第29話 私の和博

 あれから一週間。和博のアドバイス通り、私は何もしていない。

 それなのに……あぁ、それなのに……。


 ――博美から電話がかかってきた!!!!!


 メッセージじゃない音声通話。この、専用の着信音は間違いない。

 それに、発信元として【博美たん】の名前だって表示されている。


「ど、ど、ど、ど、どうしよう、和博。電話だよ、博美からだよ、私の電話にだよ、なんで、なんで、なんで、なんで」

『さすがにうろたえ過ぎでしょ。美和ってそんなキャラだっけ?』

「キャラなんて、いちいち作ってるわけじゃないからわかんないわよ。それよりも、私の携帯に博美から電話がかかってくるなんて、初めてのことなのよ?」

『早く出ないと切れちゃうよ?』


 突然すぎる博美からの電話に、心の準備なんて出来ていない私。こんなことなら、これから電話するってあらかじめ電話で知らせてくれればいいのに……。

 だけど和博の言う通り、このまま電話に出ないで切れてしまったら一生後悔する。きっともう二度と掛かってなんてこないから。

 大丈夫、今は自分の体。それを確認して、私は携帯の応答ボタンをタップする。


「は、はい、私です」

『私って誰よー』

「あ、谷川です。お、お電話ありがとう、大崎さん」


 平静を装ってみても、やっぱり声が上ずっている私。

 向こうからの電話なんだから黙って要件を切り出すのを待てばいいのに、ついつい何か話さなくちゃと余計なことを考えてしまう。

 そんな私の頭の中に、和博の言葉が響いた。


『僕にも聞かせてよ。内容が気になるからさ』


 舞い上がりすぎて、そんな気も回らなくなってた。

 私は大急ぎでスピーカーモードに切り替える。すると携帯電話のスピーカーから、少し甲高い元気な博美の声が聞こえてきた。


「明日なんだけど、谷川さんは暇だったりする?」

「え、ええ、明日ならちょうど空いてるけれど?」


 夏休みの予定なんて真っ白に決まってる。

 なにしろ、びっしり埋め尽くすはずだった相手の博美が、突然心変わりしたから。まぁ、あれは和博だったわけだけど……。

 それにしても私の予定を聞いてくるなんて、これはもう期待せずにはいられない。私は耳を澄まして、博美の次の言葉を聞き逃さないように集中した。


「あぁ、良かった。それなら明日、一緒に遊園地に行かない?」


 神様ありがとう!

 博美の言葉を聞いた瞬間、私は目に涙を溜めながら盛大に万歳をしていた。

 たった一週間、黙って待っただけなのに……。

 それなのに、ああ、それなのに……なぜか突然事態が好転し始めた。

 ひょっとして和博って、予知能力でもあるの……?

 だけど、万歳をしたまま目を移した先の鳥かごでは、いつも通りの和博。

 まぁ、文鳥の表情の違いなんてわかんないのだけれど……。


「…………さん。谷川さん、聞いてる?」


 天井に向かって掲げた携帯電話から、博美の声が聞こえてきた。

 しまった、まだ返事をしてなかった……。

 私はすぐに携帯電話を手元に戻すと、一つしかない選択肢を答える。


「もちろん行くわ。誘ってくれてありがとう、大崎さん」

「それでね、谷川さんにもう一つお願いがあるんだけど、いいかな?」

「ええ、もちろん。大崎さんのお願いだったら、何でも聞くわよ」

「ほんと? そしたら、和博も遊園地に誘って欲しいんだ、谷川さんの方から」

「ん?」


 私の頭に疑問符が浮かぶ。

 怪しくなってきた雲行き。私は確認のために博美に問いかける。


「えーっと、それは私と大崎さんと久山君の三人で遊園地に行くってことかしら?」

「うん、そうだけど……だめ、かな?」


 電話越しでも、恐縮している様子が伝わってくる。博美にここまで懇願されたら、私に断れるはずがない。

 さすがに、二人っきりで遊園地デートなんて、美味しい話はないわよね……。

 浮かれ過ぎていたと、私はちょっとだけ反省した。


「い、いえ、ダメなんかじゃないわよ。確認のために聞いてみただけ」

「良かった。谷川さんは和博の電話番号わかる?」

「あ、ええ、一応知ってるわ」

「それじゃぁ、待ち合わせは…………」


 待ち合わせ場所を書き留めながらも、私の頭の中はぐちゃぐちゃ。

 夏休みだから遊びに行くのは当然だし、遊園地だって無難な選択。でも、どうして三人で……?

 こんなの、どう考えても私が邪魔者になるはずじゃない……。

 それに、どうして先に私に声を掛けたの?

 和博を先に誘うのが自然じゃない?

 これって……ひょっとして修羅場?

 私のせいで、博美が和博に愛想を尽かしちゃった?

 いくら考えても答えは出ないし、電話の声もそれほど深刻には感じられない。

 私は思い切って、博美に尋ねてみることにした。


「どうして大崎さんは――」

「それじゃ、和博の方はお願いね。そうだ、ついでに和博にあたしに電話するように伝えておいてね。それじゃ」


 怒涛の勢いで言いたいことを捲し立てて、博美はそのまま電話を切ってしまった。

 気にはなるけど、改めて電話を掛けて問いただすのは大げさすぎる。

 私にとっては今以上に悪い状況になるわけでもないしと、携帯電話をベッドの上に放り投げた。


「ふぅ……。これって電話した方がいいのかしら? 和博に」

『掛けても僕は出られないよ。文鳥だから』

「三人で遊園地。これで、あなたを元に戻さないわけにいかなくなっちゃったわね。博美のお願いを叶えるためにも」

『うーん……僕はこのまま、美和に面倒を見てもらう生活でも悪くないけどな……。憧れの人に食事を用意してもらって、下の世話までしてもらえるんだからさ』

「あなたを介護してるつもりはないわよ!」


 必要性とは関係なく、私は和博の体を元に戻すつもりだった。だって、こうやって博美と話をする機会を与えてくれたんだもの。

 だけど私は和博に体を返す前に、やらなきゃいけないことが残っている。


「体を戻すのはもう少しだけ待って。博美に言われた通り、和博の方で電話しないといけないから……」


 博美に電話を掛けるために、私は和博の携帯電話を手に取った。そして電話帳から掛けるよりも通話履歴から掛けた方が早そうだと、画面を呼び出す。

 ん? なんだろう……この二つの通話履歴……。

 最新の履歴は、昨日私が買い物に行っている間のもの。

 そしてもう一つは、私が尿意に耐えながら博美を食い止めていた時のものだった。


「ふぅ……。気が変わったわ。電話は和博が自分でして?」

『別にいいけど……。それじゃぁ、自分で戻るから鳥かごの扉を開けてくれる?』

「ふふふ、何言ってんの。自分で開けられるくせに」

『なんだ、バレちゃったのか……。仕方ないな』


 文鳥の和博は鳥かごのかんぬきを、自分のくちばしで器用に開けた。

 そうやって自分の体に戻って、博美に電話を掛けて助けてくれたんだね……。

 それを確認した私は、鳥かごから身を乗り出した和博をひょいっと捕まえた。


『ちょっと、ちょっと、なにするんだよ。これじゃ戻れないじゃない』


 私の手から逃れようと、もがく文鳥の和博。

 私は文鳥の和博を顔の前に持ってくると、そのくちばしにそっと唇を近づける。


『美和、なにやってんだ? そんなことしたら……』


 当然入れ替わる私の体。私は文鳥になって、和博が体を乗り移した私の手の中からするりと逃げ出した。


「え? 美和、どうして……」


 困惑している様子の私の体。和博には私の考えがわからないらしい。

 天井の辺りからひと眺めした私は、ベッドに横たわる和博を目がけて急降下する。そしてそのまま和博の唇に、私はくちばしで口付けた。

 その瞬間、当然のように私の意識は和博の体へと乗り移る。


「なぁ、美和。一体何がしたいんだ? なんでこんなことを――」

「それはこうするためよ!」


 私は自分の体をベッドに押し倒して、和博の体で自分の唇を奪う。

 体が元に戻ったのはすぐにわかった。だけど私は和博の首に手を回して、そのまま強引に舌をねじ込んだ。

 しばらくの間、唇を重ね合う二人。微かな恍惚感を覚えて絡み合った舌が緩むと、どちらからともなく自然と離れていく。

 そして二人同時に吐息を漏らした後で、和博がぼんやりと感想を述べた。


「夢のようなひと時でした……」

「ふふふ、成功報酬は確かに支払ったわよ」

「えっ? そんな……これって成功報酬だったのか……」


 なんだ、自分で要望したのに忘れてたんだ……。

 だけどこのままじゃ、キスの余韻に浸っているみたいで間が持たない。

 私は照れ隠しにベッドから飛び降りて、ローテーブルの文鳥の羽根に手を伸ばす。


「必要になったら、またその体貸してね。この羽根さえあれば……って、あっ!」


 文鳥のヒロミはローテーブルの上に置いてあった羽根をくわえると、開けっ放しになっていた窓から外へと飛び立ってしまった……。

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