第21話 日常始めました。
ようやく取り戻した……というか、戻ってしまった自分の体。
昨夜の出来事は、当事者の二人にとっては大事件。だけど他者には、しゃべり方が変わった? 程度の些細な出来事。
そんな翌日でも、学生の僕たちには平日なら学校がある。
一日を……いや、半日を終えた僕は、博美と並んで一緒に下校する。
「久しぶりだね、こうして和博と一緒に学校から帰るの」
「終業式も終わっちゃったから、一緒に帰ることは当分ないけどな」
「どうしていっつも、和博はそういう意地悪なこと言うわけー?」
昨夜のキスのお陰か、体だけじゃなくて険悪だった二人の仲も元通り。
冗談交じりの口喧嘩を挟みながら、他愛のない会話で盛り上がる。
だけどやっと取り戻した和やかさを、けたたましい自転車のベルがぶち壊した。
「久山君! あなた、いったいどういうつもりなの?」
強い口調で威圧しつつ、僕に自転車をぶつける勢いで二人の間に割って入る美和。そのまま美和は、博美のいる側へと自転車を降りた。
自転車で壁を作るように、美和は自分と博美の空間から僕を排除する。
さらに美和は仲の良さを見せつけようとしたのか、博美に自分の腕を絡めながら、僕を睨みつけて冷たく言い放った。
「博美、こんな人は放っておいて、一緒に帰りましょう」
けれど博美はその腕をスルリと引き抜くと、体をよじって美和の腕を払い除けた。
その博美の反応に、美和は驚きの表情を浮かべる。
「ちょっと、博美……。どうしちゃったの?」
「博美? 谷川さんこそどうしたの? ちょっと馴れ馴れしすぎるんじゃない?」
あまりにも昨日までと違う博美に、美和が慌てふためいているのが見て取れる。
だけどそれは当然。中身は昨日とは別人なのだから……。
一気に顔色を悪くした美和は、何かの間違いだと思い込みたがっているよう。
そこまでキッパリと拒絶されたにもかかわらず、諦め切れなさそうな美和は改めて博美の手を取ろうとする。
けれどやっぱりその手は、無情にも博美に振り払われた。
「……ごめんなさい、失礼するわ」
捨て台詞のような言葉を残して、美和は自転車に跨って走り去った。
それを見届けた博美は、美和に向かって追い打ちをかけるように言い放つ。
「なによあの女、和博の心だけじゃなくて、あたしの体まで奪おうとするなんて」
その怒りの矛先はそのまま僕へ。
博美はすぐに振り返ると、僕にきつい視線を突き刺した。
「和博ぉ、全部あんたのせいだからね。なに、あたしのこと博美とか呼ばせてんの。どうせベタベタされて、調子に乗って鼻の下伸ばしてたんでしょ!」
「そ、そんなことないって。ほら、僕は二人の関係とか良くわからなかったから、元々そんな感じだったのかなぁって――」
「メッセージだって送ったじゃない! あの子には気をつけろって。それなのに……あんたったら、よくもブロックしてくれたわね!」
てっきり、体が入れ替わっていた最中の出来事はもう許されたと思っていたけど、全然そんなことはなかった。
でも、この方がいつもの博美らしい。怒られながらも、僕は安堵感に包まれる。
「和博ぉ、覚悟しなさいよねー」
目の前で、僕を見上げながら迫る博美。そんな博美は右手を振り上げた。
二、三発殴られても仕方ないな……覚悟するか……。
だけど、振り下ろした博美の右腕は僕の左肘を絡め取って、そのままギュッと抱きかかえて隣に並び立つ。
通学路のど真ん中で、恋人同士のように腕を組む二人。
さらに博美は、以前僕の家の前で美和が見せつけた時のように、これでもかと胸を押し付けてきた。でも残念、あのおっぱいの弾力はそこにはなかった……。
「どうしたんだよ、腕なんて組んで」
「ふん、あの女が和博にしたことを、全部やらないと気が済まなーい!」
博美は美和に対抗心を燃やしているらしい。負けず嫌いの博美らしい。
それなら、僕も博美に協力してやらないとな……。
「……じゃぁ、今から一緒にお風呂に入って、洗いっこしようか……」
博美の耳元で僕はコッソリ囁くと、ついでに耳の裏側をペロリと舐め上げる。
みるみるうちに、顔を真っ赤に染め上げていく博美。
えーっと、他に美和にされたことは、どんなことがあったっけ……。
――パーン!
調子に乗った僕の頬に、激しい平手打ちの痛烈な制裁。
続けて博美は、僕の膝の後ろ側にローキックを食らわせた。膝がカクンと折れて、たまらずひざまずく僕。
そこへ今度は追い打ちをかけるように、博美が頭上から罵声を浴びせてくる。
「変態、スケベ、痴漢、和博なんて死んじゃえ、バカぁ!」
言葉だけじゃ飽き足らず、正面から僕の顔を踏みつける博美。グリグリと足の裏を顔にめり込ませながらも、律儀に靴を脱いでいるところが博美らしい。
そしてそれを、いつも通り甘んじて受け入れる僕。別に僕はマゾなわけじゃない、目の前で博美のスカートの中身が丸見えになっているからだ。
でもこんなことは日常茶飯事だから、博美はいつも中に短パンを履き込んでいる。それでもスカートの中が見えるのは興奮するから、僕はつい……って、おい!
――フリルの付いた、光沢のあるパンティ!
しかも……布面積も少なくて、腰のところを結わえて留める紐パン。
今日の博美はパンツじゃない、パンティだ。
こんな僕好みで色気のあるパンティは、博美の部屋にはなかったはずなのに……。
「最高だよ……博美……」
僕の熱い眼差しに気付いた博美は、慌ててスカートの前を押さえて隠した。
博美は耳まで真っ赤にして恥じらいながら、今度は握り拳を作って僕の頭を何度も殴りつけてくる。だけどそれは、ポカポカという擬音が相応しい叩き方だった。
結局、本当に痛かったのは、最初の平手打ちだけ。
痛くも痒くもない博美の拳を僕が頭で受けていると、クラスメイトたちがその横を通り過ぎていく。
「なんだ~、夫婦喧嘩復活ぞな?」
「博美ちん、仲直りしたのー?」
僕と博美のけんかを眺めつつ、みんながいつものように口々に冷やかしていく。
この分なら、僕に向けられていた悪い噂が消えていくのも時間の問題だろう。
やっと僕と博美は、いつも通りの日常を取り戻した。
キスを交わしたせいで、博美が勘違いをしていそうなのが気がかりだけど……。
帰宅途中にある公園のベンチに腰掛けて、コンビニで買ったお菓子を頬張りつつ、僕と博美は長々と雑談に花を咲かせる。
やがて話題は、明日から……いや、もう始まった夏休みのことへと移った。
「ねぇ、和博。夏休み、どこ行きたい?」
「どこにも行きたくない。クーラーの効いた部屋で毎日ダラダラ過ごすよ、僕は」
「まったく、和博は……。そうだ、海行こうよ、海!」
勝手に僕の夏休みを仕切りだす博美。インドア派……というより、引き籠り気味の僕としては、どうしてそこまで浮かれられるのかわからない。
僕は博美の誘いを正直に拒絶した。
「えー、やだよ。暑いし疲れるし、僕は泳げないし」
「むぅ……。じゃあ、一緒に海に行ってくれるなら、あたしがマイクロビキニを着て和博のこと悩殺してあげるって言ったらどう?」
そう言って、挙げた両手を頭の後ろで組んで、体をSの字にくねらせながら媚びるような目つきで僕を見る博美。
――昭和か!
本人はセクシーポーズのつもりかもしれないけど、いまどきそんなやついないぞ?
それに、美和だったらホイホイ誘いに乗ったけど、博美じゃなぁ……。
博美にはマイクロビキニなんて似合わない、着せるなら断然競泳用水着だ。
水に濡れたテカテカの競泳用水着が、ピッチリと張り付くお尻。スラリと伸びる、筋肉質の脚線美。そんな自分の魅力にまだ気付いてないのか、博美は……。
賑やかな鳥の声を聞きながら、頭の中でそんな姿を妄想していると、勘違いをした博美がノリノリで計画を勝手に推し進める。
「もう和博ったら、そんなにいやらしい顔しちゃって……。やっぱり見たいんだね、だったらあたし頑張る。ちょっと恥ずかしいけど、際どい水着探しておくね」
「いや、やめとこうよ、海は。そうそう、日焼けはお肌によくないぞ?」
「んー、じゃぁ山は? 山ならどう?」
どうして博美はこんなにバイタリティに溢れているのか。
それにしても、海がダメなら山なんて安直すぎる。
僕は最初から、家の中が一番だって言ってるのに……。
「山の方が疲れるじゃないか。やだよ、山も」
「よくあるじゃない。山で遭難した二人がたまたま見つけた山小屋で、びしょ濡れの体を裸になって温め合うの……って、いやらしいわね和博は!」
博美はちょっとした病気かもしれない……。
勝手に盛り上がって、勝手に僕の背中を引っぱたく博美。時々手に負えなくなる。聞こえている鳥のさえずりも、博美の妄想を笑っているみたいだ。
そんな博美に、バカバカしいとは思いつつ冷静にツッコミを入れる。
「そんなに都合よく山小屋があるわけないだろ。そもそも僕は山に行かないんだからそんな状況にはならないよ」
「ちぇっ、夢がないよね、和博って」
「山小屋で裸で抱き合うのが、博美の夢なのかよ!」
「そ、そんなわけないでしょ! 和博がやってみたいかな? って思っただけよ」
バカ話で盛り上がる博美と僕。
この、いつも通りの日常を取り戻したら、昨日までの出来事が全部夢だったんじゃないかとさえ思えてくる……。
「ねぇ、和博。キスしよっか」
「えっ? 突然何を言い出すんだよ」
「だってほら……その、確かめておいた方がいいかと思って……」
博美の言うことにも一理ある。
昨夜は、キスで体が戻ったことに満足して、博美はそのまま帰っていった。だからもう一度キスをしたら、また入れ替わる可能性は残されている。
だったら、確認の相手は博美がうってつけ。博美なら事情を知っているから、もし入れ替わったとしても、またキスをすれば済む話だ。
僕はベンチの隣に座る博美の肩に手を乗せて、ゆっくりと顔を近寄せていく。
軽く上を向いて、目を瞑ったまま唇を震わせる博美。
僕はその少しだけ突き出した博美の唇に、そっと自分の唇を重ね合わせた。
「んぅっ……」
唇が触れた瞬間、博美が吐息を漏らす。
そして口が開いたと思ったら、すぐに博美の舌が僕の口の中に滑り込んで来た。
体は入れ替わってない、大丈夫だ……。
――僕の憑依生活は完全に終わった。
思い返せば良い思いをしまくった憑依生活、終わってしまうのはちょっと寂しい。
でもこれからは正真正銘【久山和博】として、この先の人生を僕は生きていく……って、おい、まだキスを止める気はないのか?
「……んぁっ……んはぁぅ……和博……んちゅっ……」
体が入れ替わらないことは確認できたはずなのに、キスを止めない博美。
むしろさらに積極的に、僕の舌に自分の舌を絡めてくる。
なんだこれ、頭がボーっとして、なんだか気持ち良くなってきた……。
「ん?」
「……んはぁっ……どうしたの、和博……」
そんな僕の肩に、何かが触れた。
僕はキスを中断して、正体を確かめるために横を向く。
『この真っ白な文鳥、どこかで……』
僕の肩に留まっていたのは、どこからか飛んできた文鳥だった。
なんだか見覚えがあるその文鳥を、観察するためにジッと目を凝らす僕。
そんな顔を寄せた僕の唇を、文鳥がその紅色のくちばしで突つく。
――その瞬間、僕の身体は文鳥へと姿を変えていた……。
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