第9話 こんな生活ともおさらばですね。

 ――ピピピピピ……!


 アラームの音で僕は目を覚ます。だけど、先生はちっとも起きない。

 スヌーズももう三段階目。頭が痛くなるほどけたたましい音量になったところで、ようやく先生が気怠そうに目覚めてアラームが止まった。


「うーん……学校行きたくない……」


 先生は愚痴りながら体を起こすと、無防備におっぱいを丸出しにしたままベッドを這い出る。

 そして部屋干ししていた下着をピンチハンガーから引っ剥がすと、パンティに手を突っ込んでポリポリとお尻を掻きながら風呂場へと消えていった……。


『はぁ……。何もかもが台無しだよ。それとも、僕が幻想を抱きすぎてたのか?』


 シャワーから戻った先生の、今日は下着は黒のレース。クローゼットからスーツを取り出すと、いつも学校で見かける姿へと変身していく。

 さらに、鏡に向かうこと三十分。キッチリとメイクを済ませた先生の姿に、さっきまでのおっさんの影は微塵も見当たらなかった。

 バッグを肩からかけて出勤準備も整ったらしい。すると先生はベッドに近寄って、僕の体に手を伸ばした。


『よしよし、マンガ本に乗り移っておいたのは正解だったな……』


 掛け布団のままじゃ、先生の家から逃げ出せなくなってしまう。そう考えた僕は、昨夜の内にマンガ本に乗り移っておいた。

 先生が掛け布団の上に、マンガ本を放り出しておいてくれたお陰だけど……。

 本の口は背表紙にあることはわかっていたから、後は夜の内に必死に体を這わせてマウストゥマウスをするだけ。結構な労力だったけど、何とか朝に間に合った。


「結構エロくて、そそられたなー。帰りに本屋で探してみっか……」


 先生はマンガの感想をつぶやきながら、僕をバッグにしまい込む。

 どうやら、これにて先生の家とはおさらば。これ以上幻滅せずに済みそうだ……。




「じゃぁ、大崎さん。これはお返ししますけどぉ、もう持ってきちゃ、メッよ?」

「はーい……」

「あ、ちなみになんだけどぉ、アルベルトってこの後どうなるのかしらぁ?」

「続きも貸しましょうか?」

「え、いいの? って、ダメよぉ、学校にマンガ持ってきたらぁ」


 少女マンガの僕は、職員室に呼び出された博美に手渡された。

 相変わらず学校での先生は、耳に絡みつくアニメヒロインのようなかわいい声で、弱々しい可憐さを演じている。

 校内には石黒先生のファンも多い。僕だって憧れの感情を抱いていた一人だ。

 けれども、その本性を見てしまった僕はこれから先、その可愛らしい笑顔の裏側に隠された、おやじ臭い先生の姿を思い浮かべないわけにはいかないだろう……。



 思わぬ回り道をしたものの、少女マンガになった僕は博美の手に。

 教室に戻った博美は、僕をカバンの中へと押し込んだ。


「大崎さん! そのマンガ、昨日の持ち物検査に引っ掛かってしまったんでしょ? 私の返すタイミングが悪かったせいで迷惑を掛けてしまって、本当にごめんなさい」


 ん? この声は谷川さん? 

 外の様子はわからないけど、どうやらマンガ本の僕のことを話しているらしい。


「ああ、あたしがボンヤリしてて見つかったのが悪いから、気にしないで」

「それで、もし良ければ、この続きも貸してもらえないかしら?」

「うん、いいよ。明日持ってくるね」

「ありがとう、お話の続きが気になっちゃったものだから……」


 このやり取りを聞く限り、この少女マンガの持ち主は博美だったらしい。

 博美が恋愛ものの少女マンガを読んでたなんて、ちょっと意外だ……。



 その後の僕は、カバンの中で退屈な一日を過ごした。

 たまにカバンの口が開いて明るくなるものの、大半は真っ暗闇。だからといって、密着する教科書に乗り移ったら面倒だから、迂闊に眠ることもできない……。


「ただいまー」


 部活を終えた博美が、ようやく家に帰りついたらしい。博美の帰宅時間なら、もうそろそろ夕食時だろう。

 今日も退屈で長い一日だった……と気が緩んだ瞬間、激痛が僕を襲う。


『ぐぇっ! カバンを放り投げるなよ! 痛たたたた……』


 体が弾んだところをみると、カバンはベッドの上にでも放り投げられたんだろう。

 思わず悪態をついたけれど、今までは僕も日常的にやっていたこと。これからは、物を大切に扱おうと心に決めた。

 しばらくして、ようやくカバンの中に光が射し込む。

 そしてヌッと差し入れられた博美の手で、僕の体が掴み上げられた。


『ちぇっ、もう着替え終わった後か……』


 僕を取り出した部屋着の博美は、本棚にあった1冊分の空きスペースにスッポリと嵌めるように、マンガ本の僕を収めた。

 右は第1巻、左は第3巻。そして僕は第2巻。やっぱり、この少女マンガは博美の持ち物で間違いないらしい。

 僕を本棚にしまった博美は、そのままベッドへゴロリと仰向けに寝転がる。

 そんな博美の姿を、僕は部屋を一望できる本棚の中から眺めることになった……。


『おいおい、パンツが丸見えになってるぞ』


 天井を見上げる博美は両手を後頭部に回して、空虚な目でぼんやりしている。

 立てた左膝の上に、跳ね上げた右のくるぶしを乗せた格好は、だらしないというか無防備というか……。

 だけど博美は、部屋に一人のつもりなんだろうから大きなお世話か。

 博美の部屋着は、水色の薄手のキャミソールにショートパンツ。だけどフリフリの裾が捲れ上がって、こっちからだと真っ白なコットン製のパンツが丸見えだ……。


『ん、パンツ? うーん、やっぱり博美はパンツって感じなんだよな……』


 色気が足りない博美だと、パンティというよりパンツという感じ。あんまり感情はたかぶらないけど、だからと言って見て損をするものでもない。

 僕が見放題のパンツを注視していると、部屋の外から声が掛かった。


「博美、ご飯できたわよー」

「んー、今行くー」


 せっかく、いい感じに見えてたのに……。

 夕食のために部屋を出て行く博美。照明が消されると、部屋は闇に包まれた。

 この分だと、博美はしばらく部屋に戻ってきそうもない。だったら僕は、この隙にひと眠りした方が良さそうだ。

 なにしろ僕には、今日中にやっておかなきゃならないことがある。


『寝ている間に、隣の第3巻に乗り移っていますように……』


 昼間の教室で、博美が谷川さんにマンガの次巻を貸す約束をしていた。

 だから第3巻に乗り移っておけば、博美は谷川さんに僕を貸し出すはず。

 僕は乗り移りの成功を祈りつつ、軽く眠りに就いた……。

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