死に物狂いで手に入れた者だけである。
探してもいないのに紹介されている時点で、それはただの売れ残り物件でしかない。
部長は更に檄を飛ばす。
「所得の高い層には一棟マンションを建てさせろ!! 渋るなら長期サブリースで安心を謳ってでも契約させろ!! 建てさせた後はわかってるな? 入居率の高い物件だけサブリースを更新して、人の入らない物件はサブリースの条件を下げてオーナーから解約したくるように仕向けるんだぞ!」
これまた悪どいことを言っている。
サブリースをただ割高な物件を建てさせる為に利用した、抱き合わせ商法でしかない。
まぁ銀行と手を組んで預金データの改ざんや計画倒産しないだけマシと言えるけど……いや、全然マシじゃないな。
とまぁ私が退職したがっている理由はいくつもあるが、一番の理由はこれ。この会社は色々とブラックなのである。
もしノルマが達成できないままだったら、今頃同じことをやらされていたに違いない。
私が無理な営業活動に手を染めずに済んでいるのは、ただ運が良かっただけ。
まさに救いの女神とも言うべき、
神野さんとは入社して間もない頃に知り合った大事な顧客であり、友人でもあった。
彼女との出会いがなければ、心が折れた私は今頃ニートになっていたことだろう。
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