第20話 にせもの

 ――ピン……ポーン。


 チャイムを鳴らすと、母が玄関のドアを開いた。

 挨拶もそこそこに半ば強引に家に上がり込むと、一直線に自分の部屋へと向かう。間取りは熟知しているから余裕だ。

 けれども階段を上ろうとすると、母が僕を引き留めた。


「ちょっと、あなたどちら様?」

「お母……じゃない、こんばんは、おばさん。あたしは和……じゃない、博美です、大崎博美。和博の友達です」

「こんな時間に、いったいどうしたの?」

「ちょっと、居てもたってもいられなくなっちゃって、時間が惜しかったもので」


 感情の趣くままに行動したけど、よくよく考えたら充分すぎるほど不法侵入。

 思慮が浅かったと僕が後悔していると、母は予想外に歓迎の言葉をくれた。


「あの子ったら、もう二日も部屋に閉じ籠もりっきりで、私もどうしていいか……。お友達なら、和博を説得してもらえませんか?」

「ええ、そのために来たんですから」


 いつも陽気な母が、こんなに弱気な顔を見せるなんて尋常じゃない。

 僕の前で見せないだけで、陰では思い悩んでるのかもしれないけど……。

 母には外してもらって一人になると、自分の部屋の前に立って気合を入れた。


「博美! なんで電話に出てくれなかったんだ?」

「…………」


 留守じゃないかっていうほどの無反応。ドアに耳をつけても何も聞こえない。

 でも、ドアノブは回らない。鍵がかかっているってことは居るらしい。

 手応えを感じられないまま、僕は一方的に部屋の中に向けて声を掛ける。


「うるさくないなんて、お前は偽物だな? やーい、ニセ博美」


 部屋の中からガタリと物音が聞こえた。

 その直後、足音がしたかと思ったら、ドアのすぐ向こう側に人の気配。

 ドアに張り付いているかのような至近距離で、博美の声が返ってきた。


「まさか!? 覚えててくれたの……?」

「ごめん、実は日記読んじゃったんだ」

「ちょ、ちょっと、信じらんない! 何てことしてくれんの、バカ和博!」


 やっぱり物凄い剣幕で博美に怒られた。

 でも塞ぎ込んでいる博美よりはずっとマシ。いつもの博美が帰ってきたみたいで、僕は少しホッとする。

 そんな博美は、すぐに声のトーンを落として静かに語り出した。


「それならバレちゃったんだね、あたしの気持ち……。ごめんね、和博が谷川さんに本気なのがわかったから、もう伝えるのはやめようって思ってたのに……」

「なんで謝るんだよ。確かに美和に惹かれたのは認めるけど、博美のことも昔っから大切に思ってるんだぞ」

「嘘だ。いっつもあたしのこと、迷惑そうにしてたじゃない」

「嘘じゃないって。信じられないなら、机の引き出しの一番下の段を漁ってみろよ」


 ドアから足音が遠ざかって、ゴソゴソと物音が聞こえてくる。

 きっと僕の言った通りに、机の引き出しを漁っているんだろう。

 そしてすぐに、つぶやくような声が少し遠くから聞こえてきた……。


「こ、これって……」


 引き出しには遠い昔に、博美からもらったキーホルダーが入っている。

 旅行のお土産だと言って手渡された、博美とペアのキーホルダー。

 当時の僕は博美が好きだったけど、付ける勇気が湧かなくてしまい込んでいた。


「わかってくれたなら、このドアを開けてくれないか?」


 ドアノブからカチャリと解錠の音が鳴る。

 そして一瞬の間の後に、静かにドアが開いた。

 久々の僕の体との再会。そんな目の前の僕は、体の正面に一冊の本を抱えていた。


「あ、あ、あ、それは、見つかったらダメなやつぅぅううう」


 僕は失念していた、一番下の引き出しには秘蔵のエロ本も隠していたことを……。

 頭を抱える僕を見て、クスクスと笑い出す博美。

 僕が顔を上げると、博美は笑顔と共にキーホルダーをぶら下げて見せた。


「これ、大事に取っててくれたんだね、ありがと。和博」


 目の前にいるのは満足そうな表情の僕の顔。教室でため息をついていた暗い影は、もうどこにもない。

 博美にいつもの明るさが戻ると、今度は僕を指差して突然怒り出す。


「っていうか、和博! なんて格好でここまで来たのよ、スケスケじゃない!」


 その言葉に僕が自分の姿を確認すると、確かにとんでもない格好だった。

 なにしろ、着ていたのは生地の薄いネグリジェ風の部屋着だけ。ノーブラで乳首は透けているし、細かい花柄模様のパンツも丸わかりの痴女風味。

 ああ……僕はこの格好で、チャリンコをかっ飛ばしてきたのか……。

 スーッと息を吸い込みながら、頭の高さまで持ち上がる博美の手。

 僕は固く目を瞑って、張り倒されてもいいように歯を食いしばる。


「…………はぁ…………」


 僕は身構えていたけど、聞こえてきたのは博美のため息。

 これは許されたのかと思ったら、時間差をつけて左頬が軽くつねり上げられた。


「痛てててて……」

「はぁ……さすがに、自分の顔を張り倒す気は起きないわ」

「ひどいな、僕の顔だったら張り倒してたのかよ」

「でも、あたしのこと心配して、駆けつけてくれたんだよね。ありがとう、和博」


 いつもならしばらく口を利いてくれなくなるのに、今の表情は穏やかな上に感謝の言葉までもらえて僕は驚く。

 やっと訪れた和やかな雰囲気。僕は博美に、ここへ来た本当の目的を告げた。


「さぁ、キスをして元の体に戻ろうか、博美」

「えっ、キスで戻れるの?」

「うん、たぶん今度は大丈夫だ」


 あのときのキスは、僕に戻る気がなかったから入れ替わらなかった。

 だけど今は違う。僕は自分の体に戻ることで、博美を救いたい。

 けれどもその博美の表情は、急速に曇り始めた……。


「で、でも……元に戻ったら、和博は嫌われ者なんだよ?」

「お前が嫌わずにいてくれれば、それだけで大丈夫だよ」


 僕の言葉で表情をパーっと明るくした博美。

 この後は優しく博美を抱き寄せて、僕がキスのリードを……したいところだけど、今の僕は博美の体。僕の方からじゃ博美の唇に届かない。

 すると察した博美が、僕の髪の毛を撫でながら首に手を回す。

 そして微笑みながら、グッと力強く僕の体を抱き寄せた。


 ――優しくしてね……。


 思わずそんな言葉を漏らしてしまいそうな、博美のイケメンっぷり。顔は僕なのに格好良く見えるなんて……なんだか悔しい。

 博美がゆっくりと唇を寄せる。

 少し上を向いた僕は、目を閉じてそれを受け入れる。

 唇に柔らかいモノが触れた瞬間、僕は博美の背中に腕を回す側へと入れ替わった。


 そのまま舌を絡ませて、その感触を確かめ合う二人。

 僕と博美の体の入れ替わりは終止符を打って、ようやく僕らに日常が訪れた……。

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