第30話 私の日常
天気予報なんて確認しなかったけど、無事に快晴に恵まれた翌日。
久しぶりに会える博美が待ち遠しくて、待ち合わせ場所に着いたのは三十分も前。それでも十五分ほどで、向こうから手を振りながら笑顔の博美が現れた。
「晴れてよかったねー、谷川さん」
「え、ええ。久しぶりね、大崎さん……」
ダメだ……不安と緊張と嬉しさが混ざり合って、私は顔を上げられない。
大丈夫よね? 嵐の前の静けさじゃないわよね……?
博美は普通に接してくれているのに、裏があるんじゃないかと勘繰ってしまう私。あんなに険悪だった博美と、またこうして会話を交わせるなんて夢みたいだから。
そんなうつむく私に、博美は気さくに話しかけてくる。
「谷川さんも被害者だったんだねぇ。お互い、和博には苦労させられますなぁ」
「え?」
「聞いたよー、和博から。あいつったら、あたしの体に乗り移ったのをいいことに、招いてくれた谷川さんを押し倒したんだって?」
博美が何を言っているのか、私にはさっぱりわからない。
だけどここで下手なことを言うとこじれそうなので、私は適当に相槌を打っておくことにした。
「えーっと……うん、まぁ……」
「谷川さんの部屋でエッチぃことしようとしたら拒まれたって、和博が反省してた。あの時谷川さんの家に踏み込んだ和博の中身って、実はあたしだったんだよねー」
「え、ええ、そうだったみたいね。和……久山君に話は聞いたわ」
「ごめんなさい、ほんっとにごめんなさい。あたしったらそんな状況とは知らずに、二人でいやらしいことをしてたんじゃないかって疑って。しかも、ひどい目に遭った谷川さんに、追い打ちまでかけて……」
「そ、そんな……」
「だから、ごめんなさい!」
ここまで聞いて、私は全てを察した。和博が嘘をついて罪を被ってくれたんだと。
それだけじゃなくて、私が和博の悪評を流したことも、博美に迫った和博の中身が私だったことも、たぶん和博は黙ってくれている。
通話履歴を見て、和博が遊園地をセッティングしてくれたのは見当がついていた。だけど、あんなに最悪の状況だった私たちの関係まで修復してくれるなんて……。
和博のことは見直したつもりだったけど、まだまだ過小評価なのかもしれない。
「そんなに謝らないでよ。私だって、その……」
「許してくれるの!? いい子だぁ、誤解しててごめんね、谷川さん」
博美が私をギュッと抱き締める。
心の底から感謝している雰囲気の博美に、私は逆に罪悪感で胸が締め付けられる。
だけど、頭一つ低い博美の髪から良い匂いが漂ってくると、私は我慢ができなくて抱き締め返してしまった。
「許すも何も、大崎さんを悪く思ったことなんて一度もないよ、私は」
「おー、君は天使だぁ。和博にひどい目に遭わされた同士、仲良くしようね!」
ハグは解かれてしまったものの、隣に並んで手を繋いでくれている博美。
どうしよう……手のひらから伝わってくる博美の温もりのせいで、私は胸の鼓動が全然鎮まらないよ……。
手汗をかいてないか心配だけど、この手は放せない、放したくない!
「あたしってさぁ、谷川さんからの告白も、きっと誤解してたんだよね」
「え? どういうこと?」
「あたしに告白する女の子って、みんなあたしにエッチぃことを求めてるんだよね。だから谷川さんからの告白も断ったんだけど、それならあたしの姿の和博を拒むはずないもんね。ってことは、親友になりたい的な意味だったのかなーって」
言えない。絶対に言えない。本当は熱いキスをしたり、お風呂で洗いっこしたり、もっとエッチなこともしたいだなんて……。
今は和博に作ってもらった仲直りのチャンス。私は煩悩を心の奥にしまい込んで、博美の言葉に微笑みながら相槌を打つ。
「そ、そうね。そんな感じ……かな?」
「実は、勉強会のときもちょっと疑ってたんだ。和博をダシに使って、あたしを誘い込もうとしたんじゃないかってね」
「ははは……」
ごめんなさい、図星です。
見事に言い当てられて、私は乾いた笑いしか出てこない。
幼馴染の和博を交えれば、きっと博美も来てくれると思ったから。最初は3人での付き合いから始めて、ゆくゆくは博美と深い仲に……。
あの勉強会は、そう考えた私の策略だった。なのに博美ったら……。
「あれもきっと和博を呼んで、あたしを安心させてくれようとしたんでしょ?」
「あはは……そ、そんなところ……かな?」
「やっぱり……。誤解しててごめん。そういうお付き合いだったら喜んでしちゃう。谷川さん、これからはいっぱい仲良くしてね」
この調子だったら、お弁当に睡眠薬を盛って博美の唇を奪おうとしたことだって、早とちりしただけだと思ってくれてそう……。
博美はやっぱり、穢れた私とは天と地ほどに差があるいい子です。まさかそんな、天使みたいな博美とお付き合いできるなんて……。神様ありがとう。
だけどそれは、親友としての話。
肉体的な関係にはなれないと、確定してしまった瞬間でもあった……。
そろそろ待ち合わせの時刻。だけど和博はまだこない。
和博が頭に浮かんだ拍子に、私は気になっていたことを思い出した。
「そう言えば、どうして久山君を私から誘うように頼んだの?」
「うーん……。口止めされてたけど、しゃべっちゃうかー。和博は体が戻った後に、谷川さんにしゃべったんだよね? 実はあたしの体に乗り移ってたこと」
「う、うん」
「あたしに成りすまして襲ったことを謝りたいけど、谷川さんが口も利いてくれないって和博に泣きつかれてさ。仲直りのお膳立てを頼まれちゃったのよ」
「それって……」
「そう、それがこの遊園地ってわけ。内緒にしておいて欲しいって言われてたから、昨日は待ち合わせだけ伝えて切っちゃったんだけどね」
なるほど、そういう筋書きだったんだね……。
ここまでしてもらったら、私は和博に頭が上がらない。そこまで私のために悪者にならなくてもいいのに……。
そこへ、ようやく和博がやってきた。
まるで話が落ち着くのを、どこかで隠れて見ていたかのように。
「やっと来たよ、バカ和博。この遅刻魔!」
「ごめん、ごめん、ちょっと二度寝しちゃって」
「ほんとかなぁ、なんだか信じられない。だってこいつ、今回の件だって嘘ばっかりだったからさ」
「嘘? でも――」
確かに和博の話は嘘ばっかり。でもそれは、博美が信じてる言葉の方が嘘。
このまま和博を悪者にしておいていいの……? 私は心の中で自分に問い掛ける。
いや、良いわけがない! やっぱり打ち明けようと私が口を開き掛けると、博美の後ろでコッソリと和博が唇の前に人差し指を立てた。
そんな二人のやり取りに気付かず、博美はちょっとノロケたように話し出す。
「だって、聞いてよ。あたしと入れ替わってる間に二人で何をしたかって聞いたら、一緒にお風呂に入ったとか、おっぱいを触らせてもらったとか言っちゃってさ」
「僕は同じことをしてくれるっていうから、つい……」
「危なく騙されるところだったよ。この嘘つき和博!」
「話を盛ったことは謝ったじゃないか」
「盛り過ぎなんだよ、このバカ和博!」
ごめん、博美。それ全部、本当のことなの……。
それでも和博は、このまま嘘をつき通すつもりらしい。なので私は心の中で感謝をしながら、博美と和博の痴話げんかを微笑みながら見守っていた。
すると私の肩で、どこからともなく飛んできた文鳥が羽を休める。
「あ、ヒロミ」
「ん? 呼んだ?」
「いえ、そうじゃないの。私が飼ってたこの子の名前」
真っ白い文鳥なんて珍しくない。でもこの子は昨日家から逃げ出したヒロミだと、なんとなくわかった。
「なーに、あたしの名前を勝手につけてんのよー」
「ごめんなさい。でも大崎さんの博美って名前、とってもいい響きで好きなの」
「もう、美和はほんとに口が上手いんだから」
「あ、大崎さん。今、美和って……」
「いいでしょ? 美和はもう、あたしの彼女なんだから。なーんてね、あはっ」
「あ、あ、じゃぁ、私も大崎さんのこと『博美』って呼んでもいいかしら?」
「もっちろーん。これからもよろしくね、美和」
「ありがとう、博美」
私がヒロミをジッと見つめると、ヒロミも首を傾げながら私を見つめ返してきた。
ヒロミに手を伸ばしかけたけれど、私は思い止まってその手をそっと引っ込める。そして静かに微笑んでみせると、ヒロミは大空へと羽ばたいていった。
ありがとう、ヒロミ。でも私のそばには、これからは博美がいるから……。
――だけど……今の博美は彼女じゃなくて、恋敵になっちゃったかも……。
(完)
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