第28話 私のプライド
駅前のコーヒーショップに着いた私は、ガラス窓越しに店内を覗いてみた。
そこには和博が言った通り、店内でコーヒーを飲む博美の姿。
やっぱり私は、電話の内容を聞き漏らしていたみたい……。
「ごめんね、遅くなっちゃって」
「んーん、あたしこそごめん。すぐに来いなんて言いながら、無駄足させて」
「え?」
さっきの電話ではあんなに怒っていたのに、まるで別人のような博美の態度。
向かいの席に座ってしげしげと眺めても、ついさっき私と修羅場を演じた素振りは全く感じられない。
「それより、欲しい本は見つかった? って、手ぶらってことは無かったんだね」
しかも、会話の内容にもついていけない……。
これ以上和博を演じているとボロが出そうだと思った私は、深く頭を下げて昨日の件を謝ることにした。
「それよりも、ごめんなさい。昨日は途中で止めてしまって……」
「ちょっと、そんなに本気で謝らないでよ。それじゃまるで、あたしがして欲しくてたまらないみたいじゃんかー」
ちっとも気に留めてない様子の博美は、いつも通りの振る舞い。
あまりにも呆気なくて、私は拍子抜けした。
「えーっと、怒ってないの?」
「あたしの方こそ、谷川さんと張り合うような真似をしてごめんね。こんなに貧弱でお見苦しいものをお見せして申し訳ない! たはは……」
真っ赤な顔をして、逆に謝りだした博美。
昨日、私に積極的に迫ったことを後悔しているみたい。
だけど私の頭の中は、
「何言ってんの。あんなに綺麗で尊いものを、目の前で拝めて最高に幸せだったよ」
「ほ、本当に? こんなに小さい胸でも和博はいいの?」
ああ、謙遜しちゃって。私の無駄に大きい乳よりも、綺麗で可愛らしいのに……。
私は思わず、昨日触れた時の手の動きを再現してしまう。
「もちろん! それにあの感触だって、今でもしっかりと――」
――パーン!
テーブルを挟んだ距離を一瞬で詰めて、博美の右手が容赦なく私の頬を張り倒す。
私の両手のひらは何かを掴み損ねたような形のまま、その動きを止めた……。
「その手はやめなさい、その手は……」
注意よりも先に手が出る博美。その瞬間、私の目に涙が浮かんだ。
頬の痛みよりも、愛する博美に叩かれた悲しみのせいで……。
「うっ、うぅぅ……」
「えっ? ちょっと、そんなに痛かった? ごめんね、ごめんね」
慌ててハンカチを取り出して、心配そうに私の頬を拭う博美。
ああ、やっぱり博美は、和博のことが本気で好きなんだね……。
その現実を痛感させられて、私の目にさらに涙が溜まっていく。
オロオロとする博美は周囲の目が気になったのか、まだ来たばっかりだというのに私の手を取って立ち上がった。
「あー、和博。ちょっと公園にでも行こっか。ここはあたしが奢るから」
私はコクリと頷いた……。
近所の公園に着くと、自販機で買ったジュースを博美が手渡す。
ベンチに並んで腰掛けた私は、まだ火照る頬にそれを当てて冷やした。
「あ、そうだ、家出ってどういうこと? あたしビックリしちゃって」
「家出はしてないよ、あれはお母様の早とちりなだけで」
「おかあさま!?」
「え? あっ、そう聞こえちゃった? ははは……お母さんだよ、お母さん」
「ああ、そう」
言葉遣いに気をつけているつもりでも、ついポロっと普段の癖が出てしまう。
こんなに気を使いながらじゃ、話なんて弾むはずがない。それでもやっぱり、私は博美と一緒にいられるだけで幸せを感じる。
博美の顔、博美の声、この時間よ永遠に続いて……。
「そういえば、あの文鳥どうなった? 持ち主に返すって言ってたけど」
「あ、うん、返したよ美和に」
「あの文鳥、あいつのだったのかあああ。空に放してやれば良かった」
「どうして?」
「だってあんな女に飼われてたら、文鳥だって可哀そうでしょうが」
「はは……すっごい憎んでるんだね……」
人の悪口なんて滅多に言わない博美が、ここまで怒りを露わにするなんて。
きっと和博に聞いたんだ……私がクラス中に悪評をバラ撒いていたことを……。
そしてそのせいで、和博と入れ替わっていた博美がクラスで孤立したことを……。
まさかあのときの和博が、博美と入れ替わってたなんて私は知らなかった。いえ、入れ替わってなかったとしても許される行為じゃない。
博美と仲良くなろうと必死だったとはいえ、ここまで嫌われたのは当然の報いだ。
「ねぇ、博美。きっと、美和も反省してるんじゃないかな、博美にしたこと」
「和博ぉ、あの女はあたしの体を
「
「和博はあの女の肩を持つの? そもそもあんたがあの女の誘いに乗って、ホイホイついて行ったのが原因でしょ?」
和博の体で弁解しても、拗れていく一方。
やっぱりこんな卑怯な方法じゃなくて、私自身の体で心の底から謝らないと……。
だけど私は嫌われてるから、会話する機会さえも与えてもらえなさそう。
『だったらこの和博の体で、そのお膳立てをしておけばいいじゃない!』
そう考えた私は、さっそく博美に美和との対話を持ち掛けてみる。
自作自演とも言うけれど……。
「だけど、ほら……行き違いとかあるかもしれないでしょ。だから一度、美和の話を直接聞いてみたらどうかな?」
「もう! なんなのよ、さっきから美和、美和って。そんなに谷川さんがいいなら、あの女と付き合えばいいじゃない。顔も見たくない、バカ和博!」
ベンチから立ち上がった博美は、私の靴の上で何度も何度も地団駄を踏む。
「痛いっ、痛いよ……博美……ちょっと話を聞いて。あっ、待って、待ってよ……」
憤慨した博美は、そのまま私の声も聞き入れずに立ち去っていく。みるみるうちに遠ざかる博美の歩き方は、のっしのっしという擬態語が似合いそうに力強かった。
それを見送る私は、焦点の定まらない目で途方に暮れる……。
「なんで私が和博と付き合わなきゃならないの。私が好きなのは博美なのに……」
家に戻った私は、今日の出来事をありのままに和博に報告した。
だけど話をするうちに、自分の立ち回りの下手さ加減に嫌気がさして涙が浮かぶ。
「博美にビンタされたし、足も踏みつけられたし……。痛いよ、主に心が……」
『それっていつものことなんだけどな、僕の場合』
「こんなことなら、昨日のことを許してもらったところで帰れば良かった……」
仲直りはすぐにできた。最初から博美は和博に対しては怒ってなかったし。
でも欲を出して、博美と美和との仲も修復しようなんて考えたのが間違いだった。
他人に成りすますなんて、騙すのと一緒。悪意がなくてもその報いは返ってくる。
神様、もう二度と他人の体を利用しませんから、この状況をなんとかして……。
『で? これからどうするの?』
和博に尋ねられても、どうしていいかなんてわかるわけがない。
メッセージを送ってもブロックされてるし、さっきの会話の雰囲気じゃ直接会いに行ってもきっと門前払い。
もうプライドなんて残っていない私は、素直に和博にアドバイスを求める。
「ねぇ、なんかいいアイデアない? 和博が博美と仲直りできて、私も以前みたいに友達付き合いぐらいはできるようになる方法」
さすがに自分でも図々しいと思う。さんざん和博にひどいことをしたのに……。
しかも私も以前のように博美と仲良くなんて、調子がいいにもほどがある。
だけど、和博の返事は意外な言葉だった。
『うーん、ないこともないけど……』
絶望感しかなかった私の心に、一筋の光明が差す。
「本当に!? 教えてちょうだい。上手くいったら、私なんでもするから」
『じゃぁ、仲直りできたら僕と付き合ってください』
「無理に決まってるじゃない。私は博美としか付き合わないもの」
『えーっ、なんでもするって言ったのに……』
なんでもするつもりだったけど、それはだめ。
私が和博と付き合ったら、博美と付き合えなくなっちゃう……。
『それならせめて、キスだけでもお願いします!』
「身体を入れ替えるために、目の前で何度もしてるじゃない」
『それ、抜け殻とでしょ? 僕自身はまだ一回も――』
報酬の話ばっかりしてくる和博は、成功を確信しているみたい。
だけど仲直りは無理だと思っている私は、その方法を尋ねてみた。
「報酬を考えるのは成功した時でいいでしょ? 先にどうすればいいのか教えてよ」
『仕方ないなぁ。何もしなくていいよ、美和は』
「はぁ? 何を言ってるの? 黙ってたって状況が改善するはずないでしょ?」
『冷却期間が必要ってことさ。まず一週間、美和は何もせずに黙って耐えてみなよ。きっと目に見えないところで、何かが変わるはずだから』
確かに、色んな事が一気に起こったけど、終業式はつい昨日の出来事。
まだまだ夏休みは長いんだから、慌てる必要だってない。
まずは一週間、私は和博のアドバイスを受け入れて、博美とコンタクトを取るのは自重することにした。
どうせ、コンタクトを取りたくても取れないんだけど……。
「でも、一週間経っても何も変わってなかったら?」
『その時は、また状況をみて作戦を考えればいいさ。僕も最後まで面倒見るからさ』
――だけど、それからちょうど一週間後、博美専用の着信音が鳴り響いた……。
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