第19話 はじめてのにっき

 帰宅して部屋着に着替えた僕は、博美の部屋に籠って美和の気持ちを考えてみる。どうして和博の悪評を流すような行動を取ったんだろうと。

 そういえば博美が入院してた時、美和が手紙を書いてたっけ……。

 僕は少女マンガの第3巻を手に取ると、挟んだままにしていた手紙を取り出した。


『これは、博美に宛てられたものだけど……。ごめん、許してくれ!』


 何かの手狩りになるかもと、僕は罪悪感に囚われながらも手紙を開く。


――大崎博美さま。

 以前告白したときには『女の子同士だから』ってお断りされたけど、やっぱり私は大崎さんのことが大好きで諦めきれません。

 私にできることはなんだってするから……お願い、眠りから覚めて?

 そしてもう一度だけでいいから、私とのお付き合いを考え直してください。

 お願いします――。


『そっかぁ……あれは、二度目の告白だったのかぁ……』


 僕が私欲のために受け入れた美和からの告白。

 これほどの覚悟で臨んでいたのなら、天にも昇るほど嬉しかったに違いない。

 キス現場を目撃したこともあって、和博に取られまいと必死だったんだろう……。


『その気持ちは理解できるな。やりすぎだとは思うけど……』


 美和の行動が博美を深く傷つけたのは確かだけど、僕と博美の中身が入れ替わっていることを知らない美和も、ある意味被害者。

 それに僕が安易に交際を受け入れたのも一因だし、美和を責める気にはなれない。


『それよりも、心配なのは博美の方か……』


 今一番心配なのは博美だ。孤立した責任を感じて、自分を追い込んでいる。

 陰口を叩かれることなんて僕は慣れっこだから、今さら和博の体が嫌われても気にならないのに……。

 気になった僕は、和博の携帯にメッセージを送ってみた。

 けれど、いつもなら五分も待てばくるはずの返信がちっとも来ない。電話をかけてみたけどそれも出なかった。


『博美……大丈夫かな?』


 僕は後頭部で両手を組みながら、机に足を乗せて椅子をゆさゆさと後ろに傾ける。考え事をするときのお決まりのポーズだけど、これで名案が浮かんだことはない。

 いくら待ってもメッセージの返信は来ないし、何度かけても電話も出ない。

 僕は博美を心配しつつ、なにげなく目に留まった赤い背表紙の厚い本を手に取る。それは博美の日記だった。


『うーん……さすがに、これはまずいよな…………』


 人道に反するのはわかりきってるけれど、今は博美を励ます手がかりが欲しい。

 僕は心の中で博美に謝りながら、日記帳を開いてみた。

 最初に読むのは、やっぱり最後のページから……。


 ――今日も和博は学校に来ない。未だに意識が戻らないらしい。

 こうなったら全部あたしのせいでもいい。身代わりにあたしが眠っても構わない。だから神様、和博を目覚めさせてください。お願いします。

 あっ、あたしが身代わりに眠っちゃったら、目覚めた和博を見られないか……。

 だけどやっぱり、あたしが和博のことを目覚めさせてあげたい。

 そうだ! 明日、担任から聞き出した病院に行ってみよう。和博のお見舞いに。

 いっぱいいっぱい呼びかけてみる。だから目を覚ましてね、きっとだよ――。


『この日の僕は少女マンガで、風呂上がりの博美のおっぱいを目撃したっけな……。翌日マンガの僕を教室の美和の机に押し込んで、放課後に見舞いに行ったのか……』


 どうしても頭に浮かんでしまう、博美のおっぱい。

 だけど、僕への心配をつぶやきながら、泣いていた声も忘れられない。

 入院中の僕にキスしたことを照れていたけど、こんなに僕を思ってくれてたとは。

 神妙な気持ちになった僕は、何ページか日記をさかのぼってみた……。


 ――今日、和博が学校を休んだ。

 先生に話を聞きに行くと、意識が戻らなくて入院したらしい。

 谷川さんの部屋に入った時には和博はもう寝転んでたから、あたしのせいじゃないと思いたいけどやっぱり心配。

 踏んづけちゃったり、頬っぺた引っ張ったりしたせいじゃないよね……?

 どうしよう、あたしのせいだったら……。

 和博が元気になったらちゃんと言おう、あたしの気持ち。

 ずっと言えなかったけど、和博がこんなことになってやっと決心がついた。

 伝えられるときに伝えておかないと、伝えられずに終わっちゃうから……。

 届け、あたしの気持ち!

 叶え、あたしの恋! ――。


『そっか、そんな気もしてたけど、博美は僕のことを好きでいてくれたのか……』


 どう見ても博美に責任はないのに、あんなに思い詰めていたからそんな気はした。

 それに僕がこうなる前から、博美はうんざりするほど絡んできたっけ……。

 あれも照れ隠しや、感情の裏返しだったと思えば納得できる。

 僕は続けて、日記のページをめくった……。


 ――また谷川さんに一緒に勉強しようって誘われた。何度も断ってるのに。

 だけどあの子ったら、和博のことを誘うなんて……。

 しかもあいつも、ホイホイと誘いに乗っちゃうなんて……。

 間違いは起こらないと思うけど、あの子の部屋で和博と二人きりなんて許せない!

 きっとこれは、あたしの気持ちに気づいた谷川さんの挑発だ。絶対そうだ。

 こうなったら行ってやる。そして宣言しちゃう。あたしは和博が好きだ! って。

 でも、その場でフラれたらどうしよう……。

 ダメだ、自信がなくなってきた……――。


『あの頃に戻って、目を覚ませと僕自身に言ってやりたい……』


 みんなの憧れの美和が、僕なんかに声を掛けてきた時点で疑うべきだった。

 いや、もちろん疑いはした。だけど、なんでもかんでも自分に都合良く解釈して、勝手に浮かれてたあの時の僕。

 挙句の果てに、美和は僕に気があると思い込んでしまったなんて……。

 当時を思い返した僕は、自己嫌悪に陥りながらさらに日記をさかのぼる……。


 ――今日から二年生。クラス替え。

 ラッキーなことに、今年も和博と同じクラスになれた。

 新学年も良いことがありそうな最高の滑り出しだよ、神様ありがとう!

 そういえば、また谷川さんから告白された。これでもう三度目だよ。

 『好きな人がいる』って言っても、『同性は無理』って言ってもおかまいなし。

 好きでいてくれるのは構わないけれど、谷川さんの愛情には応えてあげられない。なんだか申し訳ない気分。

 この先、面倒なことにならなきゃいいな……。

 一年間、無事に過ごせますように。そして和博との仲が進展しますように――。


『そんなに前から、博美は美和から告白されてたのか。しかも3回も……。だから、美和に気をつけろなんてメッセージを送ってきたんだな、博美は……』


 これが日記帳の最初のページ。進級のタイミングで書き始めたらしい。

 そしてこの書き出しなら、きっともっと前から日記をつけているはず。

 悪いこととはわかっていながらも、こんな僕を好きになった理由がどうしても気になった僕は、手掛かりを得るために博美の過去の日記帳を探すことにした……。


「あった……これか……」


 それは、押入れの一番奥に丁寧にしまわれていた。

 何冊もある日記帳の一番古い表紙は小学五年生の年。

 僕はその最初の一ページ目をそっと開いてみる。

 すると……僕が探し求める答えはそこにあった。


 ――今日から日記をつけようと思います。

 今日はとってもうれしいことがあったからです。

 さいきんあたしはクラスのみんなから仲間はずれにされています。あたしと話すとばいきんがうつるらしいです。

 だからもう何日もクラスの人とお話をしていませんでした。

 でも今日となりのクラスのひさやまくんが話しかけてくれたんです「うるさくないなんておまえはにせものだな? やーい、にせ博美」って。

 だからあたしは言いました「あたしと話してるとひさやまくんが仲間はずれにされちゃうよ」って。そしたらひさやまくんが「ぼくはおまえと話してる方が楽しいから仲間はずれでもいいよ」って言ってくれました。

 ちょっとかっこよかったです――。


『そんなこと言ったっけか? 言ったような、言ってないような……』


 小学五年生の博美の字は、今より癖がなくて子供っぽいけど読みやすかった。

 さすがにこれ以上日記を読むのは申し訳ない。充分すぎるほど読んだけど……。

 僕は日記帳を閉じて、大きく息を吐く……。

 机の傍らには、積み上がった7冊の日記帳。その表紙は可愛らしい花柄だったり、キャラクターものだったり、大人びた雰囲気だったりと、統一感の欠片もない。

 でもそれは、当時の博美が気に入ったデザインだったんだろうと思うと、なんだか胸の奥がキューっと締め付けられた。

 僕は携帯電話を取り出して、時刻を確認する。


「11時か……。ギリギリ、アリかな?」


 次の瞬間、僕は着の身着のままで部屋を飛び出していた……。

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